2008年09月12日第128回定期演奏会〜曲目解説大阪シンフォニカー交響楽団の新しい時代が幕を切って落とした。最初の出会いから目を見張るような素晴らしい音楽をオーケストラから引き出した児玉宏が、この4月から音楽監督・首席指揮者に着任したのだ。その最初の出会いとなったのが、忘れもしないブルックナーの交響曲第3番だった。その時までブルックナーとはさほど縁が深いとはいえなかったこのオーケストラから、これほど素晴しいブルックナー・トーンがあふれ出すとは予想もしていなかっただけに、オーケストラがどのような響きや 音色、さらには音楽を奏でるかは、結局指揮者の責任だということに改めて納得した次第だ。そしてそれ以来、ブルックナーの交響曲の演奏を第7番、第5番と重ね、いずれも感動的な演奏によって、第3番が決して偶然の産物ではなかったことを示し両者 の絆はますます深まった。今後の定期演奏会のプログラムを眺めていると、児玉の意 向を受けて実に興味深い作品やめったに耳にできない作品が目白押し。期待がいやがうえにも高まるが、今回は彼らを強く結びつけたブルックナーの何と第1番。これまためったに実演では耳にできない作品だが、ブルックナーの原点が示された貴重で興味深い作品。前半の世界最高のヴィオリスト今井信子との共演と合わせて、絶対に聴き逃せない一日となることだろう。
■モーツァルト 協奏交響曲変ホ長調K.364(320d)
モーツァルト(1756〜1791)がその一生で旅していた日数を数えると、何と三日に一日は旅をしていた勘定になる。まさに旅漬けの一生であったといえるが、だからこそモーツァルトはモーツァルトになり得たのだともいえる。彼は一度耳にしたものをすぐさま諳んじることができたが、さらに特別であったのは、それを巧みに消化し、いつしか自分の世界と解け合わせてしまう稀有の才能を持っていた。彼の体内に入った音楽は、再び彼から流れ出る時、その姿を一変させ、人の心に深く浸透しないでは措かない特別の音楽へと変容したのである。
実は今日演奏される協奏交響曲もその典型的な一例である。このジャンルは、彼が1777年から79年にかけてマンハイム、パリへと大旅行した際に、彼の地で大流行していたもので、彼も大きな関心をそそられ、パリで1曲(紛失)、帰郷後半年を経 た1779年の夏に2曲の作品に着手している。結局完成したのは1曲のみで、現在彼の真正の協奏交響曲としてはこの1曲が知られるのみである。
当時マンハイムやパリで作られていたものと聴き比べれば直ちに分かるが、スタイルの点ではそれらからの様々な影響が感じられるものの、音楽としての質には格段の差があり、モーツァルトと言う作曲家の段違いの凄さを感じさせないわけには行かない。この作品では彼がこれまでの協奏曲などで取ってきた華美で軽めのギャラントな書法は影を潜め、心に深く刻まれる内実の深さが顕著となっている。とりわけソナタ 形式による深い響きと恰幅の大きな表現を持った第1楽章、モーツァルトならではの哀しさを湛えた第2楽章、それらを一層引き立たせるかのように軽快に振舞われる終楽章など、いずれも耳にして胸を締め付けられない人はいないだろう。やや暗めの音色を持ったヴィオラを明るく響かせるため、ヴィオラのパートを半音高く二長調で書いているのも興味深い。本日の二人のソリスト山田晃子と今井信子が、児玉宏にどう対峙してその深さを引き出すか楽しみだ。■ブルックナー 交響曲第1番ハ短調1865-66[リンツ版]
ブルックナー(1824〜1896)は生涯に番号付きの交響曲を未完も含めて9曲残した。そして今日演奏されるのはその第1番。しかしこの曲がブルックナーにとって最初の交響曲であったわけではない。今やよく知られている事実だが、彼はこれに前後して2曲の交響曲(習作交響曲、第0番)を作曲していた。ただブルックナーが今日演奏される交響曲を第1番としたことにはそれなりの意味がある。なぜなら第1番と明記したからには、この曲こそを、自分が世に問う最初の交響曲と位置づけようという意志が明確に示されているからだ。作曲家と言うものは、初めて公にその作品を世に問う時それなりの覚悟が要求される。なぜならもしそれが不評や失敗に終わった時、評価を取り戻すことが至難の技となるからだ。いつも自分の作品の改訂に思いを寄せ、いささか自信無さ気であったブルックナーが、初めて世に問う覚悟ができた交響曲こそがこの第1番だったのだ。
自筆譜に記された作曲の日付によれば、この交響曲は1865年の3月10日にスケルツォ及びトリオのスケッチが完了したことに始まり、1866年の4月14日に全曲が完成されたとされている。ただ1865年1月29日付の友人ルードルフ・ヴァインヴルムに宛てた手紙の中に、ハ短調交響曲に取り組んでいるとの記述が残されており、それから推測されるに、どの部分かは定かでないにせよ、1865年の1月あたりから取り掛かったと見てよいだろう。まだ彼が聖フローリアン大聖堂のオルガニストを務めていた時代のことである。
この曲もご他聞に漏れず1877年、1884年に修正を加えられたようだが、リンツ版完成後四半世紀も経った1890年から91年にかけてさらに改訂を行い、いわゆる〔ウィーン版〕を完成させた。ただこのウィーン版は、この曲の力強さにあふれた素朴な美しさが、金管を派手に扱った華美さにより損なわれた感が拭えず、今日ではリンツ版がより高く評価されている。私はこのリンツ版による第1番を、若きアバドがウィーン芸術週間でウィーン・フィルを振った実に生きのよい清新な演奏によって初めて耳にしたが、その時以来この作品を聴くたびに、ブルックナーの意気込みと、彼の作曲家としての可能性の大きさを強く感じる。なかなか完成度の高い作品なのに、1868年の初演後、1891年のウィーン版が演奏されるまで再演されず、また1935年に至るまで出版もされなかったのは驚き以外の何ものでもない。児玉宏がシンフォニカーの定期演奏会で取り上げてくれたことに感謝したい。
冒頭の行進曲風の低弦の刻みに乗って登場する活力に満ちた第1主題や変ホ長調による優美な第2主題を中心にソナタ形式による凝縮された音楽が展開される第1楽章、 ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》体験後に書かれた楽章で、ワーグナーの音楽からの影響も感じられる神秘的な表情を湛えた三部形式による緩徐楽章の第2楽章、例によってレントラー風の田園的気分や一抹の憂いも感じさせるトリオを持った見事なスケルツォの第3楽章、挑みかかるような力強い第1主題と歌に満ちた第2主題を中心にソナタ形式が展開され、最後はハ長調による凱歌が高らかに歌われる第4楽章の4つの楽章からなる。(C)中村孝義(大阪音楽大学学長・音楽学)(無断転載を禁ずる)