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◆大阪シンフォニカー交響楽団第105回定期演奏会
正指揮者の寺岡清高が定期演奏会に登場するのは、今回で4度目だが、回を重ねるごとにますます実力を発揮しているように思われる。これまでも誠実な演奏ぶりの中から、音楽に対する熱意や愛情のようなものが感じられたが、今回もしっかりと自分の音楽観を示したと言ってよいだろう。
最初に演奏されたのは、パーセルの歌劇「ディドとエネアス」の序曲と終幕の最後に置かれたディドの辞世のアリアを繋いで、大指揮者として知られたミトロプーロスが弦楽合奏用に編曲したものである。この編曲作品はこれまでに聴いたことがないが、とても美しくまとめられている。演奏は、かなりヴィブラートを抑えたオリジナル楽器演奏風なところもあるが、フル・プルートでの演奏のために、響きが厚くなり、どっちつかずといった印象を受ける。それでも哀切な気分の音と表情が、作品の持ち味をかなりよく伝えていたと言えるだろう。これでもう少しアンサンブルが緻密であったなら、より楽しめただろう。
続くモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第2番は、ソリストあるいは指揮者として、このオーケストラと何度か共演しているヨハネス・レーアタワーを独奏者として演奏された。ここでオーケストラは弦楽器を半数ほどに刈り込んでおり、レーアタワーもオリジナル楽器演奏の奏法なども取り入れて、きわめてスッキリとした表現を聴かせた。ソロはやや線が細いものの、無理のない美音で、とても素直かつ自然な、しかしデリケートさを伴った表情を聴かせており、あまり身振りを大きくしすぎないことも作品にマッチしていた。そしてオーケストラも、レーアタワーに負けず、あらゆるところで音楽的表情に満ちた演奏を繰り広げており、ソロのうしろに回った時も表情を失わないのが良い。こうしたことで、いささかも大袈裟なところがない中で、全曲がエレガントな気品に満ちた演奏になっていた。
最後はチャイコフスキーの交響曲第4番だったが、ここでも寺岡は素晴らしいコントロールでオーケストラを操り、実に明快でいて情感にも不足しない演奏を聴かせた。チャイコフスキーの交響曲の中でも、特に第1楽章と第4楽章が騒々しくなりやすい作品だが、無闇にブラス系を咆哮させることなく、かといって量感に不足するわけでもない、というバランスの良さを感じさせた。それを含めて全曲に亘って、すべての声部が分析的なほどに明瞭に聴き取れるにもかかわらず、オーケストラとしては全体がひとつにまとまり、主張すべき声部はちゃんと主張しているし、どこにもわざとらしさがないのだが、各声部が良くうたっているので、音楽が素直に流れて行く。寺岡のバランス感覚の良さがはっきりと出た演奏と言えるが、加えてリズムが硬直することなく、常に柔軟性を保っていること、大変にデリケートな弱音が使えることなども、今回の優れた演奏の要因となっているだろう。
(12月01日・ザ・シンフォニーホール)
(C)福 本 健