第12回東京公演
2009年03月20日(金・祝)
本邦初演!【Doller交響曲】

指揮:児玉 宏(音楽監督・首席指揮者)
ソプラノ:佐々木典子
エルガー     セレナードホ短調Op.20
R.シュトラウス 4つの最後の歌
アッテルベリ   交響曲第6番ハ長調Op.31[日本初演]

※シェフからのメッセージ
▽曲目解説

◆ 大阪シンフォニカー交響楽団の12回目の東京公演は、昨年春から音楽監督に迎えた児玉宏との新コンビを東京で披露するという意味で、楽団の歴史の節目となる演奏会だった。プログラムは、19世紀末から20世紀前半に作曲された、とは言えしっかりと調性感のある、言わば「ロマン派の残照」のような作品を並べた意欲的なもの。特に、スウェーデンの作曲家アッテルベリの交響曲第6番の東京初演とあって、満席ではないものの、常にコンサート会場で見かける熱心なファンが集まる注目の公演となった。

 まず1曲目はエルガーの『セレナード』。児玉が指揮するようになって、大阪シンフォニカーの弦楽器の音色と音楽性が格段に良くなった。力みがなくなり、メロディーだけでなく、各パートの音がしっかりと聴こえるようになっている。また、特にエルガーで特筆すべきは、ヴァイオリンのフレーズに息の長さと柔らかさが出てきたことだろう。まだ、ふくよかな響きとは言えないが、弦セクション全体で、お互いの音をよく聴き合うようになって来たようだ。だからこそ、同じ弦楽セレナードでも、チャイコフスキーやドヴォルザークと違って、フォルテで弾き切るタイプではないエルガーの持ち味が伝わって来た。

 続いてR.シュトラウスの『4つの最後の歌』。独唱は東京二期会を代表するプリマドンナの佐々木典子だが、この日は調子が万全ではなく、声の響きの豊かさには欠けていたのが残念。歌はともかく、オーケストラは、丁寧で行き届いた演奏だった。第2曲「九月」の後奏ではホルンのソロがいい音色を聴かせてくれたが、歌が終わってからテンポがぐっと落ちてソロに入ったのは、歌手の息との関係だろう。第3曲「眠りにつくとき」後半のヴァイオリン・ソロには、1拍、1小節という単位ではなくもっと息の長い音楽を求めたい。第4曲「夕映えの中で」の前奏では第2ヴァイオリンやヴィオラが埋没せずにしっかりとした輪郭を聴かせていた。

 後半は、アッテルベリの交響曲第6番ハ長調(日本初演)。18日に大阪で演奏されているので、厳密には東京初演だが、それはともかく、良い意味で、作品の魅力と大阪シンフォニカーの現状とが余さずに伝わって来る演奏だった。
 アッテルベリの音楽は、ロシアや東欧の作曲家たちのように感傷に走らないところが北欧的。明快な響きを主体としつつも、時に陰翳のある作風。1928年のシューベルト没後100年を記念してのコンクールで賞を得たというから、シベリウスが同じハ長調で書いた第7交響曲やアルバン・ベルクの歌劇『ヴォツェック』の少し後に作曲された作品だが、メロディーが豊かで親しみ易い。3楽章構成で演奏には40分ほどを要する。
 アッテルベリを聴いていて、児玉宏がこのプログラムでやりたかったことがよく見えて来たように思われた。児玉自身が楽団のホームページ上に書いているように、エルガーが世に出る上でR.シュトラウスが一役買っていると言うのも曲目の組み合わせの妙だが、それ以上に、大阪シンフォニカーとともに児玉がやりたかったことは、先入観抜きの真剣勝負で音楽作りをする場だったのではなかろうか。
 ひとが言葉を習得する時には、「読む・書く・話す・聞く」の各要素をバランスよく経験することが必要だ。これはあくまで私の勝手な推測だが、児玉は、オーケストラがより高い境地に達するためには、それと同じように「(楽譜を)読む・(楽器を)鳴らす・(互いの音を)聴く・(全体で)合わせる」という経験をバランスよく共有することが大切だと考えているのではなかろうか。オーケストラの演奏会には後の3要素は常にある。ベートーヴェンでも、大阪シンフォニカーがこれまで東京公演で再三披露してきたブラームスでも同様だ。だが、譜読みから音楽作りを共有するという体験は、新作初演を除けば、そういつでもあるわけではない。実は、今日の3曲は、いずれも大阪シンフォニカーが130回あまり重ねて来た定期演奏会ではまだ一度も取り上げられていなかった作品ばかりなのである。
 アッテルベリは、規模や難易度の面で、現在の大阪シンフォニカーにとってぴったりの作品だったし、感傷に浸ることの出来ない児玉宏の性格にも適していた。第1楽章では、ハープの音が埋没せず、しっかりと聴こえたのが特色。節目節目で、メロディーの縁取りをするような高音が求められる金管セクションには、不安定さも残った。第2楽章では、クラリネットのソロがフルート、そしてオーボエへとリレーされて行く。縦の線を合わせることとは違った面でのアンサンブルが、見事に決まっていた。クラリネットよりも情感豊かに吹いたフルートも良かったが、それを再度冷静に受け止めたオーボエも、持ち味が出ていた。ただ、第2楽章では、第2ヴァイオリンのピチカートの響きの乏しさに課題が残されていたように思う。第2楽章後半から第3楽章では金管や打楽器セクションが健闘。金管は、メロディーを受け持てば、しっかりとしたまとまりを見せられるのだから、第1楽章のようにオーケストラ全体の中でスパイスのような役割を果たさなければならない時にどれだけ機能できるかがこれからの課題だろう。
 上昇機運にある大阪シンフォニカーの「今」をうまく引き出せる児玉宏の懐の深さが聴衆に印象付けられた好企画だった。
(3月20日 すみだトリフォニーホール)   
(C)山之内 英明

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