12月27日の感動の第九の曲目解説
モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 KV.595

モーツァルトの最後の年、1791年の初頭を飾るのがこの協奏曲です。モーツァルトにとってのピアノ協奏曲とは、ピアノの達人としてのモーツァルトの名人芸が披露される、「予約演奏会」の目玉でした。元々「予約演奏会」とはモーツァルトが新作を披露するために、貴族の間に「予約名簿」というものを回し、有る程度観客の人数と経済的な目途をつけて開催されるというシステムの演奏会で、いわば今日のプロ・オーケストラの定期演奏会の遠い祖先とも言えるシステムなのですが、モーツァルトの予約演奏会は1788年頃から段々予約者が集まらなくなり、予約演奏会自体が成り立たなくなってきます。この協奏曲もじつは1788年頃に書き始められ、途中で演奏の目途が立たなくなったのか、三年間も「棚上げ」されることになります。この予約演奏会のキャンセルは、当時のウィーンの貴族の間でのモーツァルトの人気が特に下がったというわけではなく、トルコ軍との戦争による膨大な量の戦費の出費が、貴族の演奏会などへの出費を減らさざるをえなかった事に起因すると考えられています(なにやら昨今の文化事情とも似ていますが)。さて、1790年の末期に入って翌年の3月の宮廷料理人、イグナツ・ヤーンの店で行われる慈善演奏会の為にこの協奏曲は再び書き始められます。この店は、現在でも「カフェ・フラウエンフーバー」として現在でもウィーンに残っていて、モーツァルトの最後の住居からほんの歩いて1分の所にあります。この3月4日の演奏会がモーツァルトが公開の演奏会に出演した最後の演奏会となってしまいます。
 かつてのモーツァルトの協奏曲は大編成の「華々しい」ものも多かったのですが、この27曲の最後を飾る曲は当時の演奏事情に合わせてか、フルート、オーボエ、ファゴットというシンプルなオーケストラ編成で、曲調も伝統的な様式を用いていますが、「渋めの」、「円熟した」モーツァルトの凝縮した書法がここに見られる大傑作です。

ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 op.125 「合唱」

 日本では平成12年度末に演奏された、「第九」交響曲の数は159回だそうです。音楽史上から見れば一つの「金字塔」であるとともに、「異端児」であるこの第九交響曲がこの様に広く日本で受け入れられ、演奏されるようになったのもこれはこれで一つの文化と思います。
 ウィーンのリング・シュトラーセ沿いにドイツロマン派の疾風怒濤形式を培った二人の詩人の像がこの環状道路を挟んでにらみ合う様に立って居ます。一人がゲーテそしてもう一人がこの合唱終楽章のテキストを書いたシラーです。両者とも文学的なドイツロマン派の芸術を築き上げた存在であり、精神的な面でドイツ音楽にも影響を少なからず残したのです(ライヴァルを互いに相反するように立たせるのがいかにもウィーン的なのですが)。ベートーヴェン自身が描いた合唱交響楽としてはこれ以外にも、ピアノソロを含んだ合唱幻想曲や荘厳ミサ曲、フィデリオの囚人の合唱などが有りますが、度重なる戦火に日常生活が脅かされていた当時、高らかに詠みあげたシラーの友愛の精神は、ベートーヴェンに交響曲の終楽章に合唱曲を持ってくるという冒険をさせたのでしょう(実はベートーヴェンは後にこの交響曲を合唱無しで書き換えるつもりだったらしいのですが)。
 今年後半に入り、再び世界は戦火に巻き込まれつつあり、私たちの身の回りでさえその影響が生活の不安として、肌で感じられ始めています。日本では余りにも演奏される機会が有りすぎるきらいがある、「第九」ですが、やはり精神的な原点に立ち返って行くとき、この様な時代だからこそこの曲を歌い継いで行く意味が有るのではないでしょうか?
  今回は「一応」演奏には使用楽譜として「ベーレンライター版」を使いますが、私自身は最近の流行としての「新校訂版」使用には批判的な立場をとっています。当然演奏家としてベートーヴェンのこの曲に対する成立や、ベートーヴェン自身が関わった校訂に関しては知っているべきなのですが、今までの版に取り上げられていなかった「物珍しい」部分が強調される演奏にはしたくないのです。まま新校訂版には校訂者の「物珍しい発見」がさも作曲家の本来の意図であるかのように取り入れられています。私はそれよりも作品の持つ本来の和声的、旋律的な美しさ、まま「継ぎ接ぎ」に見える合唱終曲の力のバランス、オーケストラ、合唱の音色の美しさ、活き活きとした演奏といったところに最大限の配慮をして今夜演奏したいと思っています。
 ところで海外での「第九」の演奏はどのように行われているのでしょうか?
 ドイツ語圏での「第九」というのはやはり特別な行事として「節目」に当たる日付に演奏が行われている事が多いようです。オーストリアでも(最近残念ながらその伝統が絶えてしまいましたが)日本の様に年末、大晦日、新春にウィーン交響楽団とリンツ・ブルックナー管弦楽団が第九を演奏していました。ドイツのとある街では戦没者記念の日に第九を演奏する伝統があって、あるとき「この様な日に歓喜を謳うことはふさわしくない」等という論議が起き、新聞を賑わせたことがあります。また私の師であった、シノーポリとドレスデン・シュターツカペレの最後のアジア演奏旅行がマエストロ・シノーポリの「アジアのコーラスとこの曲を分かち合いたい」というたっての希望によりこの曲が演奏されたことも記憶に新しいです。
 全ての人々にとって特別な第九交響曲。そして大阪シンフォニカー交響楽団の起源とも言える第九交響曲。私達は「言い古された諺」という物を馬鹿にしてしまうきらいがありますが、先人達の知恵を大切に、常に新鮮な気持ちをもって未来に受け継いで行くことが私たちの使命であり、また今晩皆さんとまた「温故知新」の第九の時を分かち合えることが出来れば幸いです。

(無断転載を禁ずる)(C)曽我大介

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