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◆ 正指揮者の寺岡清高が登場した今回の定期は、「ベートーヴェンと世紀末ウィーンの知られざる交響曲」全4回のシリーズを終えた彼が、新たに始める全3回の「ブラームス探訪」シリーズの第1回である。残りの2回もすでに内容が発表されているが、何とも凝ったと言うか、よくこれだけ珍しい作品を集めたものと感心するほどである。その中で第1回の今回は、まだオーソドクスなプログラムと言えるほうだろう。何故なら、演奏されたのはブラームスのセレナード第1番とピアノ協奏曲第1番だったからである。その通りの順で演奏されたので、後半のメイン・プログラムが協奏曲になった点は、少し異例と言えるだろうが、曲の内容から考えれば後半にセレナードを持ってくるより、落ち着きがよいとも言える。
それにしても、ブラームスの作品を聴いた時にしばしば思うことだが、この作曲家はどうしてこうも印象深い美しいメロディを書かない(書けない?)のだろうということ。とにかくセレナードにしてもピアノ協奏曲にしても、口ずさむことが出来そうな印象深いメロディはほとんどない。それを巧みに扱って聴き手に感銘を与えることができる作品を生み出すのだから、それは凄いことだとも思う。しかしセレナードは、聴いている時はちょっといいな、と思いながらも、直後にはほとんど忘れていると言えるほど、印象に残りにくい曲である。だから、あまり演奏される機会も多くないのだろうとも言える。つまり、聴き手に強い感銘を与えるように演奏するのは難しい曲である。それを敢えてプログラムに載せた寺岡の意気込みを感じながら聴いたが、やはり良くまとめたという以上の感銘は覚えなかった。第1楽章は少し調子に乗りきれなかったという印象だが、その後はまずまずの演奏で、かなり細部に亘って細やかな表情付けを行い、丁寧に音にしていた様子は好ましいものだったし、第2楽章のスケルツォや第4楽章のメヌエットでの柔らかいリズムや穏やかで優美な表情も魅力的だった。つまり寺岡としては、できることはしっかりとやっていたのだ。しかし作品そのものが持っている以上のものは表現し得なかったというところだろう。
セレナードと同じ頃、ブラームスがまだ若くて20代前半で作曲したピアノ協奏曲での独奏者は、オーストリア出身のクリストファー・ヒンターフーバーである。近年、ドイツ・オーストリア系のピアニストがあまり活躍していないと思われるのだが、そんな中でヒンターフーバーは注目株なのだろう。実に安定したテクニックを持っているし、独特の円やかさを感じさせる音の質も良い。ブラームスのピアノ協奏曲、特に第1番は、若々しい情熱と意気込みが重なり合って、きわめてダイナミックに曲が作られているため、ややもするとパワーで圧倒する演奏を聴かせるピアニストが少なくないが、ヒンターフーバーはコントロールを効かせて決して荒々しい音を出さず、かと言って音量的な乏しさを感じさせることもなく、オーケストラの音に埋もれない豊かさを聴かせた。そうした技術的な堅実さに加えて、表現もきっちりと押さえるところは押さえた堅実さを示していた。ただ全体に耽美的とでも言おうか、大変美しく弾き上げていたのだが、その堅実さの奥というか裏というか、その表現に奥行きが感じられれば、もっと印象深い演奏になっていただろうと思われる。オーケストラはここでも検討していたが、響きにもう少しふくよかさが加われば、さらに良かっただろう。
(5月28日・ザ・シンフォニーホール)
(C)福本 健