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ベトナム公演を終えて
本 名 徹 次
大阪シンフォニカー交響楽団 前常任指揮者
ベトナム国立交響楽団アップグレーディング・プロジェクトミュージック・アドバイザー
2003年3月14日、一つの夢が現実となった…
愛すべき大阪シンフォニカー交響楽団がベトナム・ハノイ(漢字で『河内』と書く!)を訪れ、ベトナム国立交響楽団(VNSO)との合同演奏会を実現させてくれたのだ。VNSOとの付き合いはもう2年以上。なんとか『良いオーケストラになりたい』という強い意志をもつこのオーケストラに日本側になにができるか悩んでいるところに、敷島楽団長から『ハノイに行きましょうよ!』というお話をいただいた。ちょっと想像しても大変な話だ。
ハノイ市、カウ・ザイのVNSOビルディング。リハーサル初日、つい数ヶ月前にシンフォニカーで研修をしたラン、マイアン、ンガーの3人の音楽家を含むVNSOの団員達が笑顔で迎えてくれた。最初の曲はエルガーの『威風堂々』で始まった。イギリス人指揮者でVNSOに長年貢献しているグラハム、また両オーケストラの関係者達が心配そうに見守る。ところが、あっという間に2つのオーケストラの団員達は『音楽』という共通語で仲間になっていく。シンフォニカー特有のあの音楽を愛する熱気がVNSOの団員達にも一瞬のうちに伝わる。これはうまく行くかも知れない。ベトナム人は、個人の技術はある程度持っていてもアンサンブルとなるとなかなかどうして、大変苦労する。協調性という概念とは程遠い国民だ。
1911年に建てられたハノイオペラハウスはパリのオペラハウスをモデルにしたコロニアル様式の建物。そこでのコンサートはなにかフランスのエスプリを感じさせる雰囲気の中で行われる。最初に、両国の国歌が鳴り響いた。オーケストラは立奏聴衆は総立ちだ。『新世界』の2楽章で、いつもなら勝手に吹いてしまいアンサンブルなんかまったく気にしないトランペット奏者のトゥアンが、ものすごい真剣な表情でヴァイオリンを聴き、コールアングレを吹く小谷さんを見て見事なアンサンブルを目の当たりにしたときは思わず涙ぐんでしまった。コンサートにはたくさんの政府の高官から音楽関係者、音楽愛好者で埋め尽くされた。そして暖かい拍手。ちょっと大袈裟だが、ベトナム作曲家連盟の諸氏によると、ハノイの音楽界始まって以来の名演だったそうだ。VNSOは一つアップグレイドしたことを確信した。
両オーケストラの関係が益々育って行きますように…
大阪シンフォニカー交響楽団!心から『ありがとう!』
大阪シンフォニカー交響楽団 ベトナム演奏旅行随行記
音楽ジャーナリスト 友 沢 裕 子
ベトナムの首都ハノイのシンボル、オペラハウスは、2003年3月14日、美しくライトアップされ、秀麗な姿を夕闇の中に浮かび上がらせていた。正面入り口の看板には、「大阪シンフォニカー交響楽団」の英語の文字がひときわ大きく踊っている。当夜催された同響とベトナム国立交響楽団の合同コンサートは、満場のクラシックファンを魅了し、熱い拍手はいつまでも鳴りやむことがなかった。
折しも今年は、日本とベトナム間に外交関係が結ばれてちょうど30周年。しかも、日本ASEAN交流年ということもあり、日越両国で40にも及ぶ記念交流行事が予定されている、という。そんな中にあって、合同演奏会での息の合ったハーモニーと会場の熱気は、まさに今後の両国交流の新たな幕開けを告げるかのような華やかさに満ち溢れていた。
音楽誌の取材で、移動からリハーサル、演奏会本番まで、6日間の全行程に同行する機会を得た。両楽員の舞台裏の苦労や交流などを振り返りながら、本番成功までの様子を綴ってみたい。
3月9日に東京での演奏会を終えたばかりの大阪シンフォニカー交響楽団は、翌日には成田発と関空発の二手にわかれてハノイ(漢字表記なら「河内」)に入った。ベトナム文化情報省の招待と、文化庁の海外公演助成を受けての演奏旅行で、総勢61人(うち奏者49人)。同団にとっては昨年12月のルーマニアに次いで、2度目の海外公演となる。
ハノイの演奏会の指揮をする本名徹次は、2000年までの6年間、大阪シンフォニカーの常任指揮者を務め、楽員たちとは気心の知れた仲だ。彼は同団の魅力を「音楽を楽しもうとする伝統のある楽団」と語り、「一緒に音楽ができる仲間」として楽員たちに今も厚い信頼を置いていることがうかがえる。一昨年からは、ベトナム国立交響楽団のアップグレーディング・プロジェクトのミュージック・アドバイザーに迎えられ、当地でも“熱いホンナ”の本領を発揮している。両団に縁の深い彼が、今回の共演の仲人役である。
ベトナム国立交響楽団(以下=VNSO)は1959年に設立され、地元ハノイ音楽院出身の優秀な楽員を多く擁する由緒ある楽団だ。故ホー・チ・ミンがタクトを振ったことでも知られ、練習所の壁にはその光景を描いた絵も飾られている。ベトナム戦争中は演奏活動が中断状態となり、身体に戦争の傷跡を残す団員もいる。70余名の団員のうち、今回の合同演奏には31人が参加した。
