2008年02月13日第132回定期演奏会〜曲目解説

◆ベートーヴェン(1770-1827) 交響曲 第4番 変ロ長調 作品60

 「激動が新たな潮流を生み出す」などと書くと、陳腐かもしれない。だが西洋音楽の歴史に限っても、そうしたケースはたしかに存在している。
 たとえば、ベートーヴェンの交響曲第4番、第1楽章序奏部の場合。様々な動機が浮かんでは消えつつ、数多の調性のあわいを漂って、最後にはビッグ・バンのごとき頂点を築く。尋常ならざる緊張感を湛えている点、既に交響曲第9番の出だしを彷彿させる内容だ。
 この作品が生まれたのは、1806年のこと。前年には、ナポレオン率いるフランス軍がウィーンを一時占領した記憶も生々しい時期だった。
 特にベートーヴェンにとってみれば、ショッキングな事件だったろう。一時は交響曲第3番を献呈しようかというほど崇拝していた英雄が、傲慢な侵略者として自らの第二の故郷へ乗り込んできたのだから。そんな不安と狼狽とを如実に反映しつつ、だがかえってそれを起爆剤として斬新なアイディアを散りばめた作品の一つこそ、当交響曲である。
 一つ序奏に限らない。第1・4楽章に漲る、交響曲第7番もかくやという推進力。その第1楽章では、ティンパニの長大なロール打ちに導かれてクライマックスが築かれ、第4楽章では無窮動風のメロディが多様な楽器によって次々受け渡されるといった具合に、オーケストラにしてみれば手ごわい場面が随所に用意されている。第2楽章に幾度となく現れる付点を基調としたリズムや、第3楽章を特徴付ける3拍子と2拍子が目まぐるしく入れ替わるがごとき拍節感なども、ベートーヴェンの新境地をうかがわせるものばかり。
 スコアの指定ではフルートが1本、ホルンが2本と、前作の交響曲第3番に比べて楽器編成が小さい。また後にシューマンは当作品を、「2人の北欧の巨人(交響曲第3番と第5番)に挟まれたギリシアの乙女」と評した。こうしたことから、何やら大人しいイメージの付きまとう交響曲だが、どっこい、その中味は今なお鮮烈さに溢れている。

楽器編成:フルート1、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦五部
演奏時間:約30〜35分

◆ロベルト・フックス(1847-1927) 交響曲 第3番 ホ長調 作品79

 ところで、このベートーヴェンの交響曲第4番に深い感銘を受けた若者がいた。その人こそがフックス。1865年、故郷を離れハプスブルク帝国の都ウィーンへとやって来た18歳の彼は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会で件の曲を耳にした。
 この出来事と前後してウィーン楽友協会音楽院(1909年にウィーン芸術アカデミーへと改組)へ入学したフックスは、時の音楽界の大立者オットー・デッソフに師事。彼の指揮するウィーン・フィルによって、度々作品を取り上げてもらう栄誉に浴すのみならず、ブラームスの知遇を得、彼が選考委員をつとめるベートーヴェン作曲賞を二度にわたって受賞した。管弦楽曲・器楽曲・オペラ等様々なジャンルにわたって作曲活動を展開し、特にセレナーデについては「セレナーデのフックス」との異名を得るほどの人気を博す。番号の付されたものだけで、生涯にわたって117曲もの作品を残した。
 また作曲活動とならび、ウィーン楽友協会音楽院教授(和声学)として、マーラー、ヴォルフ、ツェムリンスキー、シュミットといった人物を輩出した。オルガニストとしての腕前も高く評価され、ピアリステン教会(ここでブルックナーやロットもオルガンを弾いていたことがある)はもとより、宮廷礼拝堂にも活躍の場を広げた。
 だが順風満帆なフックスの生涯にも、徐々に影がさし始める。彼を折りに触れて支援してくれたブラームス、さらにはその盟友だった評論家のハンスリックなど、ブラームスのシンパが相次いで世を去るに及んで、音楽界の勢力地図が変化。19世紀後半に喧しかった「ブラームス派=保守派vsワーグナー派=革新派」という対立構図を乗り越え、マーラーやツェムリンスキー等の若手作曲家が新時代の音楽を作り始めた。
 こうした状況の中、フックスは「ブラームスの亜流」と見なされ、生ける化石のごとき扱いを受けてゆく。1912年には、ウィーン芸術アカデミーを半ば強制的に引退させられ、その後はアドモントというオーストリア南部の田舎町に隠居の身となった。 そんなフックスによって1906年に書かれた作品が、交響曲第3番である。初演は1907年2月19日ウィーン楽友協会大ホール、演奏はフェルディナント・レーヴェ指揮するウィーン・コンツェルト・フェライン、作曲者60歳の誕生を祝っての出来事だった。客席の反応はまずまずだったが、フックスにとっては不満な出来栄えだった。オーケストラのパート譜に幾多のミスがあり、団員がそれを訂正して練習し直すことを拒んだからだ。
 やがて1914年になると第一次世界大戦が勃発。4年後の1918年には、ヨーロッパに冠たる勢力を築き上げてきたハプスブルク帝国が、敗戦を機にあっけなく崩壊した。時代の波が荒れ狂う中、交響曲第3番は再上演の機会になかなか恵まれず、不完全な編成による演奏や、地方の町で催されたコンサートで僅かに取り上げられた程度だった。
 だが、ついに念願の日がやって来る。1923年、フェーリクス・ワインガルトナー指揮するウィーン・フィルによって、交響曲第3番が演奏されたのだ。変わり果てた世界で寂しい晩年を送っていたフックスにとり、それは最後の光芒ともいうべき栄光の瞬間だったろう。自らが半生を送ったウィーンの、しかも名門オーケストラによって、今度こそ納得のゆく演奏が行われ、作曲者75歳の誕生日を遅まきながら祝ってくれたのだから…。


