第7回東京公演 2003年3月9日(日)15時開演 すみだトリフォニーホール

[パウル・ザッヒャーの遺産
指揮:曽我大介  
  間宮芳生 オーケストラのための "地球のともだち"(2002)
(大阪シンフォニカー交響楽団委嘱シリーズ「21世紀の子どもの為に(1)」)
  オネゲル     交響曲 第2番
  シベリウス    交響曲 第2番 ニ長調 op.43

3月9日、すみだトリフフォニーホールで、第七回東京公演を聴きました。
オーケストラのための“地球の友だち”に「ダニのうた」や「ムカデのうた」があるのに笑っちゃいました。日頃忌み嫌われがちなそれらの生き物をイメージしながら聴くと、頬が自然と笑いで崩れて、ダニさん、ムカデさん、よかったね、こんな可愛いきれいな音で表現してもらってと思いました。折しも、啓蟄の直後。東京のどこかで、虫どもも、ころころと喜んでいたのではないでしょうか。
 楽しみにしていたのは、シベリウスの交響曲第2番でした。シベリウスの国フィンランドは数年前に訪ねました。フィンランドは強国ロシア、スエーデンに囲まれていろいろと大変な時代がありました。独立したのは何しろ二十世紀ですから。でも、すごく美しい国です(国民一人あたり湖一つといわれるくらいに森と湖が多い)。人も素朴で親切です。ひとり旅で北へ向かったのですが、あちこちでフィンランド人に助けられました。ムーミンの国、サンタの国でもあります。私の大好きな国です。そんなことを想いながらシベリウスの美しいメロディーに、音に浸っていました。第四楽章でにはいったとき、突然胸が熱くなりました。目がウルウルしました。シベリウスが曲にこめた祖国フィンランドへの愛、あの美しい自然への讃歌がスーと胸に入ってきました。
すばらしかった。終わったとき、「ブラボー」と叫んでしまいました。海外のコンサートホールでは言うんですけど、日本では初めてでした。(だって、恥ずかしいんだもん)大阪シンフォニカー交響楽団と、シベリウスの歌いあげるように美しくて豊かなメロディー、相性がいいですね。抒情に強い、元気な楽団ですね。
 このところ忙しくて無味乾燥な生活をしていました。コンサートで元気を、潤いをいただきました。ありがとうございました。
By へのへのもへじ


オネゲルのGP風景。トランペットがオルガン席に位置します。
第7回東京公演批評 平成15年3月9日すみだトリフォニーホール
当たり前のことですが、コンサートに行く人はそれぞれの「思い」があるからこそ、チケットを時には苦労して買い求め、当日や前後の仕事および諸事をやりくりしてコンサート会場にやってくるのだと思います。私は、高校理科教師をしている中年のオヤジではありますが、コンサートに行くことが最上の楽しみの一つになっています。なぜ私がコンサートに惹かれるのかといえば、今だに流行している「癒し」を求めるのではなくて、心を打つ生の音に触れることにより、「生きる力」「活力」といったものを高めたいと思っているからです。よく聞くことですが、いい音楽は感動を生み、それは脳内ホルモンの分泌を促します。そのホルモンは、幸福感やら充実感を生み出し気分を良くするのみならず、細胞を活性化させて免疫力をも高めるのだそうです。ゆえに、良かったコンサートの帰り道は元気になり、なんだか頑張ろうという気持ちが湧いてくるというわけです。そういった元気をくれる音楽がシンフォニカーの「熱い音」なのだと私は思っています。ただし、この1年は大阪に行ってもコンサートには縁がありませんでした。そうこうして、1年ぶりの東京公演で再び「熱い音」に接することを楽しみにしていたのです。
思えば、昨年は3月3日、城ノ内ミサの新作、サンサーンス3番オルガン付きなどの3づくめの日でした。そのときのトークではマエストロが「きょうは、皆3(ミサ)の日」と冗句をとばしていたものでした。私にとって、その後の4月からの新年度は、激変の連続でした。大きく違う環境への勤務転換、闘病していた実父の死、猛暑の夏が終わりかけたころ突然の義母の死、…つい最近の三男の高校卒業と大学合格にいたるまで、いろいろなことが起こりすぎた1年があっという間に過ぎて、私は再び「新世代の熱い音。」を体感したく思い、すみだトリフォニーホールに向かったのでした。それは繰り返しになりますが、シンフォニカーの熱い音に触れることで、私のような中年オヤジでも元気をもらえるのではないかと思えたからです。