2006年01月20日 第106回定期演奏会曲目解説
■生誕250年を祝うモーツァルト・イヤーの幕がいよいよ上がりました。世界、そして日本の各地でこの一年、彼を記念する夥しい数のコンサートが催されることでしょう。
本大阪シンフォニカーでも来年の春までに、数回のオール・モーツァルト・プログラムによるものを含め、彼の作品がプログラミングされている定期演奏会が予定されています。
今宵はそのような定期の第一回目。演奏順とは前後しますが、第二曲目のモーツァルトの作品からご案内したいと思います。
モーツァルトが生まれたのは1756年の1月27日の夜。そして亡くなったのは1791年12月5日の午前1時前とされています。今日演奏される《クラリネット協奏曲 イ長調》はその死の年の二ヶ月前に書かれた最後の完成作品と言ってもよいものです。
ところで、この曲は1784年に知り合って以来昵懇の仲であった当時のクラリネットの名手シュタードラーのために書かれたのですが、クラリネットを用いたモーツァルトの作品が名曲ぞろいなのはシュタードラーという存在があったからこそだと言われています。
そもそもクラリネットという楽器は18世紀初頭に現れ、その世紀中頃に前古典派のマンハイム楽派の作曲家たちが重要視し始めたものの、モーツァルトでも交響曲では1782年の第35番「ハフナー」で、ハイドンに到っては1793年の第99番で初めて取り入れたくらいの楽器でした。ところが、シュタードラーと出会うことによってモーツァルトは、潜んでいたクラリネットの能力と本質を射ぬき、その魅力を開花させて世の中に示したのです。それは、《管楽器とピアノのための五重奏曲》や《クラリネット五重奏曲》、そしてこの作品に見事に現れるのですが、この楽器の音質が持つ情感の深さと官能性がまさに彼の音楽の本質を掬いとるにふさわしいものであったとも思われます。
いずれにせよ名曲に多言は無用です。この音楽と死との関係について考えるのも、じっくり味わってからでも遅くはありますまい。第一曲目に戻りましょう。
《悲劇的序曲 op.81》はブラームス(1833-1897)が、クララ・シューマンに献呈した曲で、1880年、第2番と第3番のシンフォニーの間に書かれました。
普通序曲と言えば、オペラや音楽劇の導入として作られ、その劇内容や雰囲気を凝縮して提示する音楽のことを言いますが、19世紀になるとそのような性格を担いつつ、独立した楽曲として書かれるものも現れてきました。たとえば、同じ年にブラームスが作曲した《大学祝典序曲》はそのような音楽です。そしてこの《悲劇的序曲》もおそらくそういった作品だろうと思われます。ただ、この曲についてはゲーテの〈ファウスト〉上演のための序曲ではないかという説もあり、また成立過程についても様々議論されてきています。
さて、ブラームスはこの序曲を「泣く序曲」と言っていたと伝えられていますが、彼がどのような意味でそう言ったかは不明なものの、この曲に現れる、彼の交響曲などでも聞こえる重い足どりや厚い響き、美しくも暗鬱な歌はそのような感情の表現を目指していると確かに感じられるのです。
ところで、いつの間にかベルリンの壁崩壊から17年、ソビエト連邦の消滅から15年を迎えようとしています。ということは、今の20歳より下の人たちの大半は「東ドイツ」とか「ソビエト」とかを言葉の上だけでしか聞いたことがない、あるいは無関心だと、それらの言葉さえ全く知らないということになります。
けれども、ショスタコーヴィチ(1906-1975)の音楽について語るときソビエト社会主義政権との関係を切り離すことはできません。少年期に1917年の革命を迎えた彼は、作曲家として活動を開始して以後、芸術家の創作活動は社会主義の精神に拠って大衆を改造する思想的任務と結びついていなければならないという「社会主義リアリズム」の国家的要請(強制)の立場から幾度も批判にさらされました(ちなみに、社会主義国でなくともそれはありえ、戦時中の日本では芸術家の自発的な行動という体裁をとりながら国威発揚以外の表現をとれない状況が生み出されたことを忘れてはいけません)。芸術創作は個人の内面の自由があってこそ成り立つものですから、芸術家にとってこれはほとんど圧殺とも言うべきものなのですが、ショスタコーヴィチはそのつど権力とのさまざまな距離をとり、新たな作品を書いて、亡命することなくソビエト国内で創作活動を続けたのです。
でも、そこまで言うのは急ぎ過ぎというもの。《交響曲第1番 ヘ短調 op.10》が生み出された時点ではまだ彼は直接には政治に翻弄されていないのですから。というのは、この作品は1925年完成の、ショスタコーヴィチがレニングラード音楽院卒業制作として書いた曲で、いわば習作といえるものなのです。
ところが、これが、のちの彼の音楽スタイルを聞き取ることのできる大傑作。作曲者自身はこの作品を「グロテスク交響曲と呼ぶにふさわしい」と言っていて、表現の上で意識的に誇張と対比を繰り出しますが、その機知に溢れた展開は私たちに新鮮な驚きを与えるとともに、ある種の音楽上の決意とも呼べる緊迫感に圧倒されます。加えて、ここに聴かれるのは伝統的な語法を吸収した上でそれを踏まえつつ時代の先端に立とうと言う気概とその優れた結実。
この曲、こうした清新さと高度な出来映えゆえに、またたくまに欧米各国で演奏されるようになったのですが、それが、この優れた才能を社会主義の成果として宣伝利用しようとする政権との軋轢を以後生じさせることにもなったのですから、歴史とは皮肉なものです。(無断転載を禁ずる) (C)網 干 毅 (関西学院大学教授・音楽学)