2008年12月04日第130回定期演奏会〜曲目解説

■ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 作品30
 映画音楽のように甘いメロディーと「古き良き世界」への郷愁。セルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)の一般的なイメージはそのようなものだろう。しかしピアニストにとって、ラフマニノフは通俗イメージで片付けられない孤高の存在であり続けているように思う。
 ピアノという楽器は、打鍵した音があっという間に減衰する。この楽器は、ロシア人好みの濃厚な歌を作り上げるのに実は不向きなのだ。豊かな響きを生み出すには、音が痩せないように、絶えず細かく鍵盤を打ち続けなければならない。こうしてラフマニノフは、ピアノの譜面にびっしり音符を書き込むことになる。
 ラフマニノフの音楽にどこか悲壮な表情がただよっているのは、おそらく彼が時代の変化に翻弄されるロシア貴族だったせいだけではない。彼は、ピアノでロシアの音を響かせるという、砂漠に大河を作るのに似た難事業に挑み、なおかつ舞台裏を一切表に見せることなく、ダンディな冷静さを保ち続けた。1909年に完成したピアノ協奏曲第3番は、そんなラフマニノフのピアニズムが生み出した金字塔である。
 第1楽章(ソナタ形式)の2つの主題は、いずれも小声で静かに歌いはじめられる。第1主題はロシアの聖歌を思わせ、オーケストラによる第2主題は付点リズムでわずかに弾む。ピアノ独奏は、この2つの主題を提示部で壮大な音響へと増幅し、展開部では一転して嵐のような逆境に突き落とす。2つの主題の再現も、ピアノのカデンツァ風のパッセージのなかに織り込まれている。こうしてこの楽章のほとんどの部分は、ソリストのリードで進行する。ところが最後に、何事もなかったかのように冒頭の主題が戻ってくる。ピアニストの全身全霊を捧げる努力は、夜明けと共に消え去ってしまう夢や幻だったのだろうか。
 第2楽章は一種の変奏曲。入念に仕上げられたオーケストラの主題をピアノ独奏が多彩な表情で変容させてゆく。そしてひとつの主題にこだわる堂々巡りをピアノの短いカデンツァが断ち切り、第3楽章が切れ目なく導かれる。
 第3楽章(ソナタ形式)の第1主題は軍楽風に勇ましく、第2主題は馬上で胸を張る偉大な英雄を連想させる。しかし展開部の後半には、不意に既存の楽章の回想がまぎれこみ、音楽の陰影を強めている。

■ラフマニノフ:交響曲 第3番 イ短調 作品44
 1917年にロシア革命を逃れてアメリカへ渡ったあとでも、ラフマニノフにとっては、祖国ロシアこそが着想の源泉であったとされる。しかし彼は本当に失われた祖国だけを思い、自分を暖かく迎え入れてくれたアメリカ合衆国に無関心だったのだろうか?
 移民の国アメリカのクラシック音楽は、ヨーロッパの「良いところ取り」で成り立っていた。ストコフスキーやオーマンディを招いて、どこにも影のない絢爛豪華なサウンドを作り上げたフィラデルフィア管弦楽団は、楽天的なアメリカの象徴と言ってよいだろう。ラフマニノフのアメリカ時代の管弦楽曲の大半は、このオーケストラによって初演された。1935年から翌年にかけてスイスの別荘で作曲された交響曲第3番も、1936年11月6日にストコフスキー指揮、フィラデルフィア管弦楽団が初演している。
 この作品は、ロシア時代の内省的で迷路のように込みいった作品群に比べると、あっけないほどわかりやすい。「方言丸出し」と言いたくなるほど、あからさまにロシア風の交響曲である。ラフマニノフは、もしアメリカに来なければ、これほど露骨に「ロシアへの思い」を表明することはなかっただろう。孤高のロシア貴族の心の壁を溶かしてしまうアメリカの楽天性に、私たちは改めて驚くべきかもしれない。
 第1楽章は、短い序奏をともなうソナタ形式。管楽器の憂鬱な第1主題と、チェロの明朗な第2主題の対比は、まるでチャイコフスキーに先祖返りしたようだ。ただし展開部で、ゾクっとする冷たい響きや、乾いた打楽器が主題を翻弄する。第一次大戦後の新しい感覚が、控え目な隠し味として効果を発揮していると
言えるだろう。
 第2楽章は帝政ロシア時代のバレエ音楽を思わせる。主部は妖精が愛らしく踊るかのようであり、中間部で、悪者たちが乱入するようにスケルツォが割り込む。
 第3楽章は、単刀直入な導入句に続いて、晴れやかな主題を、大広間のシャンデリア風に明るい響きが包む。思い詰めた愛の告白や、おどけた管楽器など、登場人物は多士済々で、中間部に入ると、突如、壮大なフーガがはじまる。さらに、再現部の直前には、グレゴリオ聖歌「怒りの日」(「ファ・ミ・ファ・レ・ミ・ド・レ」というジグザグの動き)が出現するのだが、最後に、この不吉なお葬式の歌が可愛らしい踊りに仕立て直される。死神をも仲間に引き込む、ロシア流の骨太の祝宴である。
(C)白石知雄(無断転載を禁ずる)


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