この時期は年度末で、複数の仕事の締め切りに追われていましたが、8日の深夜までになんとか目途をつけての9日でした。ところで父の死と、義母の死に際しては、あまりに悲しく辛くさみしくて、悲嘆にくれたものでした。もちろん今でもそのことを思い出すたびに胸がしめつけられますが、こんなときこそ好きなコンサートや旅行に行って、素晴らしい音楽や大自然、温泉、おいしい食事などから、鋭気を、生きる力を養おうと思ったものでした。とはいえ音楽は概ね月に2回程度のホール通いですが、やはりなにかと疲れ気味の妻と二人での「同行二人?」的コンサート通いを続けています。今回9日はあいにく朝から春の嵐的な強風が吹き荒れ、花粉症の妻は外出に恐怖を感じるとのことで、それを無理して行っても演奏中に「カフン、カフン!」と咳き込んだりで大変なことが予想できたので、花粉症でない私(不潔な人は花粉症にならないらしい! )が一人で行ったものでした。しかし、熱演のシベリウスを妻に聞いて欲しかったというのが唯一の心残りではありました。
前置きが長くなりましたが、さてプレコンサートトークのマエストロ曽我は、その静かな語り口のなかにも自信に満ちた表情・物腰を感じさせて、熱い音楽への情熱がうかがえました。今日は2番2番でまとめたことや、オネゲルとシベリウスの2番の共通するところに気付いて欲しいとのことや、パウル・ザッヒャーの功績のお話、委嘱シリーズの意義と演奏され続ける現代作品が多く望まれることなどの示唆と機知とウイットに富んだマエストロのトークは爽やかな好印象と続く楽曲への期待を抱かせてくれました。
 間宮芳生オーケストラのための“地球のともだち”(2002)
マエストロの棒が下がった瞬間「去年とは違う!」と直感しました。特に弦の変容を感じたのですが、もちろん「熱い音」にますます磨きがかかったというのが印象でした。
プレトークの「…演奏され続ける現代作品が多く望まれる…」との趣旨には十分に合致した楽曲と感じたとともに、子供たちが初めて触れるオーケストラ音楽としても十分にふさわしいと思いました。振り返れば、小生が小・中学生のころ(30~40年前!)未完成や運命を聞かされて感想文やらなにやらを求められる授業では、かえって音楽嫌いを作ってしまっていたことを思い出せば、この“地球のともだち”は、子供たちがイメージできる表題がそれぞれある音楽でもあり、その調べは、上質ななかにも日常映画やテレビ番組などで耳にするようなところも含んでいるので親しみやすいといえるでしょう。それと、それぞれが短い小楽曲であることも、親しみを生むと感じました。とはいえ演奏が命であることは勿論であるわけであって、シンフォニカーの華麗な音作りは、明瞭な彩りとイマジネーションの喚起を生んでいると感じました。それと、「熱い音」で演じられた楽曲全体からは、シンフォニカーの新しいシンボルマーク(原色の花とホルンとてんとう虫をイメージした図案のこと)が思い浮かんでもきました。また確かに、「やまのこもりうた」と「民謡」は、マエストロのトーク通り、特に印象的な素晴らしい音楽だと感じました。
 オネゲル交響曲第2番
ステージは弦楽だけになり、颯爽とマエストロが登場して、第1楽章の棒が振りおろされた。トリフォニ―ホールに響き渡る弦楽の調べは、堂々とした大河のようでありなお且つ澄んでいた。何よりもその熱気、ひたむきさという「気」がストレートに伝わってきました。やはり「地球のともだち」で真っ先に感じたことは本物であり、確実にシンフォニカーは進歩・成長していると確信したものです。初めて聞くこの曲は、1、2楽章では、悲観と陰鬱と対峙する闘志と情熱のコントラストが、バイオリンのクリヤーな音と、チェロ、コントラバスの低音部が心の底の叫びと抵抗の精神を表出し、そこにビオラの筋の通った響きが存在感を示してからみあって、聞き手に緊張と精神の高揚を与えてくれました。3楽章は1、2楽章とは雰囲気が変わった調べになり、明と暗でいえば「明」の広がりが徐々に増えていくように感じられてきました。やがてトランペットが高らかに勝利と開放を宣言するかのように明るく響き渡るころは、自分も占領下のヨーロッパにいるかのような思いがしてきたといったら言いすぎでしょうか。とにかく、陰鬱な絶望感がかき消されたかのように心が晴れ渡り、皆で肩を組みたくなるような嬉しい気持ちになりフィナーレとなりました。拍手。拍手。
マエストロの指揮ぶりは一見クールに見えますが、虚飾を一切排除したように感じられる指揮の姿勢は好印象であり、音楽への真摯な情熱のほとばしりを感じました。もちろんそのマエストロの高度な要求に、十分に応えた弦楽の皆さんの頑張りに感動したものでした。
