演奏会に出かけて行くのは良い演奏を、感動を期待するからに他ならないが、この東京公演はまさに期待以上のものであった。
この感動、それは、テンポが、バランスがどうの、あるいは熱意がどうのという類の表面的なものではなく、指揮者、奏者らの考えに聴衆がどう反応し、どう刺激を受けるのか、ただただその点に関わってくるもので、まさに指揮者と奏者が一体となり聴衆に挑んできた結果生まれたものであった。
マエストロの背中越しに次の展開を自分ならこう表現すると予測し、実際に出てくる音楽との間に作られるベクトルによって心地よさや驚きが生まれ、時には圧倒され、最後には沸沸と感動が込み上げる。
特にドヴォルザークはこの感動の連続であった。数え上げたら切りがないが、敢えて一箇所となると、第三楽章の中間部である。
ここでマエストロが要求し作り上げたのは、心地よさの中にも緊張感に裏打ちされた高い精神性であったと思う。それは単にあのテンポで振れば出来上がるものでも、バランスや強弱を揃えれば済むものでもない。もちろんピンと張り詰めれたものを表に出してもいけない。激しさやスピード感で一気呵成に盛り上げるものとは対極にあるこの部分にマエストロの真髄を聴いた。
20周年を迎え、益々充実する大阪シンフォニカー。プロフィールにあるキャッチフレーズも「好感」から「実感」をもって評される、新しい節目を迎えたと言えよう。
掲示板より COROさん