◆ このところ、毎回のように滅多に演奏されない曲がプログラムに載っているが、第137回の今回も、また珍しい曲が並んだ。【チェコからの手紙】と題され、さらにサブ・タイトルとして[マルティヌー没後50年]も付けられた今回のプログラムは、20世紀前半のチェコを代表する作曲家ボフスラフ・マルティヌーの「2つの弦楽合奏とピアノ、ティンパニのための二重協奏曲」と「リディツェ」、そして19世紀後半のチェコを代表する作曲家ドヴォルザークの交響曲第6番で、指揮はチェコのウラディーミル・ヴァーレックである。ヴァーレックは大阪シンフォニカー交響楽団の首席客演指揮者を務めていたこともあるので、馴染みの人も多いと思うが、これまでもチェコの作品を中心に、誇張や歪曲のない誠実な演奏を聴かせてきた。今回も、まさにそのヴァーレックらしい演奏を披露した。
まずマルティヌーの協奏曲だが、左右に分かれた2群の弦楽合奏の間に、指揮者と向かい合うようにピアニスト(奈良田朋子)が座り(つまりピアノは通常のように横向きではなく、縦に置かれている)、その後ろにティンパニ(小谷康夫)が位置する。曲は、バロック音楽の合奏協奏曲の伝統を現代へ再生させたものと解説されているが、本来、合奏協奏曲はソロとトゥッティの掛け合いが聴き所となるものだが、マルティヌーのこの曲は、もしピアノとティンパニが独奏楽器ならば、第2楽章でピアノが独奏する部分があるところを除くと、ほとんどソリスティックに活躍するところがなく、いわゆるオケ中(オーケストラの中のひとつの楽器)のピアノとティンパニとしか思えない。ひとつにはピアノの大屋根が付いたままで、それもほとんど閉じられた状態であったために、音がこもってしまうことも関係していたかも知れない。もし2群の弦楽合奏のどちらかがソロで、もう一方がトゥッティだとすれば、あまりにソロとトゥッティの対比が無さ過ぎる。書法も複雑で、どうもどっちつかずの曲という印象で、それで30分の演奏時間は、やたら長いだけだった。しかし演奏は十分に練習を積んだと分かる手堅さを示しており、いかにも職人的なヴァーレックらしさは示された。続く「リディツェ」は、ナチスによって消滅された村の名前のことで、その悲劇に対するチェコ人の想いのようなものが込められた作品と言える。音楽も暗く重々しいものだが、マルティヌーの曲としては旋律が明快で書法も複雑過ぎず、この曲に込められた感情を共有できるかどうかは別にして親しみやすい部類に入るだろう。演奏もそうした悲劇的な内容であることを明らかに伝えるもので、重い足取りや響きの鬱としたところなどに、チェコ人ヴァーレックの心情が感じられるもの。オーケストラも緻密なアンサンブルと豊かな響きで十分にそれに応えていた。
後半のドヴォルザークは、例えば「新世界より」は別格としても第7番や第8番に比べて、必ずしも人気が高いとは言えない交響曲だが、ここでもヴァーレックはきわめて手堅くまとめていた。前半に比べて、ずっと活力のある音楽作りで、オーケストラを開放的に鳴らし、ドヴォルザークの比較的若い頃の作品にふさわしい力のこもりようだった。部分的にではあるが、少しパワフルに鳴らし過ぎと思えるところもあったり、もう少し色合いの変化や陰影の豊かさが欲しいと思えるところもあったが、まずは作品の持ち味を過不足なく伝えた演奏であった。(7月16日・ザ・シンフォニーホール)
(C)福本 健