2005年12月01日 第105回定期演奏会曲目解説
◆パーセル/ミトロプーロス:「ディドとエネアス」より
英国の大作曲家ヘンリー・パーセルのオペラ「ディドとエネアス」は1689年、全寮制の女学校で初演された。日本の元禄2年。赤穂浪士の討ち入りより13年も前のことだ。もっとも日本でも歌舞伎がこの時期にほぼ完成していたから、もし西洋と自由に往来できて、幕末の開国早々このオペラの翻訳が上演されていたら、江戸の人はかえって「なんだ、『椿説弓張月』の翻案じゃねえか」と思ったかも知れない。祖国滅亡による貴種の英雄の放浪と他の地での再起に悲恋がからまるストーリーは、源為朝を扱った曲亭馬琴の小説『椿説弓張月』とたしかによく似ている。鎖国体制の中では、両者の交流はあり得なかった。
エネアスはトロイの王子で、トロイの滅亡後、イタリアに向かって船出するが、嵐によってカルタゴに漂着し、カルタゴの王女ディドと恋仲になる。しかしエネアスにはローマを建国する使命がある。ここのところは、神と魔術師が介在してややこしいが、ディドは恋をあきらめ、エネアスを旅立たせるため、死ななければならない。 原作は古代ローマ最高の詩人ヴェルギリウスがローマ建国を描いた民族叙事詩「アエネーイス」で、その中のディドとエネアスの悲恋の部分を英人ネーハム・テイトが脚本にし、パーセルが作曲した。弦楽合奏と声部の見事な造形力は、現在でも立派に鑑賞にたえる。
ミトロプーロスの編曲は、哀切さと、劇的な盛り上がりを暗示する序曲に、第3幕のディドの辞世の悲痛なアリアをつなげて、この悲劇を最短距離で表現しようとする。古代叙事詩の凝縮された極致をここに見るわけである。
◆モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲 第2番 ニ長調 K.211
この曲は「ギャラントな感じ」と、たいていの評論家はおっしゃる。そういわれると、ことばだけが一人歩きして、なんとなくわかった気持ちになるが、いったい「ギャラント」ってなんだ!それは17世紀のバロック様式のあとを受け、フランスを中心に18世紀中期に流行したロココ様式に関係している。繊細さと同時に、軽妙洒脱な装飾性が特徴で、つまり精神の内面性に重きを置かず、見た目の華麗さと楽しさを追求する。
第1楽章の初めの方で、美しい女性たちが、スカートをひらめかして遊び興じている風景を連想させるメロディが出てくる。ギャラントは、現代のフランス語でも女性にやさしく色っぽく振る舞う意味に使われているようだから、実態がはっきりしてくる。この気分は、つづく第2楽章アンダンテ、第3楽章ロンド――アレグロにも一貫している。 モーツァルトは有名な3番、4番、5番を含む5つのヴァイオリン協奏曲を、すべて1775年4月から12月までの間につぎつぎと作曲した。19歳のころで、この1775年は「ヴァイオリン協奏曲の年」と呼ばれている。1番はオーストリア的、2番はフランス的だが、その後だんだんドイツ色が濃くなり、構成も複雑になってくる。1年に5曲もたてつづけに作曲して、「千篇一律」にならない点、やはり天才である。
◆チャイコフスキー:交響曲 第4番 ヘ短調 op.36
この第4交響曲は、チャイコフスキーの人生にとっても、作風の上でも画期的な作品である。1877年秋、37歳のチャイコフスキーは結婚の失敗に悩み、服を着たままモスクワ川につかり、危うく凍死するところを助けられた。ほぼ同じ時期に、彼を敬愛する富豪のフォン・メック未亡人から多額の年金提供の申し出があった。イタリアなどに転地療養することができたのは、この年金のおかげで、チャイコフスキーはこの人に献呈するために第4交響曲を書いた。 それまでの3つの交響曲はすべて表題がついており、交響曲というよりはむしろ組曲に近いものだった。チャイコフスキーの最初の師アントン・ルビンシュテインは、彼にドイツ・ロマン派の音楽をたたきこもうとしたが、彼はグリンカ以来のロシアの民族的表現にこだわっており、それが師との不和を生み出していた。
アントンの弟、ニコライ・ルビンシュテインにモスクワに招かれ、首都のペテルスブルクを離れてから、チャイコフスキーは、ようやく着実な成熟に向かって進み始めた。民族的な表現が、交響曲の作曲手法と一致する境地を見出したのである。
チャイコフスキーはこの曲のことを「私たちの交響曲」とメック未亡人に書き送り、各楽章についても、手紙で細かく説明している。第1楽章の冒頭に高鳴るのは「運命」の動機で、これは曲のなかに、かたちを変えてたえず現れ、苦悩しながら彷徨している人間を、常に追いつめようとする。ここには不幸な結婚の体験が反映されている。その悲哀がもっとも執拗に表現されているのが第2楽章だが、ほのかに甘美さがただよっている。第3楽章はピッチカートで酒に酔った状態を、これも執拗に表現し、第4楽章は「運命」の旋律のなかで、なんとかまわりの人々と楽しもうとする状態を描く。ベートーヴェンのように運命への勝利をうたいあげないところが、チャイコフスキー的である。
パーセル、モーツァルト、チャイコフスキーの今夜の3曲は、ほぼ100年おきに作られた。期せずして西欧音楽史を凝縮しているようである。(無断転載を禁ずる) (C)雑喉 潤 (音楽ジャーナリスト)