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◆大阪シンフォニカー交響楽団第108回定期演奏会
大山平一郎の指揮で演奏されたのは、ブラームスのピアノ協奏曲第2番とシベリウスの交響曲第1番である。
ブラームスで独奏ピアノを受け持った江口玲は、これまで伴奏者として聴いたことが何度かあるが、協奏曲でのソロイストとしては初めてで、達者なテクニックの持ち主として評判であり、欧米でも活躍して絶賛されていると聞くから、大いに期待していたのだが、結果は予想を大きく外れるものだった。江口は、スタインウェイの持ち味を最大限に生かしたと言える強靱で明快そのものと言える音でダイナミックに演奏した。それはそれで評価できることではあるのだが、テクニシャンにしては細かいミス・タッチが散見されたし、何より表情に感情らしきものがほとんど認められなかったことが残念。例えば第1楽章冒頭、ホルンが柔和な音と表情で奏した旋律を受け継いで弾き始めたピアノは、ホルンの表情とはまったく無関係の強さとアッケラカンとした表情で、オーケストラと同じ音楽を奏でようとしているとは思えないもの。その後もその姿勢は一貫していて、ただひたすら明快に音にするのみ。それはデジタル的とでも言えそうな、きわめて即物的な強弱のみの表現で、楽想に応じた気分とか空気といったものに思いを馳せるといった気配はほとんど感じられない。かと思えば、妙に芝居気を見せてテンポを動かしたりもするが、あまり必然性が感じられない。この曲は、そんなに表面的でなく、もっと深いものが表現されるべき音楽だと思う。オーケストラも、始めは決して悪くなかったのだが、良く言えばダイナミックで情熱的なピアノに引かれてだろうか、曲が進むほどに粗い響きやアンサンブルになるところが多かった。
ブラームスに比べると、シベリウスはずっとオーケストラとしてのまとまりが出ていたし、大山らしい熱の入った表情が楽しめるものになった。それでも、フォルテになると金管楽器群を鳴らしすぎる傾向が強く、決して騒々しいとか粗々しいというほどではないにしても、勇ましくて、もう少しコントロールが効いた美しいフォルテのほうが、シベリウスの音楽にはふさわしいと思う。総じて、振幅の大きな表現を目指したことから、そのようになったのだろうと思うが、弱音や中弱音から急激に最強音にもってゆく時に勢いづいてしまうのではないだろうか。美しく、情感を感じさせる弱音に対して、そこまで盛り上げなくても十分に強音の効果は出せるはずである。そのようなこともあって、今回は何となくざわついた印象を拭えなかったのだが、楽章が進ほどにバランスに落ち着きが加わってきたことが救いだった。
(4月7日、ザ・シンフォニーホール)(C)福 本 健