第26回名曲コンサート 2003年6月8日(日)【ベートーヴェンの王道】
指揮―松沼俊彦
(2002年ブダペスト国際指揮者コンクール第一位)
ピアノ―山口博明
ベートーヴェン プログラム
■劇音楽「エグモント」序曲Op.84
■ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 Op.73 「皇帝」
■交響曲 第5番 ハ短調 Op.67 「運命」

2003年6月8日(日)第二十七回名曲コンサート批評

「ベートーヴェンの王道」と題された今回のコンサートプログラムは、「楽聖」ベートーヴェンの余りに有名な曲で構成されていて、その意味では正に「名曲コンサート」だった。だが、特に音楽監督が曽我大介氏に交代して以来は、この「名曲コンサート」シリーズは、必ずしもクラシックのビギナー層をのみ、主な聴衆としているのではないことは明らかだ。そのことは、毎回のプログラムが意欲性、登場する指揮者やソリストの豪華で、新鮮な顔触れを見れば分かる。特に今回のコンサートでシンフォニカーは、今年の3月までカヴァーコンダクターを務め、昨年五月にブタペスト国際指揮者コンクールで優勝した、松沼氏と言う新進気鋭の音楽家を指揮者に迎え、しかも古典中の古典、名曲中の名曲ばかりを演奏したのである。これは多少なりとも画期的なことである。
さてその演奏だが、最初の「エグモント序曲」の演奏から確信に満ち、二回公演の夜の部であることを実感させる。この日の編成は大きく(1stヴァイオリンが5プルト)、響きはいつも以上に豊かだ。にも関わらずリズムの取り方が小気味良く古学風で、決してもたれた印象を与えない。このような特徴は、この晩の演奏すべてに当てはまったのだが、ゲーテの戯曲を基にした劇音楽の、序曲にあたるこの曲の演奏では、とりわけチェロ・ベースパートの状態のよさが活きており、立体的でシンフォニックな味わいに富でいた。
序曲のあと、中プロの“皇帝コンツェルト”の演奏のために、ピアノがステージに運ばれてきた。そしてピアノを見て驚いた。ウィーンの「宮廷及び会議所にご用達のピアノ製造者」イグナツ・ベーゼンドルファーの創業した(1828年)工房の手になるこのピアノは、バックハウス(1884−1969)、フリードリヒ・グルダ(1930−2000)といった、往年のウィーンのピアニストたちが愛用したものだが、スタンウェイに比べればローカルな存在というほかなく、日本では生演奏に接する機会は少ないものだ。このピアノは重厚で、それでいてまろやかで、魚の身でいえばトロの様な、特の光沢を感じさせる音をもっている。それをこのような場で、しかも“皇帝”の演奏で実際に耳にできるとは。バックハウスという、この曲を十八番にしていた巨匠ピアニストの録音をこよなく愛する私にとって望外の喜びだった。
この晩の山口氏の演奏は、このピアノからくぐもったような、どちらかといえば女性的でしっとりした音色を引き出しつつ、この曲の持つ技巧的な音形の数々を、細やかに描き出していたが、この曲の持つ華麗さ、豪奢さの表現という点で物足りなかった。この不満は、特に両端楽章について言えたが、第二楽章においてその持ち味は大変効果的に発揮され、水量豊かな緑の中の小川で、大きな美しい魚の泳いでいる情景が想像されるような、その潤いに満ちた、豊かな表現が素晴らしかった。この名演を支えたオケの伴奏は、全体にピアノよりもこの曲にマッチしていたと思う。リズムやフレージングの点で終始清潔であり、しかも決め所を抑えていた。とりわけ終楽章の、のりに乗った調子、威勢のよい表現が印象的だった。
休憩後はいよいよメインプロの第五交響曲、いわゆる“運命”の演奏というわけだが、序曲の評で述べたことが、そのままここでも当てはまった。特に古楽の如き各パートの機動性よさと、小気味よいリズム感といった美点がより一層活かされつつ、弦楽パートのシルクのような手触りも健在。ただ響きの恰幅のよさはすこし後退していたものの、それはこの曲の切迫した雰囲気により合致した表現に繋がったといえる。第一楽章は、多くの名演奏の生まれてきたこの曲の演奏史の中で特に輝く演奏、とまではいかなかったが、二、三、四楽章と後に行くに従って、叙情的で清潔な演奏の特色が活かされだした。
この曲でも、とりわけ緩徐楽章が素晴らしかった。この曲の第二楽章を“運命”全体の中でも特に愛する私だが、実演・録音を含め理想的な演奏というものにまだめぐり会っていなかった。先年耳にしたゲルハルト・ボッセ/神戸室内合奏団の至高の演奏も、第二楽章だけはリズミカルに、論理的に割り切れすぎていた。
この曲の第二楽章の叙情性。それは第一楽章の余りに切迫し突き詰められすぎた闘争のドラマと、壮大な陰から陽へのドラマである第三、四楽章の陰にある、真の“ギリシャの乙女”である。それが、この日のシンフォニカーの演奏により、(私の目前での再現としては)始めて成就したのだ。
切れ目なく演奏される第三、四の二つの楽章の出来は、指揮者の成熟の不足故か、はたまたがく陰の疲労(何しろこの日二回目の本番演奏である)からか、その両方に起因するのか、ともかくレベルは高いにしろ、最上の演奏とはいえなかった。アンサンブルが破綻したというわけではなかったものの、特にベースから発せられる異音が、第三楽章の、ベルリオーズが“像のダンス”と呼んだ低弦に始まる弦のフガート以降、特に耳障りな感じを与えた。これらの演奏の瑕は、昨年九月の第二十三回名曲コンサートの批評でも述べたことだが、一日二回公演の欠点に起因するものだといえるのかもしれない。
とはいえ、この夜の演奏会も、全体に概してレベルは高かった。この、「フェスティヴァル名曲コンサート」シリーズはいったい、今では「フェティヴァル定期」とでも呼べるようなレベルの高いものになってきている。関西の(というより日本の)老舗オーケストラ・大阪フィルハーモニー交響楽団が先般、フェスティヴァルホールでの定期演奏会の幕を閉じた。このホールで、最も頻繁に、最も質の高い演奏会を開いている在阪オーケストラは今や、大阪シンフォニカーのみになってしまった。しかし、「質の高い音楽を、大衆に」というこのオケのモットーの実現するには、ここは最適なホールだと思う。是非この孤塁を、シンフォニカーは守り続けるべきだと思う。それが、関西の音楽界の基盤を支えるオケとしての、シンフォニカーの使命と言うものではないだろうか。
参考ホームページ:日本ベーゼンドルファー
http://www.bosendorfer-jp.com/Bosen/
AUNOEXさん

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