大阪シンフォニカー交響楽団 第75回定期演奏会の“聞きどころ”
※ 曽我の師、シノーポリへの哀悼を込めた「リエンツィ」序曲
4/20日に指揮台で劇的な死を遂げた、曽我の師、ジュゼッペ・シノーポリ。
曽我曰く「非常にドイツ的な指揮者と見られがちなシノーポリだが、有る意味でとてもイタリア的な内面を持っていた」。シノーポリがワグネリアンとして生涯残した業績は周知のところでありますが、彼の最後の赴任地となったドレスデンで初演された「リエンツィ」。そのドレスデンの名門オケ、シュターツカペレの楽団創立450周年記念演奏会で演奏され、さらに同オケのアジアツアーで演奏された「リエンツィ」序曲は圧倒的な名演でした。
シノーポリ自身が「この作品はワーグナーがすごく”イタリア”を意識した作品だった」と語った「リエンツィ」序曲。曽我が師を回顧して演奏します。
※ 弱冠16歳のウクライナ出身のアレクサンダー・ガブリリュクの爽やかな魅力
19世紀のロシアン・ピアニズムの再来を予感させる驚異の16歳。昨年行われた第4回浜松国際ピアノコンクールではその圧倒的な完成度と華麗なる音楽性で聴衆を 魅了し、審査員満場一致で栄光に輝きました。同コンクール審査委員長、中村紘子氏をして「信じられないほどの完成度で、超絶技巧だけでなく、つややかでロマンティックな音楽性をもつ”20世紀後半最高の16歳”」と絶賛されています。
これまでにも多くのコンクールで実績を積んでいますが、特に“浜松国際ピアノコンクールは私の人生を大きく変えた”と自負するように、ガブリリュクは今回の来日を機にいよいよ本格的な演奏活動を開始します。大阪シンフォニカー交響楽団と共演するモーツァルトピアノ協奏曲第23番は、昨年オーストラリアにてCD収録もしており、彼のコンチェルトレパートリーの中でも手中におさめた作品のひとつです。初々しくも華麗なるピアニズムを充分に聞かせてくれることでしょう。
※ シンフォニカーの新たな出発点としてのメンデルスゾーン「イタリア」交響曲
音楽監督曽我大介が大阪シンフォニカー交響楽団の将来を見据えて、音楽監督として初めて選んだ「イタリア」交響曲。「精密で世界レヴェルの演奏を目指す」曽我が音楽監督として、新たな一歩を示す、注目の演奏。
楽曲解説: ワーグナー:歌劇「リエンツィ」序曲
作曲年代;1840年。
楽器編成;ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット4、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、タンブリン、トライアングル、大太鼓、シンバル、弦楽5部。
このオペラはワーグナーにとっての出世作で、1840年の11月に完成し、翌年の10月、ドレスデンで初演された。主人公のコラ・ダ・リエンツィ(1313〜1354)は実在の人物で、ローマに生まれた愛国者であった。彼は常に民衆のために貴族たちと闘ったが、非業の最期を遂げたといわれている。このオペラのテーマになっているのは、反権力的な思想で、こうしたところはいかにも、若い熱血漢だったワーグナーらしい。
序曲はまずリエンツィが、民衆に革命を呼びかけるトランペットの動機から始まる。次いでリエンツィの祈りの歌、「全能の天よ、護りたまえ」が奏され、ソナタ形式の主部に入る。リエンツィの雄叫び「聖なる魂の騎士」、彼の娘とその恋人の二重唱「慈悲への感謝の歌」が、主題として用いられ、華やかに展開されて行く。
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488
作曲年代;1786年。
楽器編成;独奏ピアノ、フルート、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、弦楽5部。
1784年の6曲、85年の3曲のピアノ協奏曲に続いて、1786年にも3曲が作曲されたが、この曲はその86年の3曲のトップ・バッターである。いずれも古典派のピアノ協奏曲の最高位にランクされるべき名品で、ロビンス・ランドンは、「形式、楽器法、旋律、和声の点で、ハイドンの技法を受け継いで、高度の完成へと展開している。」と述べている。
このイ長調の曲は、モーツァルトの後期のピアノ協奏曲の中で、その親しみやすい主題と、両端楽章がごくありふれたソナタ形式とロンド形式という構成のために、一般的にも広く知られている作品である。また独奏パートとオーケストラが、同一の主題を奏することも、この曲の密度を高めると同時に、わかりやすくしている要因といえる。ピアノが独自の主題を持っていない点は、1784年当時に逆戻りした趣もあるが、作風はそのいずれよりも洗練された簡素さを示している。
ヘルマン・ベックによると、モーツァルトは普通ピアノ協奏曲では、独奏パートをまずスケッチし、後でこれを入念に仕上げているが、この曲では独奏パート全体を完全な形で書き記していて、細部に至るまで入念に仕上げているので、どのような補充も必要としなかったというのである。これは第1楽章のカデンツァが、完全な形で記譜されていることでもわかる。ほかの協奏曲ではほとんどの場合、自筆スコアにはカデンツァは当該の場所には記譜されていない。そして第2、第3楽章にカデンツァがないのは、絶え間なく華麗なパッセージが続くので、即興的な技法を差し挟む余地がなくなったのだと考えられる。
第1楽章;アレグロ 協奏風ソナタ形式
第2楽章;アダージョ 嬰ヘ短調 3部形式
第3楽章;アレグロ・アッサイ ロンド形式
メンデルスゾーン:交響曲 第4番 イ長調 「イタリア」 作品90
作曲年代;1831年ドイツへ帰ってから着手し、1833年の3月に完成されている。
楽器編成;フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦楽5部。
メンデルスゾーンがイタリアのローマを訪れたのは、1830年の11月で、翌年の4月までずっと滞在していた。彼はここでローマの民衆が馬鹿騒ぎする謝肉祭も、教皇グレゴリウス16世の荘厳な就任式も見ることが出来たが、こうしたイタリアの風物に魅せられてこの曲は着想された。特に終楽章はローマ付近の民族舞踊サルタレロのリズムが用いられて、いかにも「イタリア交響曲」と呼ぶにふさわしいものがある。
曲はロンドンのフィルハーモニック教会の依頼で書かれた3曲の中の一つで、1833年の5月13日に初演された。だがメンデルスゾーンは初稿に満足ではなかったらしく、存命中は出版もせず、折に触れて改訂の筆を加えた。結局ドイツでの初演は、メンデルスゾーンの死後の1849年にライプツィヒのゲヴァントハウスで、ユリウス・リーツの指揮で行なわれ、出版されたのは1851年であった。
したがって実際この曲は、第3番「スコットランド」よりも先に作曲されながら、番号が逆になってしまった。なお作曲者自身による改訂は、モシェレスに宛てた手紙によると、1837年にはすでに完成していたようである。
ただ曲想的には、表題音楽的な要素はほとんどなく、明確にイタリア的なのは終楽章のサルタレロ舞曲のリズムだけで、後は南国的な雰囲気のみといえよう。
第1楽章;アレグロ・ヴィヴァーチェ ソナタ形式
第2楽章;アンダンテ・コン・モト ニ短調 自由な3部形式
第3楽章;コン・モト・モデラート 3部形式
リズムはメヌエットだが、形としてはより自由でスケルツォに近い。
第4楽章;プレスト ハ長調
「サルタレロ」と題され、この舞曲はローマ付近の民衆が、男女対で踊るもので、この楽章ではほかにタランテラのリズムもあらわれる。
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