練習所でのリハーサル初日、日越合同80人編成オーケストラを前に、大阪シンフォニカー響の敷島博子代表が「ベトナム三人娘さんに再会でき、またご一緒に演奏できてうれしい」と挨拶すると、練習場はいっきょになごやかな雰囲気に…。“ベトナム三人娘さん”こと、コンサートマスターのレ・ホアン・ラン、ヴァイオリンのダオ・マイアン、ヴィオラのグエン・ティ・トゥ・ンガの三人は、今年初めに日本に短期留学をし、シンフォニカーで研修や公演参加もこなしており、両団にとって、心強い懸け橋的存在だ。三人揃ってママさん奏者ということもあり、練習の合間には、シンフォニカーのメンバーたちと子供の写真を見せ合うなど、音楽以外の話題にも花が咲いていた。
とはいうものの、肝心のリハーサルそのものは、なごやかな雰囲気だけでは進んでくれない。両国歌に続いてエルガーの「威風堂々」と「チェロ協奏曲」、ドヴォルザーク「新世界より」と練習が進むが、混成チームのアンサンブルの難しさが浮き彫りになっていった。ハノイとモスクワ両音楽院で学んだソロ首席チェリストで、VNSO事務局次長を兼任するンゴ・ホアン・クアンは言う。「うちの団はまだスタンダード・レベルに達していません。だからこそ、以前アジア八カ国公演で来られた本名さんに、レベル向上に協力してほしい、と懇願して、ミュージック・アドバイザーの職に就いてもらったんです」
外国人団員も数名在籍する大阪シンフォニカーの楽員たちは、日頃から英語も含め異文化コミュニケーションには慣れている。また、昨年にはルーマニアで現地のオケと合同演奏会を経験しており、いわば混成チーム演奏の先輩格。とはいえ、前回は、西洋音楽の伝統の地であり、かつ英語での意思疎通もスムーズな国だった。ルーマニアでの交流方法をそのままなぞるわけにはいかない。初めはVNSO楽員に対し、「別の解釈やプライドもあるだろうし…」と、アドバイスを遠慮していた感のあるシンフォニカー側も、本番を目前にしてそうも言っておられず、それぞれのパートで積極的な交流が見られ始めた。金管のグループは、リハーサル前の自由時間を利用して、VNSO楽員の求めに応じて日常のトレーニング方法やブレス、唇の使い方などを実地伝授。本公演に参加しない楽員たちも回りを取り巻いて熱心に見入っていた。他のパートでも交流が進むにつれ、「アンサンブル慣れしていないのは、単に本番の経験数の差であって、VNSOの方たち一人一人の演奏レベルは高いと思いますね」と将来を楽しみにする楽員も。
本番の舞台となったオペラハウスは、約90年前、仏領インドシナ時代に建てられ、パリのオペラ座を瀟洒にした感じの上品な造りながら、内部にはその後の戦争で撃ち込まれた銃弾の痕も保存されており、華麗な非日常空間と戦火にさらされ続けたベトナムの歴史とが交錯する。現在は演奏会以外に、国家的行事の会場としても使われる首都のシンボル的建物だけあって、正面階段には連日朝早くから、結婚式のカップルが記念撮影に詰めかけていた。六百ほどの客席は三層馬蹄型で、その規模の割には音の響きもまずまず。ただ、ステージは、奥行きがあるのに横幅は10米にも満たず、また、両袖がつまっていないなど、ステージマネージャーらは、楽器の配置や音響面で、本番直前まで苦労が絶えなかった。
8時の開演を前に、ベトナムの著名な作曲家や音楽院生など、熱心なクラシックファンが次々と客席を埋めていく。また、服部則夫大使をはじめ日本大使館関係者、ハノイ駐在の外国人家族やヨーロッパ圏の観光客たちも詰めかけてほぼ満席の状態。エルガーやドヴォルザークのよく知られた美しい旋律に合わせ、体を揺らせて聞き惚れている欧米の客に対し、ベトナムの若い聴衆が、二階、三階バルコニー席から身を乗り出し、一音も逃すまいとするかのように身じろぎもせず聴き入っていた姿が印象的だった。ハノイのニュースTVカメラも、舞台上を移動してまで迫真の演奏を写そうとするなど、関心の高さをうかがわせた。
プログラム最後の「新世界より」が雄大なクライマックスを築いて終わると熱狂的な拍手がまき起こった。アンコールの「スラブ舞曲」の後も、聴衆はいっこうに席を立とうとせず、会場一体となった手拍子でさらなるアンコール曲を求め続けた。連日の高い湿度に楽器の状態を心配したことも、音の捉え方の違いなどに戸惑った苦労も忘れ、両団員同士、成功を祝い合う輪がステージ裏のあちこちで見られた。「将来のあるVNSOのようなオケと一緒にやれたことは、僕らにとっても新鮮で貴重な経験でした。音楽の原点に立ち戻れた気がします」と、ソロコンサートマスターの森下幸路が言えば、VNSOコンマスのランも「ファンタスティック」と繰り返しながら涙を浮かべた。「次は日本での合同演奏会で…」と再会を誓い合う双方の団員たち。翌週、ハノイの本名からメールが届いた。「合同演奏会を体験したことで、VNSOの楽員たちの表情は以前にもまして生き生きとしています。大阪シンフォニカーの皆さんのおかげです」
プロ同士の厳しくもなごやかな音楽交流の機運がクレッシェンドで高まり、力強い響きを奏で続けてくれることを期待しつつ…。