2010年12月27日 特別演奏会「感動の第九」曲目解説
■ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-91)
ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K.4661781年ウィーンに移住したモーツァルトは、ピアノ演奏、作曲、レッスンなど忙しい日々を送っていました。そうした中、大きな収入源は「予約演奏会」(貴族等から予約を募って開く自主公演)であり、その看板演目がピアノ協奏曲でした。彼はこれを1784年には6曲も生み出します。
しかし1785年、それまで耳当たりのよかったピアノ協奏曲が、突然、深くドラマティックな音楽に変わります。その幕開けが、2月11日の予約演奏会で初演された第20番。前日に完成したため、写譜が間に合わず、終楽章は事前に通す余裕もなかったといわれるほど、多忙な時期の作品です。
同曲は、モーツァルト初の短調による協奏曲であり、悲劇的、ロマン的な感情表現によって、後世に大きな影響を与えました。特にベートーヴェンはこの曲を好み、第1、第3楽章のカデンツァを残しています。
突然の深化については、前年末の思想団体フリーメイスン加入が云々されますが、その辺は不明瞭。ただモーツァルトが、内なる芸術的欲求を、より強く作品に反映させ始めたことだけは確かです。彼のニ短調作品は、「ドン・ジョヴァンニ」「レクイエム」など迫真的であり、人気絶頂期にあえてそのような曲を書いた点に、意欲が窺えます。
曲は、陰鬱な動きに始まるシリアスな第1楽章、天上的な清澄さを湛えながら、中間部は激しいト短調となる第2楽章、激動しつつも最後は長調に収束する第3楽章……と続くシンフォニックな音楽。本日は、同じニ短調の「第九」の前触れとしての役目も果たします。■ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(1770~1827)
交響曲 第9番 二短調 作品125《合唱》“音楽史上の記念碑”と賞されるこのベートーヴェン最後の交響曲は、第8番から12年の時を経た1824年に完成されました。第1番~第8番が1800年から12年までに完成しているのを知れば、空白の長さがわかります。この間ベートーヴェンは、耳の病の悪化、内臓疾患、甥カールの後見問題ほか不安事項を多々抱えていました。それに何より、交響曲1曲ごとに新機軸を打ち出してきた彼は、次なる方向性を模索してもいたのでしょう。そして遂に生み出されたのが、声楽を盛り込んだ、この画期的な交響曲です。
1818年に着想を開始。実質的には、1822年末から1824年2月までの間に作曲されましたが、ベートーヴェンは、ロンドンのフィルハーモニー協会からの依頼で着手していた交響曲と、シラーの「歓喜に寄す」を用いた別の声楽付き交響曲の発想を、1823年に合体させています。
初演は、1824年5月7日、ウィーンのケルントナートーア劇場で行われ、大成功を収めたと伝えられています。耳の聞こえないベートーヴェンは、テンポを指示するなど「総指揮」として参加していました。このとき「終演後、歌手の一人がベートーヴェンの手をとって聴衆の方に振り向かせ、彼は初めて皆の熱狂に気付いた」との有名なエピソードが残されています。
曲は、当時最大級のオーケストラと、4人の独唱、4部合唱によって演奏される壮大な音楽。声楽は第4楽章の途中から加わります。
神秘的な出だしから壮大に広がる第1楽章、特徴的なリズムが続く第2楽章、美しさと安らぎを湛えた第3楽章と続き、第4楽章は、嵐のような出だしの後、最初はオーケストラだけで進行。前の3楽章の主題が回顧されては打ち消され、低音弦楽器が「喜びの歌」の旋律を提示します。冒頭の嵐が戻ると、バリトン独唱が登場。合唱を主体にした様々な局面を経て、華麗に終結します。
シラー(1759-1805)は、ドイツの劇作家&詩人。戯曲「ウィリアム・テル」でも知られています。「歓喜に寄す」は1785年の作で、ベートーヴェンはその一部を採用しています。ただし「おお友よ」というバリトンの歌い出し部分はベートーヴェンの作詞。ここで「このような調べではなく、もっと喜ばしいものを」と宣してから「歓喜の歌」へ移るのですから、まさしく“苦悩を経て歓喜へ”のメッセージを表わしています。
この曲、初演後は演奏機会が減り、傑作と評価されたのは、1846年にワーグナーが演奏してからのこと。その後、“人類の平和と喜び”を訴える内容に即して、歴史的なイベント等で演奏される機会が増え、日本では20世紀半ば過ぎから年末の定番となりました。柴田克彦(音楽評論家)