2009年04月14日第134回定期演奏会〜曲目解説

 首席客演指揮者にキンボー・イシイ=エトウの就任を記念しての本演奏会のタイトルは、「春の息吹」。今まさに将来を嘱望されるシェフと、若々しい躍動感にあふれる大阪シンフォニカー交響楽団の新たなる門出に、これほどふさわしいテーマはあるまい。
 人生の“早春”である幼年時代のテーマを発展させたブリテン「シンプル・シンフォニー」。研ぎ澄まされたリズムの世界が春への足音にも聞こえるストラヴィンスキー「ピアノと管楽器のための協奏曲」。そして、シューマンが長年にわたる愛を成就し、人生の春を迎えた喜びを注ぎこんだ「交響曲第1番《春》」。3つの作品は、それぞれ異なる表情で春の喜びを物語る。
 そして、今日取り上げられた作曲家はすべて指揮者でもあり、パフォーマーとして楽譜を実際に音にする立場であった。シューマンを除く2人に関しては録音も残っていて、彼らがどうオーケストラに対峙していたか、今なお如実に知ることができる。同じタクトを振る身として、新たなるシェフがどのように彼らの存在をどう感じ取ったのかを知るのも、実に楽しみ。また今回のプログラムでは、前半で弦楽パートと管楽パートとを分けて聞き、後半でオーケストラ全体の音色を楽しめるというのも興味深い趣向だ。

■ベンジャミン・ブリテン(1913〜1976) シンプル・シンフォニー 作品4
 20歳を迎えたばかりの若きブリテンは、9〜12歳の間に書いた旋律を基にした、弦楽合奏(または弦楽四重奏)のための曲に着手した。翌年に完成した全4楽章の作品は、彼が幼少期に師事したヴィオラ教師、オードリー・アルストンに献呈。もともとは子供の手になる旋律だけに全体的には軽いタッチに仕上がっているが、主題をきびきびと展開してゆく手法は実に見事で、弦楽合奏のための主要なレパートリーとなるのに時間はかからなかった。そして、時に垣間見せる深い精神性からは、後の巨匠の早熟ぶりもうかがい知れる。また、楽譜の上では、開放弦やハーモニクスで効果的に音を響かせたり、あえてセオリーとは逆のボウイングを指示したりと、弦楽合奏の表現の可能性を広げようとの気概も感じ取れる。そんな作曲者の意図をどれだけすくい取れるかが、演奏のポイントだろう。今回の演奏にあたって、イシイ=エトウも「注意深く、繊細にこの作品を表現しなければ」と語っている。
 第1楽章 「騒々しいブーレ」 ごく短い序奏の後で、急かされるような旋律を各パートが受け渡してゆく。別の歌曲から引用された、ゆったりとした旋律を時折りはさみながら、次第に緊張感を高めてゆく。最後はコーダに入り、ピアニシッシモのピツィカート2打ちが次の楽章を予感させる。
 第2楽章 「おどけたピツィカート」 奏者全員が弓を置き、ピツィカートで演奏するユーモラスな6拍子は、聴く者を浮き浮きさせる。作曲者自身によるダイナミクスの指示は、実に細かい。コードが印象的なトリオ部分は、どこかイギリス民謡風。開放弦を意識的に使い、音響効果をねらっている。曲は冒頭へと帰り、コーダに入って、勢いはそのままに曲を終える。
 第3楽章 「感傷的なサラバンド」 前の楽章と打って変わり、しっとりと落ち着いたシリアスで重々しい楽想が、悲壮な情熱をたたえて進行してゆく。中間部の穏やかなワルツで束の間の救いを得るが、再び冒頭の楽想がさらなる絶望感を連れてくる。感情の高ぶりもやがて、ディミニュエンドの彼方に去ってゆく。
 第4楽章 「浮かれ気分のフィナーレ」 短い序奏の後、いきなり疾走を始める第1主題は少し深刻さをたたえているが、すぐに爽やかな第2主題が気分を変える。再び登場した第1主題は展開され、転調して人懐こい表情に。ゲネラルパウゼの後、さらに増してゆく勢いがやがて頂点に達した時、一瞬の静寂を経て、晴れやかなコードが全曲の終わりを告げる。

■イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882〜1971) ピアノと管楽器のための協奏曲
 「春の祭典」に代表される原始主義で世界に衝撃を与えたストラヴィンスキーは、興行師セルゲイ・ディアギレフ(1872〜1929)に依頼されてぺルゴレージらの作品を素材としたバレエ組曲「プルチネルラ」(1919)を手掛けて以降、1950年代にかけて、ロマンティシズムを排した18世紀音楽に範を求める新古典主義に傾倒。彼には当作品「ピアノと管楽器のための協奏曲」(1923〜24)と、「ピアノと管弦楽のためのカプリッチョ」(1928〜29)、ピアノ協奏曲にカテゴライズされる作品が2曲あるが、いずれもこの時期に書かれている。
 「ペトルーシュカ」の編曲などを通じて、再びピアノという楽器に可能性を見出したストラヴィンスキーは、指揮者のセルゲイ・クーセヴィツキー(1874〜1951)のパリでの演奏会に向けてピアノ協奏曲を書こうと決意し、南フランスのビアリッツでこの曲を完成。クーセヴィツキー夫人ナタリーに献呈され、作曲者自身のピアノにより初演された。全体は急−緩−急の古典的な構成に倣うが、オーケストラはコントラバス以外の弦楽器を排した特異な編成。「管楽器のシンフォニー」(1920)や「管楽八重奏曲」(1922〜23)などで見せた作曲者の管楽器への執着がここにも表れている。作風的には、この時期のストラヴィンスキーのエッセンスが詰まった佳品だが、残念ながら演奏機会は多くない。イシイ=エトウがこの曲を取り上げるにあたって、「まず一番に名前が浮かんだ」という岡田博美との瑞々しいコンビによる今回のステージは、この曲を“体験”する貴重な機会ともなろう。
 第1楽章 後に作曲者本人が「18世紀の古典主義の上に、新たな音楽を構築しようと試みた」と語っている通り、冒頭で管楽器が奏するラルゴは、バロックの組曲のフランス風序曲の始まりを想起させる付点のリズムが印象的。続く主部アレグロは16分音符を基調としたピアノによるトッカータ風の主題が、フルートが提示するもうひとつの主題を巻き込みながら進行する。最初の主題は変形を繰り返し、ふたつ目の主題が音高を変えながら時折り顔をのぞかせる。ピアノとオーケストラは、ソロと伴奏という形で対峙するのではなく、時にリズムを補完し合い、時にほんの部分的なユニゾンで音色を彩るなどコラボレートを通じて、音の楼閣を構築してゆく。最後はラルゴに回帰し、重々しく終わる。
 第2楽章 ピアノ・ソロによって提示されるラルゴの主題は、一聴するとロマンティックな性格を帯びているように誤解してしまうが、このような主題に付加しがちなオブリガートなど感情的な表現は、実は注意深く避けられている。それはまるで、一切の人間的な感情を寄せ付けずに、屹然とした美しさを見せる大自然を思わせる。曲の構成も、2箇所のカデンツァを軸に、シンメトリーに展開してゆき、聴く者に一種の機能美のようなものを感じさせる。
 第3楽章 先の楽章からアタッカで演奏される終楽章は、第1楽章に共通したイメージを持つが、ピアノ・ソロの打楽器的な性格はよりいっそう強調されている。ソロとオーケストラが対話する即興的な展開から、やがてがっしりとしたフーガ風のテーマへと移る。そして、第1楽章のラルゴの主題へと再び回帰。最後はテンポの早い、短いエピソードが添えられ、ハ長調の主和音で全曲を締め括る。

