◆ 今回の定期は、正指揮者の寺岡清高による【ベートーヴェンと世紀末ウィーンの知られざる交響曲】全4回シリーズの最終回で、演奏されたのはベートーヴェンの交響曲第8番とフランツ・シュミットの交響曲第4番である。
最初のベートーヴェンは、活力があって勢いのある音運びが、この交響曲にピタリと当てはまった感じの好演。第1楽章などは少しパワフルに過ぎるという思いも残ったが、曲の持ち味である弾むリズムの面白さは十分に生かされていた。第2楽章以降も生き生きとした表情で演奏されており、弦楽器と管楽器の絡みや旋律の受け渡しなどもスムースで美しい。何よりも主旋律以外の各パートが、添え物のようになることなく、十分に音楽的表情を伴っていたため、隅々まで表情が生きており、聴いていて心地よい。この交響曲は、いわゆる緩徐楽章がなく、基本的に急速楽章ばかりが続くため、気をつけないと変化に乏しいという印象を与えやすいが、その点では少し勢いのある曲の進め方ばかりになってしまっていたようにも思われる。しかし総じては、小細工を排したオーソドックスな表現の中に端々にデリケートなニュアンスを窺わせて、味のある演奏になっていた。
フランツ・シュミットの交響曲は、わずかながらCDも発売されていることで、聴く機会がないわけではないが、実演で聴けることは稀であり、筆者も今回が初めての実演体験となる。書き上げられたのは1933年ということなので、【世紀末】からは外れるが、その音楽内容はまさに世紀末の後期ロマン派風の交響曲と言えるものである。通常の交響曲の4つの楽章に相当する4部からなるが、全曲は切れ目なく続けて演奏される。第1部冒頭に現れる主要主題と言うべきものからして、調性感が曖昧で、その中にロマンティックな味わいを宿しているところがシュミットらしいところと言えるのだろうが、例えばマーラーやブルックナーなどのように、一聴して個性的と言えるような旋律法がシュミットの場合は感じられない。部厚い響きや対位法的書法の活用などに、同時代の先輩作曲家たちの影響を感じることもできる中で、響きの華麗さという点で最も共通していると思えたのはR・シュトラウスである。シュトラウスでなくても、このような官能的といえるような響きをオーケストラから出せるのだと言うことを確認できただけでも得をした気分。第2部での主要なメロディのロマンティックな美しさも特筆できる。一方、第3部は重厚なフーガ書法が支配的で、なかなかに複雑な楽譜のようで、演奏も難しそうな気配。どうも調性が定まらない旋律法や複雑な書法など、必ずしも親しみやすい曲とは言えないだろうが、最後まで面白く聴けたのは、ひとつには演奏が良かったこともあるだろう。珍しい作品を、とにかく音にしましたという段階を越えて、しっかりと音楽的表現に結び付け、曲の持ち味を伝えることに成功していたからである。寺岡は、そもそも奇抜なアイデアや目先の面白さを追うタイプの指揮者ではないので、今回も楽譜から感じ取った心の声を、真摯に、そして集中力を切らすことなく反映させ、そしてオーケストラがそれに良く反応した結果ではないかと思う。(2月10日・ザ・シンフォニーホール)
(C)福本 健