 シベリウス交響曲第2番
2曲聞き終わって、シンフォニカーの「熱い音」がさらにスケールアップしていることに触れて、わが事のように嬉しくなっていました。私にといっては1年ぶりの再会であるので、貴楽団の成長がより鮮明に見えた(聞こえた)のかもしれません。マエストロ曽我と協会、事務局が一体となって頑張っていることはもちろんのこと、ヨーロッパ公演などでの成功により一段とキャパシティが向上したものと拝察しています。
さてメインのシベリウスです。それは適度な快速演奏で始まりました。オケは、マエストロの棒から隅々まで指令が伝達しているかのような(神経経路をにたとえれるかもしれませんが)統一された動きとともに、それとは趣を異にする一人ひとりのひたむきな音楽を奏でる個性と情熱といった「気」が絶妙に交じり合った「熱い音」を生み出して、私たち聴衆に迫ってきました。情熱をたぎらせるのみならず、なおかつ人にやさしい人間味あふれるシベリウスの音楽を今回初めて味わったものでした。オネゲルでは、弦楽の成長に感激したのですが、それは管楽器についても同様であると確信したのもこの楽章でした。金管は堂々と安定した響きで、木管は以前も素晴らしいと感じていましたが、さらに味わいがある音色を要所要所で聞かせてくれました。熱い情熱を秘めた第1楽章はそうして終わりました。もうここで、今日のコンサートにきてよかったと心から感じていたものでした。第2楽章は、やさしさと激しい心情が交差する色彩の濃いシベリウス独自の音楽世界が十分に表現されていました。もう、音楽の流れに身をまかせて何も考えずに聞き入っていたといえるでしょう。この楽章は、可能ならば今もう一度聞きたいと思うほど出色の出来だったように感じています。第3楽章になると、楽団全体がより一層生き生きとして音楽を楽しんでいるように思えました。マエストロの、颯爽とした気品のある指揮ぶりも絶好調という感じで、この音楽の大波はもう誰にも止められない、という印象でした。特に、ホルンとファゴットの和音にのって歌うオーボエの美しい旋律はなんと心に響く美しさでしょうか。私は、オーボエが好きですが、この日は特に心の琴線に触れる調べであったように思います。コップの水がお守り(?)だったのかもしれませんが、この時期のリード楽器は大変だと拝察しているのですから、より一層感動するものです。そうして感動の第4楽章はもうやってきてしましました。その第1主題の勇壮な調べは心の底から魂を揺さぶってくる感じで、思わずジーンとしてきました。やがて、第2主題が雪で煙る彼方から響いてくるように違うところから語りかけてきますが、それは再び現れる第1主題のための道しるべのような感じであって、輝きを増した第1主題はますます勇壮な響きで私の心を揺さぶり、しかも脳内ホルモンの分泌を促し続けていきました。こんなにシベリウスの2番はドラマチックであったのか! と感嘆し続けている私がそこには居たものでした。楽曲的には、ロシアの圧政に打ち勝って自由の歓喜を掴んで喜び合いたいというシベリウスの心情がふつふつと感じられてきました。それと同時に、四方八方閉塞している我が国の鬱積と、あまりに小さいものですが、私にとっては主題である自分自身の満たされない現状からの開放などがないまぜになっての精神の高揚が、第1主題が現れるごとに寄せては返す大波のように繰り返してきたものでした。そうして感動のフィナーレとなっていき、もうそのときは、ジーンとして涙がこみあげてきていました。そのときは、なにも悲しくもうれしくもなく、ただただシンフォニカーの「熱い音」に心揺さぶられて自然に涙があふれてきていたものでした。純粋に音楽で感涙したことは本当に久しぶりでした。「ぶらあぼ、ぶらあぼ!」
この原稿を打っている今でも、シンフォニカーの熱演に触れての幸福感は心を熱くしてくれています。マエストロの快速演奏の表現は、シベリウスの情感あふれる独自の境地を損なうことなく楽曲を、生き生きとかつ現代化を見事に成し遂げて再現してみせた秀麗な演奏であったと感服しています。
ではまた再び、貴楽団の「熱い音」に」触れて、生きる力を養うことを楽しみに日々頑張ろうと思っています。
池崎文也さん(横浜市在住、別名トムイヌクン)

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