■ロベルト・シューマン(1810〜1856) 交響曲第1番 変ロ長調 作品38《春》
 「おお、変えよ、おんみの巡りを変えよ―谷間には春が花咲いている!」−。友人の一人であったアドルフ・ベットガー(1815-1870)の手になる詩『汝、雲の霊よ』の終わりの一節(前田昭雄訳)を読んだシューマンは、新しい交響曲の作曲への大きな霊感を得る。折しも、大きな苦難の末に、ようやく妻クララとの結婚生活をスタートさせたばかりの彼にとって、まさに人生も春まっ盛りであった。創作への意欲も旺盛となり、それまでピアノ曲に限定されていたジャンルが、歌曲へと拡大。結婚の年の1840年には、「詩人の恋」「女の愛と生涯」を含む百数十曲の歌曲が生み出され、「歌の年」とも呼ばれている。そして、その翌年は「交響楽の年」。この交響曲第1番をはじめ、後に第4番となる二短調交響曲の初期稿、《序曲、スケルツォとフィナーレ》などが作曲されている。
 シューマンは、日記帳を兼ねた「家計簿」の1月23日の項に「交響曲《春》の作曲を開始」と記している。全曲のスケッチは、ここからわずか4日間のうちに終えられ、引き続いて取り掛かったオーケストレーションは、翌月20日に完成されている。自筆スコアのそれぞれの楽章は、「春の始まり」「黄昏」「楽しい遊び」「春たけなわ」と題されているが、出版譜では削除された。全編に溢れるロマンティシズムは、 この曲のオーケストレーションにあたって数々のアドヴァイスをおくり、初演(3月31日)で指揮も担当したメンデルスゾーンの交響曲にも通じる一方、シューマンがウィーンで出会ったシューベルトの交響曲ハ長調《ザ・グレート》からのインスピレーションをも強く感じさせる。
 シューマンの交響曲においては、そのオーケストレーションに問題点が残っていると指摘されることも多い。彼が管弦楽曲に手を染めたばかりで、その手法にまだ精通していなかった、と言うのだ。たしかに、刻みの多い弦楽器や指示されたアーティキュレーションは、非常にオーケストラを“鳴らす”ことを難しくしていることは事実だろう。作曲者は初演後も推敲を重ね、自筆譜と初版譜の印刷原本、初版パート譜、初版フルスコアといった資料の間にも、多くの差異があることが、さらに問題をややこしくしている。このため、この作品の演奏にあたっては、様々な音楽的な見地からの判断が求められる。指揮者の能力が試される、と言っても決して過言ではないだろう。
 第1楽章 トランペットとホルンが春を告げるファンファーレで幕を開ける。このモットーは、最終稿はDから始まっているが、自筆譜ではBで書き始められている。Bで始まる場合、当時一般的だったナチュラル(ヴァルブのない)ホルンだと、続くGとAはストップ奏法(手を朝顔の中に入れて音高を変化させる)によらねばならず、音がくぐもって、輝かしさに欠ける。このため、シューマンはDからの開始に書き改めた。このことが、シューマンのオーケストレーションに不慣れだったことの根拠のひとつにもされているが、実は最近の研究で、シューマンはスケッチの段階ではDで書き始めたことが分かっている。続く主部アレグロは、導入部の音型を圧縮した形の浮き浮きした第1主題で始まり、しばらくして少しメランコリックな第2主題が登場する。展開部は第1主題を軸に進み、新しい素材を交えながら進行。第1と第2の各主題を再現し、終結部へと向かう。
 第2楽章 3部形式のラルゲット。シンコペーションの伴奏に乗って、オクターヴで分奏する第1ヴァイオリンが、やはりシンコペーションが印象的な甘い旋律を謳い上げる。やがて主題はチェロ、ホルン、オーボエへと受け渡されてゆく。コーダでは、トロンボーンがピアニッシモで次の楽章を予感させるテーマを呈示して静かに消えてゆく。
 第3楽章 先の楽章からアタッカで続く、ふたつのトリオを持つスケルツォ。3拍子の主部は少し厳しい表情を持つ主題で、和声的な2拍子の第1トリオを経て、再び主部へ。単純な上昇・下降音型で作られた3拍子の第2トリオから、再びスケルツォへと戻るが、今度は簡略化されており、すぐにコーダに入って曲を閉じる。
 第4楽章 第1楽章の冒頭を想起させる序奏の後、少しおどけた第1主題が第1ヴァイオリンによって呈示される。第2主題は《クライスレリアーナ》終曲から転用された木管が奏する軽やかな旋律と、弦楽器による重々しい旋律が組み合わされている。しばらくは後者の旋律の変型が主導権を持ちながら展開し、第1と第2の主題が再現される。終結部に入ると次第にアッチェレランドし、最後には再び第1楽章の序奏部の旋律に関連付けながら、盛り上がりのうちに全曲を閉じる。

(C) 寺西 肇(音楽ジャーナリスト)(無断転載を禁ずる)

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