2008年06月20日第126回定期演奏会〜曲目解説ウォルトン:戴冠式行進曲「王冠」
ウィリアム・ウォルトン(1902〜1983)は、マンチェスター北東の工業都市オールダムに生まれ、10歳のときにオックスフォードのキリスト教会の合唱児童となり、12歳のころから作曲を始めた。そして早くも20代の後半には《ヴィオラ協奏曲》(1929年完成。初演の独奏はヒンデミットが担当した)などによって、当代のイギリスを代表する作曲家と見なされるに至った。映画音楽の分野でも活躍したが、晩年の作品は保守的かつ内省的に傾いたといわれる。本日演奏される《戴冠式行進曲:王冠》は、本来1936年11月に行われる予定であったエドワード3世の戴冠式のために委嘱された曲であるが、戴冠式が行われないままエドワード3世が同じ年のうちに退位する事態となったため、結局後継のジョージ6世の戴冠式(1937年5月、ウエストミンスター寺院で行われた)において、皇太后メアリーの入場のときに演奏された。楽譜の冒頭の部分に Allegro reale (王のアレグロ)と記されており、ハ長調で、きびきびとしたリズムを伴いながら厳かに進んでゆく。変イ長調のトリオからは、エルガーの《威風堂々》が想起されよう。なおウォルトンは、ジョージ6世の後継となった現在の女王エリザベス2世の戴冠式(1953年)のときにも委嘱を受け、《戴冠式行進曲:宝玉と王の杖》を作曲している。
R.シュトラウス:交響詩「マクベス」Op. 23
リヒャルト・シュトラウス(1864〜1949)は、《サロメ》《エレクトラ》《ばらの騎士》《ナクソス島のアリアドネ》をはじめとするオペラの作曲家として活躍したが、それに先立つ19世紀末の時期に、「音の詩(Tondichtung)」と称する7つの管弦楽作品を発表した。これはリストの創始した「交響詩(Symphonische Dichtung)」に連なる標題音楽のジャンルであり、両者の違いについて美学的な論議があるものの、邦語題名としては一括して「交響詩」という名称が用いられている。本日演奏される《マクベス》は、それらのうち最初に着手された曲で、1886年、作曲者22歳のときにスケッチが開始され、88年にいったん完成したが、曲の終わりに、マクベスを打ち倒したマクダフの勝利の音楽を置いたことについて、マイニンゲンにおける上司であったハンス・フォン・ビューローから賛意が得られなかったため、しばらく放置することになった。やがて改訂が行われ、1890年10月13日、ヴァイマルにおいて作曲者の指揮で初演された。しかしシュトラウスは自身のオーケストレーションに満足できず、再び改訂を行い、その形での最初の演奏が1892年2月29日にベルリン・フィルによって、やはり作曲者の指揮により行われた。その間に2作目の交響詩《ドン・ファン》、3作目の《死と変容》も初演されているから、《マクベス》は最初の曲としては、ことのほか困難な歩みをたどったといえよう。副題に示されているように「シェイクスピアのドラマによる」作品であり、第6小節に (Macbeth) と記入され、第64小節には (Lady Macbeth) との表記に続いて、シェイクスピアの作品の第1幕第5場でマクベス夫人が帰館する夫への思いを語る「早く、ここへ帰っていらっしゃい、わたしの魔力をあなたの耳の中へ注ぎこんであげるから[後略]」(三神勲訳)というせりふが引用されている。マクベスの主題は付点のリズムを伴って、ニ音からオクターブ半上のイ音まで跳び上がり、7度下降して変ロ音に達してから急速な上昇運動に移る形、マクベス夫人のそれはイ音のトレモロに乗って木管が高音域でいわば蛇のようにくねくねと動く形。曲は二人の人物の性格像をこうした音楽的主題として形成し、その上で、自由なソナタ楽章として組み立てられている。また、展開部には曲冒頭の闘いのモティーフが金管の最強音で2回奏され、それぞれの後にフェルマータの付いた総休止が置かれている個所があるが、そこは第3幕第4場で、マクベスに殺されたバンクォーの亡霊が2回現れる個所と対応しているとも考えられよう。
プロコフィエフ:交響曲第7番 嬰ハ短調 Op. 131 「青春」
セルゲイ・プロコフィエフ(1891〜1953)は7曲の交響曲を書いた。第1番は有名な《古典交響曲》(Op.25)で、ロシア時代の1916年から翌年にかけて作曲され、「新古典主義」のさきがけともなった作品である。1918年から1933年までの外国滞在時代には、第2番(Op.40)、第3番(Op.44)、第4番(Op.47)が書かれたが、第4番は戦後に大幅な改訂が施され、新たな作品番号(Op.112)のもとに公にされた。続く第5番(Op.100)は、第二次世界大戦の最中にあった1944年、「人間の精神の偉大さを讃える交響曲」として書かれ、プロコフィエフの交響曲のなかで最も成功した作品となっている。第6番(Op.111)は1947年に完成。「われわれの時代とわれわれの国においてかくも輝かしく啓示された人間精神の力にたいする歓呼」を表現した作品として書かれたということで、新しいソビエトの体制への賛意を示したものとも考えられる。本日演奏される第7番(Op. 131)は、作曲者が亡くなる前の年に完成。彼がこの曲をソビエトの青年たちに捧げる意向を持っていたことから「青春」という副題が添えられたといわれるが、最晩年の巨匠が自己の青春を晴れやかに、ときには茶目っ気もまじえながら回想している作品ともいえよう。初演は1952年10月18日、モスクワで、サモスードの指揮で行われた。第1楽章 モデラート。嬰ハ短調に始まるいくぶん悲しい感じの第1主題と、ヘ長調に始まる伸びやかな第2主題を中心にソナタ形式で作られている。第2楽章 アレグレット。パロディ的な感じもあるワルツ楽章である。第3楽章 アンダンテ・エスプレッシーヴォ。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番の緩徐楽章を想わせる静かな楽想に始まり、木管のソロとともに中間部に移ってゆく。第4楽章 ヴィヴァーチェ。序奏の後、主要楽想が威勢よく登場し、きびきびとした副楽想や、いくぶん柔らかい3番目の楽想とともに、ロンド形式を構成。やがて第1楽章の第2主題も再び登場し、凱歌のように高らかに奏される。
(C)根岸一美(大阪大学文学研究科教授)(無断転載を禁ずる)