2008年03月28日第11回東京公演〜曲目解説首都圏に住む音楽ファンの大阪シンフォニカーに対するイメージといえば、「日本のオーケストラに於けるインターネット情報伝達のパイオニア」じゃないかしら。
運営開始からそろそろ10年になろうという同団公式ホームページhttp://www.sym.jp/をご覧あれ。芸術系団体には無駄に凝ったサイトも多いが、実用本位のすっきりしたものだ。が、だがその内容たるや、演奏会情報やチケット購入にとどまらない。東京公演や特別演奏会も含めた過去の演奏データベース、音楽用語辞典、曲目解説集まである。驚くのは、プロ音楽評論家による演奏会批評が掲載されること。褒めるだけではなく問題点も指摘した辛口な内容だ。このところ音楽雑誌などではあまりお見受けせぬ人気評論家、「でーやん」こと出谷啓氏の評論が読めるのも、ファンには嬉しい。
自分らの活動の社会的意味や目的をはっきり自覚しなければ、ここまでのサイトはできまい。大阪シンフォニカー、畏るべし。
◆エルガー:ヴァイオリン協奏曲 ロ短調
ウスターでピアノ調律師の息子に生まれたエルガー(1857-1934)は、ほぼ独学で作曲を学び、イングランド中部の地方楽士となった32歳で9歳も年上の女性に熱愛。結婚後ロンドンに登るが成功はならず、失意で田舎に戻る。やがてそのカンタータ作品が評価され始め、1899年にはロンドンで初演された「エニグマ変奏曲」が大成功。世紀転換直後の「威風堂々」は国民的大ヒットとなり、ナイトに叙されるまでに出世した。
世紀転換期頃には、エルガーの名声は国際的になる。1905年、ヴィーンの若き名手クライスラーが、「エルガーは現存する最大の作曲家」と新聞記者に語り、翌年に正式に協奏曲を委嘱。早速スケッチを開始したエルガーは、困難にぶつかりつつも、1909年にはヴァイオリン協奏曲の総譜を完成。翌年には作曲者指揮、クライスラー独奏で初演された。作曲者は強い愛着を抱いた作品だが、なぜかクライスラーの方はこの作品に興味を失い、録音も遺さなかった。
第1楽章、アレグロ、シンフォニックな協奏曲ソナタ形式。管弦楽がロ短調の重厚な第1主題を提示、続いてクラリネットが「アネモネ主題」と呼ばれる優しい第2主題を導く。再び第1主題が出される途中から、テーマを閉じるように独奏ヴァイオリンがやっと加わる。可憐な「アネモネ主題」が堂々と再現するのが印象的だ。第2楽章、全曲の中心を成す変ロ長調のアンダンテ。独奏ヴァイオリンがハードボイルドな抒情を歌いあげる。第3楽章、アレグロ・モルト。「威風堂々」風主題、独奏と管弦楽が担うより広々とした力強い主題、さらに繊細な第3主題と、次々と繰り出される。楽章の聴き所は、分割された弦、クラリネット、ファゴット、ホルン、ティンパニーが伴奏し、完全に総譜に音符が記された巨大な独奏のカデンツァだろう。ここで、ピチカート・トレモロの響きの上の「アネモネ主題」から、先行楽章の素材が哀しげに回想される。第1楽章第1主題の記憶でカデンツァが終わると、楽章冒頭のアレグロ・モルトが戻り、華々しさの中にも哀愁を残しつつ閉じられる。
◆ブラームス:交響曲第2番 ニ長調
ハンブルグで生まれ、ドイツ圏を音楽の徒弟のように転々としたブラームス(1833-97)は、ようやく30歳近くになって帝都ヴィーンに腰を据えた。40歳を過ぎ、20代から弄っていた最初の交響曲を発表。そのベートーヴェンの精神を継承した交響曲と絶賛される。
翌1877年初夏、ブラームスはイタリアまでもう一足の南オーストリアのペルチャッハを訪れる。南アルプスに囲まれたこの町は、交通の便と静けさを兼ね備えた場所だった。ここで新交響曲に着手した作曲家は、前作と一転、夏の間わずか数ヶ月でほぼ完成。別の保養地バーデンバーデン近郊リヒテンタールに移って仕上げ、年末にヴィーンでヴィーンフィルが初演、これまた成功を収める。ニ長調の明るさと歌に満ちた音楽は、創作に帝都の空気が関与していないからか。それ故に、一頃は「ブラームスの《田園交響曲》」などと呼んだともあったようだ。
第1楽章、アレグロ・ノン・トロッポ、ソナタ形式。低弦が二・嬰ハ・ニと半音下降上昇するモチーフを呟き、金管と木管が繊細にして優美な歌を奏でる。冒頭の3音動機は交響曲全体のモチーフだ。挿入されるホルンの旋律やらワルツ風の挿入楽想が魅力的なのは、この作曲家のイメージと異なるかも。第2楽章、アダージョ・ノン・トロッポ、ロ長調の歌。ブラームスの交響曲は、外側楽章に比べると内側2楽章の規模が極端に小さいのが特徴である。第3楽章、アレグレット・グラツィオーソ、ト長調。ハンガリー舞曲まではくだけないものの、簡素なロンド形式はアンコールピースのよう。ニ長調に戻った第4楽章、アレグロ・コン・スピリート。ニ音を求めるような冒頭動機は、ソナタ形式を支える主題にまで拡大され、華やかに展開する。コーダに向けての高揚に、第1交響曲のようなドラマ性はまるで感じられない。いかにもブラームスらしい終曲である。
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