2007年09月12日 第120回定期演奏会曲目解説
今夜、定期演奏会の指揮をとる児玉宏が、来年4月より大阪シンフォニカー交響楽団の音楽監督、首席指揮者に就任することになった。これまでの当団との2回の定期演奏会や関西二期会のオペラ公演における指揮ぶりを聴く限り、大阪シンフォニカー交響楽団は本当に素晴らしい音楽監督を手に入れたと思う。彼らの最初の出会いにおけるブルックナーの交響曲第3番を耳にした時は、まさに衝撃にも似た感動を経験したが、今回の定期演奏会も、メーンは、初回の第3番、第2回目の第7番に続いてブルックナーの交響曲第5番。この作曲家の交響曲は、付け焼刃的な技量や浅薄な音楽性ではとても太刀打ちできない音楽だけに、前2回も彼の実力のほどを思い知らされたのだが、今回は大曲の第5番。音楽監督就任を前にして気合のこもった演奏会になることは間違いないだろう。今後この素晴らしいコンビの演奏が定期的に大阪で聴けることになったことを心から喜びたい。
■ ヨーゼフ・ラインベルガー:オルガン協奏曲第1番 ヘ長調 作品137
CD時代になって多くの知られざる作曲家が日の目を見るようになってきた現在においても、実演で取り上げられる機会がほとんど無いため、わが国の聴衆にとっては未知の存在にとどまっている作曲家は少なくない。父の仕事の関係でリヒテンシュタインのファドーツに生まれたドイツの作曲家のラインベルガー(1839〜1901)もそうした一人だろう。7歳にしてファドーツの教会のオルガニストを務めるなど早くからその才能を発揮した彼は、後に学んだミュンヘン音楽院でも進境著しく、早くも1859年には教員として迎えられている。その後も聖ミヒャエル教会オルガニストやミュンヘン合唱協会の指揮者にも就任、1867年にはミュンヘン音楽院の教授に就任し、終生その職から離れることはなかった。また1877年にはバイエルンの宮廷楽長にも任命されるなど、いわば18世紀後半の南ドイツにおいて最も高い名声を誇る教師、作曲家として活躍した人だったのだ。今日演奏されるのは、オルガニストとしても活躍著しかったラインベルガーが得意の技を生かしたオルガン協奏曲の第1番(作曲年不詳)。オルガンはソロ楽器としてさほど派手に扱われているわけではないが、例えば第1楽章では、弦楽合奏とホルン3本という簡素な編成のオーケストラと絶妙に融け合って非常に厚みのある響きを創出し、まさにマエストーソとの指示通り、後期ロマン派ならではの構えの大きな音楽がソナタ形式にのっとりながら展開される。またアンダンテの第2楽章では、夢見るような美しい抒情と柔和な響きがいかにもロマン派らしい温かい雰囲気を醸し耳に心地よい。最後のコン・モートと表示された第3楽章はオーケストラ、オルガンともに前2楽章以上に活発な動きと掛け合いを見せ、オルガン・ソロのカデンツァを挟んだ後、壮大な響きの中に幕を閉じる。
■ アントン・ブルックナー:交響曲第5番 変ロ長調 WAB105
周知のように、ブルックナー(1824〜1896)は曲を完成してからも、友人などの助言に従ってたびたび改訂を繰り返した。それゆえほとんどの交響曲がいくつかの稿を持つという変則的な事態が起こってしまった。現在では、初稿こそが、他人の意見が入る前のブルックナー独自の音楽観を表すものであるとして、原典版により重要な価値をおく傾向が強いが、友人などの助言に従ったとは言うものの、改訂稿もまた彼自身の手になるものであることに間違いは無く、今となっては、どの稿がブルックナー自身の意図に最も忠実であったかを確かめることは難しい。それゆえ演奏に当たっては、常に稿選びが指揮者の悩みの種になってきた。しかし幸いなことに、今日演奏される交響曲第5番は、一応の完成から最終的完成までに1年の空白期間があるものの、ブルックナー自身が根本的な改訂の手を加えることは無かった稀な例である。初演は、この曲が1878年に最終的に完成してから実に16年も経た1894年に弟子のフランツ・シャルクの手によってグラーツで行われたが、この初演譜に基づいていると考えられる1896年に出版された初版(シャルク版)は、シャルクの手によってかなり大幅な改変を加えられたもので、現在これが演奏されることは、わずかな例外を除いてほとんどない。今日演奏のために使用されるのは、1935年にハースの手によって校訂された原典版であるが、1951年に出版されたノーヴァク版とも、わずかな誤植などの訂正などを除いて基本的な違いはない。
この作品の全体的な特徴は、他のどの曲にも増して壮大で、宗教的ともいえる荘厳な雰囲気と力強い強固な意志が全曲を通して漲っていることだろう。作曲者自身がこの曲を「対位法的」と呼んだように、この作品には当時、音楽理論の権威であったヘルベックやゼヒターなどさえ驚かせた、ブルックナーの完成度の高い対位法的作曲技法が最大限に駆使され、まさに音の大伽藍ともいうべき音世界が構築されているのだが、それが自ずと作品に敬虔で厳格なカトリック的雰囲気を付与し、「カトリック的」「中世風」「コラール風」「信仰告白」などと一般に呼ばれることにもつながるのである。
ブルックナーの交響曲としては唯一の序奏における低弦の神秘的なピツィカートと金管の雄大なコラールの対比に始まり、対位法や転調の妙、さらには豪壮な響きを持ったオーケストレーションを駆使して生み出される宇宙的な拡がりを感じさせる第1楽章、深い祈りの情感に満たされた第2楽章、テンポの速いスケルツォとレントラー風のスケルツォが頻繁に交代しながら、間に挟まれる牧歌的なトリオとの対比も絶妙な第3楽章、第1楽章の回想に始まり、3つの主題を持つフーガとソナタ形式を結合させるという大胆かつ綿密な技法から生み出される、比類のない壮麗さで聴く者に圧倒的な偉容を持って迫ってくる終楽章、いずれの楽章もがブルックナーならではの天才が余す所なく示された傑作といっても過言ではないであろう。(C)中村 孝義(無断転載を禁ずる)