2009年05月29日第135回定期演奏会〜曲目解説

◆ベートーヴェン(1770-1827)
交響曲第6番 ヘ長調 作品68『田園』
 原題は”Sinfonie Pastorale”。日本では「田園」と呼び慣わされているが、「運命」や「合唱」とは異なって、ベートーヴェン本人の命名による。たしかに「田園」の名にふさわしく、各楽章には自然を愛したベートーヴェンの人生を彷彿させる標題が付けられており、標題音楽の元祖とも言われている。彼の交響曲としては異例の五楽章編成で、しかもピッコロ、トランペット、トロンボーン、ティンパニといった音響効果抜群の楽器を用いて第3楽章から第5楽章が続け様に演奏されるあたり、移り変わる自然の様子が目に浮かぶようだ。
 ただし、あまりに「田園」や「自然」といったイメージに囚われすぎると、見落としてしまう要素がある。原題の”Pastorale”の意味だ。クラシック音楽で「パストラーレ」といえば、伝統的に「牧歌」を指す。例えばヘンデルの『メサイア』やバッハの『クリスマス・オラトリオ』で羊飼い=牧人がキリストの降誕に立ち会う場面で奏でられる、6/8拍子の聖らかな曲。そう考えれば納得がゆく。『田園』のフィナーレ第5楽章は、パストラーレを彷彿させる6/8拍子である。しかもクラシック音楽の歴史では「神の声」をイメージする楽器とされてきたトロンボーンが、荘厳な響きを作り出す。そもそも当楽章の標題からして、「牧人の歌─嵐の後の喜ばしく感謝に満ちた思い」だ。
 作曲は1807〜08年、同年末に「交響曲第5番」として初演された。この時交響曲第6番として一緒に演演されたのが、現在の交響曲第5番いわゆる「運命」である。だから「運命」のごとく、全曲がフィナーレの解決へ向かってゆくというベートーヴェンならではの創意工夫が、『田園』にも現れているのは当然だろう。その解決こそが「牧歌」。ここに至って、全ては聖められ昇華される。

楽器編成:ピッコロ1(第4楽章のみ)、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2(第3〜5楽章)、トロンボーン2(第4・5楽章)、ティンパニ(第4楽章のみ)、弦五部
演奏時間:約40〜45分

◆ツェムリンスキー(1871-1942)
交響曲 第2番 変ロ長調
 19世紀も半ばになると、ベートーヴェンは至高の存在として崇められてゆく。とりわけ彼が後半生を送ったウィーンは、そうした動きの中心地となった。一例が、ヨハネス・ブラームスを審査員に迎えた「ベートーヴェン作曲賞」である。後にブラームス本人の提案で「ウィーン楽友協会作曲賞」として名称・組織変更が行われ、奇しくも彼が世を去った1897年、第1回目の入賞作品が選定された。賞を分け合ったのは、アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーの交響曲第2番変ロ長調とロベルト・グーンドの交響曲ト短調。ともに作曲者自らの指揮により、1899年にウィーンで初演されている。
 ウィーンのユダヤ人家庭に生まれたツェムリンスキーは、13歳でウィーン楽友協会音楽院に入学。ピアノをアントン・ドール、和声をロベルト・フックス、作曲をその弟のヨハン・ネポムク・フックスといった、ブラームスのシンパに師事する。また同音楽院と密接な関係にあった老ブラームスの目にとまり、出版社への紹介をはじめとする支援を得た。だが、一方でツェムリンスキーは、ブラームス派と対立するワーグナー=ブルックナー派の影響も受けていた。たとえばワーグナーの歌劇『ローエングリン』は、少年時代の彼に強烈な印象を残している。また当時のウィーンでは、アントン・ブルックナーの一連の交響曲や、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・ファン』『死と変容』に代表される「新時代の音楽」が続々と上演されていた。
 じっさい交響曲第2番を作曲した頃のツェムリンスキーは、新時代の音楽をも含む多彩なレパートリーを取り上げるべく「ポリヒュムニア」なるアマチュア・オーケストラの指揮者となり、そこでアルノルト・シェーンベルクと知り合った。さらには作曲の弟子としてアルマ・シントラーを教え深い仲になるものの、彼女がグスタフ・マーラーと電撃結婚を果した後でさえ、恋敵であるはずの当のマーラーから絶大な支援を受け続けた。
 マーラーもシェーンベルクも音楽史を大きく塗り替えた人物だったことを顧みるに、ツェムリンスキーの革新的な側面がよく分かる。たしかに交響曲にのみ着目しても、その後の彼は『交響詩〈人魚姫〉』や『叙情交響曲』といった具合に、古典的な枠組みを大きく踏み越え、標題音楽や声楽と管弦楽のための作品といった新たな交響曲のあり方を模索していった。そうした意味でも『交響曲第2番』は、ツェムリンスキーの中にあった伝統への敬意と革新への気概が、奇跡的なバランスで共存しあっている作品といえよう。
 ちなみにベートーヴェン賞の選考にあたっては公平性を期すという理由から、応募者は自分の名前ではなく、自らのモットーを記すという取り決めがあった。ツェムリンスキーが掲げたのは、リヒャルト・ワーグナーの歌劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』からの一節。曰く、「賞を認定し与える立場にいる者は、結局自分の気に入った人間しか求めないのだ」。 ブラームス派と目されていたツェムリンスキーにして、何たる皮肉だろうか。

