通称「サーラ・ラディオ」。ルーマニア国営放送局内の大ホールは、収容人数約900人。舞台奥にはオルガンのパイプが鎮座し、客席は舞台中央から扇形に広がるような形に設計されている。2002年12月5日。前日深夜にブカレストに到着、大阪シンフォニカー交響楽団の初の海外公演ツアーに合流した私は、客席の中央付近からステージを見上げていた。その上では、大阪のザ・シンフォニーホール、淡路島のしづかホールなどで見なれていたシンフォニカーの面々が、すでにリハーサルを重ねてきたルーマニア国立放送交響楽団の楽員らと席を並べ、すっかり打ち解けた様子で言葉を交わしていた。
ブカレスト、ブラショフ、プロイエシュティと展開するルーマニア演奏旅行の初回は、翌日の6日。現地楽団との合同演奏、しかもルーマニア各地に放送されるという大胆な海外デビューだ。「共演が刺激になり、どっちのメンバーにも、いい感じの高ぶりが出ている」。 両楽団を知る指揮者の曽我大介は、プレッシャーを楽しんでいる気配だった。
両楽団のコンサートマスターにも話を聞いた。シンフォニカーの森下幸路は「ここでエネスコを演奏できることに、大きな感慨がある。ルーマニア語が語られるのを生で聞き、ブカレストの町並みを見た後でエネスコを弾くと、新たな発見があるのに驚く」。一方、放送響のラウレンツィオ・グレゴリスクは「両国の楽団の共演は、とても素晴らしい試みだ。一緒にやってみると、日本人の感性の繊細さ、技術の緻密さで演奏されるエネスコには、われわれが学ぶべき点が多いことが分かった」と話した。それぞれに、喜びをあらわしながらも、こみ上げてくるものをじっくりかみしめているのが分かる口調だった。
ルーマニア初公演の本番は、ちょうどワールドカップに初出場したときのサッカーの日本代表を思わせた。内容に反省点はあるものの、歴史的に大きな一歩を踏み出したという感じだ。
日本、ルーマニア両国作品を中心としたプログラム。聴きごたえがあったのは、両楽団合わせて100人以上が舞台に上がったエネスコ「ルーマニア狂詩曲2番」と「同1番」、レスピーギ「ローマの松」だった。
エネスコでは、得意のお国物で乗りまくる放送響にシンフォニカーが勢いを増幅させる趣きの熱演。微妙にリズムをずらした、ひなびた節回し、装飾音にT遊びUをふんだんに入れたソロなどがいずれも魅力的で、素朴なメロディーの佳曲を、多彩で充実した響きで演奏。クライマックスは一体となって盛り上げ、客席からは「ブラボー」が相次いだ。
続くレスピーギは推進力、響きの透明度とも豊か。両団体の技術的な持ち味が融合した上、テンションの高さも十分だった。前半のプログラムでは、委嘱作品の間宮芳生「地球の友達」が、各国の民謡を素材にした温かいメロディーを、広がり豊かな響きで好演していた。
ただし、冒頭のシルヴェストゥリは小さくまとまり過ぎ、萎縮していたような印象。尾高尚忠のフルート協奏曲では、第1楽章でソロの末原諭宜ののりがやや重く、音が響ききらない部分があった。2、3楽章は繊細・劇的な表現を取り戻したが、前日の練習では、さらに出来がよく、オーケストラも緻密だっただけに、残念だった。
(つづく)
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ルーマニアでの新聞報道
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