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◆ このところ、実演に接する機会がほとんどない曲がプログラムに乗ることが多いが、今回もすべての曲が演奏されることが滅多にないものばかりが並んだ。あまり演奏されないから、それは駄作だと言うつもりはないが、隠れた名曲があるにしても、やはり演奏されないのは、それなりの理由があるからだろうと思う。当楽団の音楽監督で首席指揮者の児玉宏は、積極的にそうしたあまり演奏されない曲に光を当て続けている。今回演奏されたのは、ウォルトンのバレエ組曲「賢い乙女たち」とR・シュトラウスの「クープランのクラヴサン曲による小管弦楽のためのディヴェルティメント」、そしてグラズノフの交響曲第5番である。
ウォルトンの曲は、バッハのカンタータからの合唱曲やアリア、あるいはオルガン・コラールをもとにした、いわば編曲作品のようでもあるが、実際にはかなりデフォルメされており、しかし20世紀の作品とは思えないほど美しく聴きやすいものになっている。一方のR・シュトラウスもタイトルにある通り、クープランを原曲とした編曲作品だが、ウォルトンの管弦楽の扱いに聴かれる楽器法の軋みのようなものはなく、きわめて洗練かつ熟達したオーケストレーションが聴かれて、これもまた大変に典雅で美しい曲となっている。児玉はこれらを、まさしく心地よく聴かせたのである。ウォルトンの最初の頃は、少しアンサンブルのまとまりに欠けたように思われるが、第2曲以降はずっと良くなり、R・シュトラウスはまさにほのぼのとした暖かさと柔らかさに貫かれた美しさであった。両曲とも基本的にまったく力みのない円やかな音で演奏されていたからだが、そこまでコントロールされていると、オーケストラは解放されるとか発散できる場所がなくて、なかなかきつい状況だったろうと推測するほど。しかし、だからこそこのような美しい演奏ができるのだと確信する。ただR・シュトラウスは、楽想や雰囲気は色々と変化するにもかかわらず、そうした美しさが終始一貫するだけに、いささか冗長さを感じさせる結果になったのも事実。
休憩後のグラズノフも、前半にも増して楽しめる演奏であった。グラズノフのロマンティックな旋律線の持ち味を最大限に発揮させるべくテンポの揺れを多用して、すべてのパートをたっぷりと歌わせる一方で、パワフルでダイナミックな表現もとって映画音楽ばりの効果的な表情も生み出しているのだが、そのどこにもわざとらしさや細工といったものが感じられず、きわめて自然な音楽の流れを生んでいたこと、またどこを取っても騒々しさや荒々しさとは無縁であるところが見事と言えよう。それは、この曲にしては少し洗練されすぎという印象すら与えるものだが、曲の持つ美しさや魅力を伝えるのに、美しすぎると文句を言うことはない。交響曲としての作品の出来は特別すばらしいとは思えないが、良い演奏で聴けばこれほど楽しめるものなのだということの典型と言って良いだろう。そう言えば、児玉がこれまでに指揮した珍しい作品も、すべてそう言えるものだった。
(3月17日・ザ・シンフォニーホール)
(C)福本 健