◆ 《児玉宏のブルックナー》と題された今回の定期は、当然ながらメイン・プログラムはブルックナーの交響曲で第6番。当楽団の音楽監督で首席指揮者の児玉は、音楽監督就任前からブルックナーの交響曲を積極的にとり上げてきており、今回が5曲目となる。第6番はブルックナーの交響曲の中では、おそらく最も演奏される機会が少ない曲のひとつに違いない。そして確かに曲の性格は、どちらかと言えば地味と言えるだろう。しかし、児玉の手に掛かると十分に魅力的な曲で、しばしばブルックナーの交響曲で感じる長々しさも、意識することのないうちに全曲が終わっていた。
これ以前の4曲(第3、7、5、1番)と同様に、今回の第6番も明晰この上ないブルックナー演奏となっていたのである。粗野と言えるほどに力強くて武骨なブルックナー(それがブルックナーだと言われればそれまでだが)とは違い、十分にパワフルさを感じさせながらも、少しも力で押しまくるところがなく、良くコントロールを効かせて各声部を明快に紡いでゆく。下手をすれば声部が入り乱れて混沌とした状態(そんな演奏も度々耳にしてきた)になることも少なくないが、児玉の指揮の下では声部間のバランスが絶妙で、ほとんどすべての声部を聴き取れる。そして音楽の流れが少しももたつくことがなく、きわめてスムースで、心地よく流れてゆくのである。少し洗練され過ぎていて、クールな印象を受けるところもないではないし、主要な楽節ではない経過的な部分で、少しアンサンブルがざわついたりしたところもあったにしても、ため息の出るような第2楽章終結部を筆頭に、全体を通してはまことに美しいブルックナーであった。
それに先駆けて前半に演奏されたのは、R・シュトラウスのオーケストラ伴奏付き歌曲5曲で、ソプラノの天羽明惠が迎えられていた。歌われたのは「東の国から来た3人の聖なる王」「子守歌」「私の眼」「黄昏の中の夢」「あした」で、天羽はこれらを無理のない発声の美しい声で、きわめて堅実に、しかも過度にならない情感を込めて歌い上げた。この5曲は児玉が『聖母マリア』をキーワードとして選曲したもので、それぞれ別の機会に作曲されたにもかかわらず、5曲を通してひとつのドラマを感じるとして選ばれたという。そのためかシュトラウスの歌曲の中では、あまり艶やかさや派手さのない、むしろ敬虔さを感じさせるような曲ばかりが並んでしまったが、それだけにまた味わい深いという結果になっていた。オーケストラもまことにデリケートで、まさに情景描写的に多彩な表情が、わざとらしくなく自然に表現されていた。これらを聴くと、児玉は本当に雰囲気醸成がうまいと思う。にもかかわらず残念なことがひとつ。これは演奏自体ではなくて聴衆の問題なのだが、このシュトラウスでは1曲ごとに拍手が入って、興を削いだことである。プログラム・ノートに目を通せば、児玉が5曲をひとつのドラマと感じていることは分かるし、たとえ目を通していなくても、曲間で拍手をした時、演奏者(天羽も児玉も)がそれに応えてお辞儀をするなどの反応を示さない時は、そこでは拍手をして欲しくないという意思表示だと解して欲しいものである。実際、2人とも1曲目が終わった時の拍手に反応しなかったにもかかわらず、以後の曲間もすべて拍手が入ったのである。もしそれがなかったら、もっと味わい豊かな演奏になっていたかも知れない。(10月16日・ザ・シンフォニーホール)
(C)福本 健