北夙川不可止(足立直哉さん)
風邪を拗らせ、批評が大変遅くなり申し訳ございません。 僕の今年最初のザ・シンフォニーホールは、大阪シンフォニカーの第六十七回定期演奏会であった。自分で批評家に応募しておいてこんなことを言うのも何なのだが、僕にとって一番苦手な現代音楽オンリーのプログラム、はたしてまともな批評が出来るかどうか、かなり心配しながら座席に着いたのであった。 前回「メサイヤ」も大変にいい席を用意して頂いたが、今回もG列中央、指揮者の真後ろの七列めという最高の席であった(本名氏の影にティンパニーが隠れてしまい、花石氏の派手なパフォーマンスがあまり見れなかった点のみ残念であったが・・・・・・。)。こんな席に座ったのは生まれて初めて、感激ものである。
しかも僭越ながら僕が再々指摘させて頂いたことが効を奏したのか、楽員諸氏のファッションが著しく向上していた。いつもカマーベストは愚かカマーバンドもしておられなかった首席セロのギア・ケオシビリ氏が黒のオッドベストを着ていらっしゃったことなど、特筆に値する。勿論燕尾服には白のカマーベストというのがセオリーなのであるが、あのベストなら“許せる着崩し”の範囲でむしろお洒落に見えたぐらいである。
そしてプログラムであるが、三曲とも、一度も聴いたことがない曲であった。 しかも現代作品である。聞き終わって感じたことは、やはりきちんと批評するな ら事前に一度は聴くかせめてスコアに目を通しておきたかった、ということであ る。そして耳に馴染み易いとは言いがたい現代曲なのであるから、できれば作曲者にインタビューをした上で書きたかった、とも思う。 従ってこれから書くことは、「批評」というより素人の単なる感想に過ぎない ものである。その点、あらかじめお断りしておくので、ご了承願いたい。
まず第一曲目は、故・芥川也寸志氏の舞踏組曲「蜘蛛の糸」。かつて黒柳徹子 女史と共にNHKの人気番組「音楽の広場」の司会をされ、お茶の間でも人気の あった芥川氏の作品である。僕も中学高校時代、毎週楽しみに観ていたことをよ く憶えている、楽しい番組であった。 題名から判るように、この舞踏組曲は氏の父である芥川龍之介の同名の小説に インスピレーションを得て作曲されたものである。プログラムによると、196 8年にNHKの委嘱で書かれたとのこと。舞踏組曲というからには本来バレエの 伴奏音楽なのであろうが、当夜の演奏会では勿論オーケストラのみによって上演 された。但し指揮者登場後、演奏が始まる前に関西歌劇団の田中由也氏による小 説「蜘蛛の糸」の朗読が入った。何度も読んだ作品だが、朗読を聞くと本当に短 い作品であることに改めて気付かされる。 曲は、1)前奏曲、2)極楽の朝、3)蜘蛛と

陀多、4)血の地獄,5)蜘蛛の糸、 6)極楽の昼、以上の六部からなっている、らしい!! というのがスコアのない悲し さ、各楽章の間を全て休みなしで続けて演奏されたので、どこからどこまでが第 何部だったのかさっぱり判らなかったのだ。そう、続けて演奏されるということ 自体知らなかったので、最初のうちは「えらい長いプレリュードやなぁ」と呑気 に聴いていてしまったのである(さすがにすぐに「これは続けて演奏しとるんや 」と気付きはしたが・・・・・・。)。 かくなる事態であったので、全体としての感想を述べることしか出来ない。まず朗読、これは文句のない出来であった。プロのアナウンサーではなく声楽家の田中氏であるが、ベタベタした感情を排したストイックな口調は、芥川(父)の作品世界を語るのにぴったりであったといえよう。そして演奏が始まるのだが、 本名氏はいつもながらのタクトなし、そしていつもながらの踊るが如く流麗な身振りで、音を一つ一つ明瞭に構築していく。静かに始まり、時折かなりな盛り上 がりがあったが、ハープ二台にチェレスタも入るなど大勢エキストラが入ってい る編成にもかかわらず、いつものメンバーで演奏しているかの如く違和感のないサウンドで、聴いていて安心できる内容であった。難しい現代曲をここまでこなすのは、このオケの技量が相当上がっていることを示すのであろう。特にフルー トのソロは秀逸であった。
休憩を挟まず、そのまま次の作品へと移ったが、ピアノを出すので若干の間が 空いてしまった。この辺り、演出を少し考えるべきではなかったか?
