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◆大阪シンフォニカー交響楽団第9回東京公演
「天国的な長さ」と称されるシューベルトのハ長調のグレイト交響曲を、始めから最後まで飽きないで聞いたのは久しぶりであった。一年ぶりにこのオーケストラを聴いた。このオーケストラの正指揮者である寺岡清高は、ざっと見たところオーケストラの団員の平均くらいの年齢で、オーケストラを強引に引っ張るタイプの指揮ではなく、オーケストラと共に仲間意識で音楽を作り上げるタイプの指揮振りであった。指揮者とオーケストラがいい雰囲気である(実はあまりない)ことは、このグレイト交響曲の必須の条件である。かつてウィーンからブタペストまでドナウ川を船で下ったときのことを思い出しながら、いい人シューベルトののどかな音楽を心から楽しんだ。
このオーケストラの印象は、以前聴いたときとずいぶん変わっており、それまでのよくいえば元気な、悪くいえば少々雑なものから、ずいぶん洗練されてきたと思う。とく近年弦楽器グループの統一性の向上は目をみはるもので、この先どの様な発展をするか興味深い。一方管楽器はメンバー表を見ても、以前とそれほどの変化は見られない。悪くはないが、欲を言えばスター性のある客員奏者が入ることによる一期一会の瞬間を楽しみたい。日本の高齢社会の課題は、どこにでもあてはまる。
さて休憩の前は、ソリストに仲道郁代を迎えてのベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番が演奏された。仲道郁代は自らトーク&ピアノ・コンサートを企画しているだけに、公演前の流暢なトークは楽しめた。ベートーヴェンのスコアの中に秘められたオルフェウスのメッセージなど興味深く、また彼女がそこから音楽を積み立てていこうとする意志は、はっきり理解できた。肝心の演奏だが、期待していたその意志が太い柱としての構造物となっていたとは言い難い演奏であった。これは彼女の本質が対峙ではなく、和である以上、ベートーヴェンのピアノ協奏曲に期待される、オーケストラの団員の魂を奮い起こすほどの音楽性、ピアノの音色は残念ながら聴くことは出来なかった。しかしこれを悪い演奏という訳ではなく、むしろ仲道郁代の誠実さ、歌心が十分に感じられる好演であった。一階席はほぼ満員と見受けられた観客も、仲道のチャーミングな演奏と容姿を堪能できたと察する。日本を代表するピアニストとして、仲道郁代の今後の発展を期待したい。
なお協奏曲に先立ち、同じくベートーヴェンの献堂式序曲が演奏された。作品番号124でわかるように、第九と並んで最晩年の、短いが重い曲である。かの朝比奈隆が、ブルックナーの8番よりもベートーヴェンの献堂式序曲の方が、体力的にも精神的にも疲れる…と、あるインタビューで語っていたことを思い出した。(3月4日・トリフォニーホール)
MSさん