 このように書くと、フックスはブラームスから大きな影響を受け、またそこから新たな一歩を踏み出せなかったがゆえに、急激な変化を遂げた時代に取り残された人物と考えられるかもしれない。だが、果たして彼はそれだけの作曲家だったのか。
 たとえば交響曲第3番の場合、テューバに支えられた金管楽器の分厚い響きが、第1楽章を中心に頻出する点に注目しよう。このような響きが登場する際、時折「異形」とでもいうべき和音が、ただならぬ存在感を以って迫ってくる。俗な喩えをすれば、ブラームスの中に、突如ブルックナーが姿を現したかのような。
 ブラームスと密接な関係にあったフックスが、ワーグナー崇拝者であるブルックナーを慕っていたわけではない。重要なのは、19世紀のウィーンひいてはオーストリアにおけるオルガン演奏の伝統が、ピアリステン教会をはじめとする教会オルガニストとして活躍したブルックナーとフックスの作品に、期せずして現れているということなのである。
 教会という特別な場で奏でられるにふさわしいオルガン独自の響きと和声を、コンサートホールにも積極的に取り入れる。その姿勢において、ブルックナーとフックスには共通するものがあった。じっさい19世紀のヨーロッパの市民は、「聖なる空間」を既存の教会ではなく、芸術空間とりわけ演奏会に求めるようになっていった。またそうした変化の中にあって、教会を象徴する楽器だったオルガンをコンサートホールの花形であるオーケストラに反映させようとしたのが、ブルックナーでありフックスであった。
「ブラームス派vsワーグナー派」という対立構図の中で、ブラームスの後継者と目されていたフックスと、ワーグナー崇拝者の筆頭に挙げられていたブルックナーが、同じ土壌の上に立っていたという事実。それを顕著に示しているのが、交響曲第3番なのである。

第1楽章:アレグロ・マエストーソ 6/4拍子(第2主題登場時は3/2拍子) ホ長調
ブラームスゆずりの、厳格かつ堂々たるソナタ形式(第1主題と第2主題は、譜例@とA)。それでも序奏部に典型的に聴かれるような、どこに落ち着くのか分からない調性のゆらぎは、例えばブラームスが『交響曲第3番』でおこなった試みをさらに拡大させたものといえよう。上述した金管の分厚い響きと独特の和声進行も、フックスならではのもの。

第2楽章:アンダンテ・コン・ヴァリアツィオーニ : かなりゆっくりと 2/4拍子 変イ長調
主題(譜例B)と5つの変奏、終結部からなる緩徐楽章。セレナーデを数多く作曲したフックスは、その中でしばしば変奏曲を用いたが、そうした手法が交響曲にも反映されたのが当楽章である。繊細な夢幻性を基調としつつ、変奏を重ねる毎に苦悩や詠嘆が色濃く増し加わってゆく点、いかにも19世紀後半のロマン派の作品と呼ぶにふさわしい。

第3楽章:アレグロ・スケルツァンド 3/4拍子 ハ長調
三部形式からなるスケルツォ(主部とトリオは、譜例CとD)。フックスと親交のあったヨハン・シュトラウス2世のワルツを想起させるような、都会的な洒脱さの中に密かな憂いを忍ばせた感覚が特徴。音楽学者のビーバは、このようなフックスならではのスケルツォの作風が、弟子であったマーラーのそれに大きな影響を与えたことを指摘している。

第4楽章:フィナーレ:アレグロ・ヴィヴァーチェ 2/4拍子 ホ長調
ソナタ形式(第1主題と第2主題は、譜例EとF)に基づく、行進曲調の最終楽章。ブラームスの師だったシューマンの作品を彷彿させる点、旧き佳き19世紀への挽歌といって過言ではあるまい。だがオーケストレーションの厚みや和声には、「保守派」や「先祖返り」という表現では括りきれない、フックスの多様性が滲み出ていることもたしかである。

楽器編成:フルート2.オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2.ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ1、ティンパニ、弦5部
演奏時間:約40〜45分

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