そして二曲目は、一柳 慧氏のピアノ協奏曲第二番「冬の肖像」である。ピアノソロは向井 山朋子女史。不勉強にして存じ上げなかったが、オランダに在住し現代音楽を中 心に相当な活躍をなさっている女流で、女史のために毎年沢山の作品が書かれ、 従って多くの新作の初演をなさっておられる由。本作品は向井山女史の方から一 柳氏に「出来るだけ難しい超絶技巧の曲を」との依頼があって書かれたものだそう。「蜘蛛の糸」と同じく1988年にNHKの委嘱で書かれ、当時の社会情勢 を踏まえ、単なる冬ではなく「核の冬」即ち核戦争後の滅びの世界、絶対的な死 滅としての冬、を表現されているとのこと。88年といえば僕は大学の4回生であったが、保守反動のレーガン政権の下、冷戦が高まり核の脅威が現実的に語ら れた時代であった。 この曲は、オーソドックスな三楽章構成のコンチェルトと異なり、全一楽章で 作られている。但し全体には凡そ四つの部分から構成されており、決してずっと 単調という訳ではない。そしてメロディアスで美しい旋律が用いられており、聴 く者をして「現代音楽は解りにくい」というのはかなりの部分偏見に過ぎないということを理解せしめる、心で聴ける音楽であった。かといって解り易い、とい うことではないが。 なお向井山女史は、白いマントのような不思議な衣装を召され、おみ足は裸足であった!! ザ・シンフォニーホールのステージに素足で立ったソリストも珍しいであろう。そしてコンチェルトのソリストとしては極めて異例であろうが、楽譜を見ながらの演奏であった。ハンス・フォン・ビューロー以来の暗譜の伝統に固執するより、このような超絶技巧を要する曲はきちんと楽譜を見て演奏される方がいい、という信念をお持ちなのであろう。それには僕も賛同できる。 演奏が終ってオベイションが始まると、本名氏は客席に向かって立つよう合図 された。何事かと驚いたら、何と作曲者一柳氏がご臨席であったのだ。氏もステージに上がられ、共に拍手を受けておられた。現代音楽を毛嫌いしていると作曲者同席のコンサートに立ち会うことなど出来ない。これは貴重な体験であった。
休憩を挟み、後半はオランダの作曲家ペーター・スハット氏の「『天国』〜オ ーケストラのための十二の交響的変奏曲作品三十七」の本邦初演である。一柳氏の登場は予期していなかったが、スハット氏のスピーチがあることはプログラム にも明記してある。楽員の登壇前に、通訳を務められる向井山女史と共にスハッ ト氏が登場し、大きな拍手が沸き起こった。氏によると、本作品は十年前にニュージーランドの御秘話というところの海岸で、二十四時間ずっと太陽を見続けた 経験を元に作られた曲だそう。 ピッコロトランペット、インドネシアのガムラン音楽に用いるような巨大な組銅鑼、マリンバなどの入った大編成である。吹奏楽部〜市民オケと随分永きに亘り演奏活動に携わってきた僕も初めて見る、チューバ用のミュートも凄かった。 バケツのような大きさなのだ。そしてこの曲は天安門事件の犠牲者に捧げられた とのことであるが、確かに能天気な太陽礼賛といった曲ではなく、観念的、哲学的な香りに満ち満ちている。これも十二曲続けて演奏されたので第何変奏のどこ がどうであったとはいえないが、トロンボーンやティンパニーは聴いていて大変気持良かった。 結局「眠くなる」どころか大変インタレスティングで、エキサイティングなコンサートであった。自分の現代音楽についての見方が、少しは変わったような気がする。会場の熱狂的な拍手は、この感覚が僕だけのものではなかったことを物 語っているのであろう。とはいえ、アンコールに演奏された古い舞曲(スザート作曲レントゲン編曲「オランダの古い舞曲」)にホッとしたことも確かであるが 。 なお、僕のような若造に快くサインして下さった一柳先生に、心より感謝致し ます。