第1楽章:序奏付きのソナタ形式
〔〈序奏〉ソステヌート 3/4拍子 変ロ長調〜〈主部〉アレグロ・速く燃えて力強く 4/4拍子 変ロ長調〕
 冒頭に出現する「ファ→シ♭」という動機(譜例1)、またそれに続くファンファーレ風のメロディに注目。短い動機を刻々と変化させて曲全体を構成してゆく手法は、シューベルトやブルックナー、ブラームスに聴かれるウィーンの交響曲の伝統に拠っている。
 主部に入ると、三連符の和音をバックに、冒頭の動機に基づく付点音符付きの第1主題(譜例2)が登場する。ワーグナーの『ローエングリン』やR・シュトラウスの『ドン・ファン』を彷彿させる曲想だ。第2主題は、ツェムリンスキーが1895年に作曲した歌曲『愛の悩み』から採られ、軽やかな歌謡性に満ちている(譜例3)。
 やがて「タン・タン・タタタン」というリズムが低音部に現れ、これにオーケストラ全体が和してゆく。ワーグナーに惹かれつつも、ブラームスを尊敬していたドヴォルザークの作品を彷彿させる点が興味深い。
 
       【譜例1】                  【譜例2】

         【譜例3】
第2楽章:序奏とコーダ付きのスケルツォ
〔〈主部〉速すぎずに(スケルツァンド)3/4拍子 ト短調〜〈トリオ〉落ち着いて(ゆっくりと) 3/4拍子ト長調〕
 「タン・(ン)タタン/(ン)タタタタタ」というリズムをベースに、師のR.フックス、あるいはやはり彼に師事していたマーラーのスケルツォを想起させる楽章。ティンパニの暗い響きに始まり、テーマ(譜例4)がいっこうに出現せず、ニ短調かト短調かも判然としない…といった構成が、不気味さを醸し出す。
 トリオ(譜例5)も主部のメロディから影響を受けており、一見穏やかだがどこか落ち着かない。束の間の安らぎといった態で、すぐさま主部のリズムが侵入してくる。
 
       【譜例4】                  【譜例5】
第3楽章:三部形式のアダージョ 3/4拍子 変ホ長調
 序奏は管楽器によるコラール風のもの(譜例6)。ドヴォルザークの交響曲『新世界より』第2楽章のそれを彷彿させる独特の和音構成には、ブラームスの交響曲第3番の第2楽章中間部、あるいはワーグナーの楽劇『パルジファル』の前奏曲からの影響がうかがえる。
 続いて変ホ長調のメロディ(譜例7)が情感豊かに奏でられるものの、突如ハ短調の中間部が出現し、弦楽器によるトレモロと九連符による下降動機が不安げに響く。やがて変ホ長調の曲想が戻り、九連符の下降動機もフルートによる牧歌的な装いへ昇華されてゆく。
 
       【譜例6】                【譜例7】
第4楽章:パッサカリア モデラート 2/4拍子 変ロ短調
 パッサカリア(低音のメロディ反復に基づき、それ以外の声部が様々な形で現れる一種の変奏曲)といえば、ブラームスの交響曲第4番第4楽章があまりにも有名。ブラームス信奉者だったツェムリンスキーがそれに倣ったのも、不思議ではない。またこのような形式を正確に踏まえてこそ、作曲賞の選考にあたって高い評価を受けることができた。
 オーケストラの総奏による短い導入部のあと、低弦のピツィカートで主題(譜例8)が示され、30の変奏が続く。長調に転じたりフーガが出現したりと山あり谷ありの変化が施され、テンポも激しく揺れつつ悲劇的な高まりを見せてゆくのだが、いっとう最後はブラームスとまったく異なる展開が待っている。調性が短調から長調へと転じ、第1楽章の冒頭に出現したファンファーレが輝かしく出現したまま全曲が閉じられるという驚き!

       【譜例8】

楽器編成:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ1、ティンパニ、弦五部
演奏時間:約40〜45分

(C) 小宮正安(ヨーロッパ文化史研究家 横浜国立大学准教授)  譜例作成:森洋久(無断転載を禁ずる)



ツェムリンスキー年譜

1871年:10月14日ウィーンに生まれる。
1884年:ウィーン楽友協会音楽院に入学。
1891年:『田舎風ダンス』op.1を出版。この頃から様々な作曲賞を受賞するようになる。
1895年:「ポリヒュムニア」創設。シェーンベルクと知り合う。
1896年:ブラームスから直々に、出版社ジムロックへの推薦を受ける。
1897年:ブラームス没。交響曲第2番がウィーン楽友協会作曲賞を受賞。初の歌劇となる『ザレーマ』がミュンヘンで初演される。
1899年:3月5日、交響曲第2番が初演される。場所はウィーン楽友協会大ホール、演奏はウィーン宮廷歌劇場管弦楽団のメンバーを中心としたオーケストラ。
1900年:歌劇『むかしむかし』がマーラーの指揮により、ウィーン宮廷歌劇場で初演。ウィーン・カール劇場の指揮者に就任。アルマ・シントラーと知り合う。
1902年:マーラーとアルマ・シントラー結婚。妹のマティルデがシェーンベルクと婚約。
1903年:アン・デア・ウィーン劇場の指揮者に就任。
1904年:ウィーン・フォルクスオーパーの首席指揮者に就任。
1905年:『交響詩〈人魚姫〉』ウィーンで初演。
1907年:マーラーの招きでウィーン宮廷歌劇場の指揮者に就任。
1911年:プラハの新ドイツ劇場の首席指揮者に就任。
1924年:『叙情交響曲』プラハで初演。
1927年:オットー・クレンペラーの招きにより、ベルリンのクロール・オペラで指揮活動。
1931年:クロール・オペラ閉鎖。ベルリン音楽大学で教鞭をとる。
1933年:ナチスの政権掌握により、ウィーンへ帰還。
1938年:ナチス・ドイツのオーストリア併合に伴い、プラハへ移住。
1939年:プラハからニューヨークへ移住。
1942年:3月15日ニューヨークに死す。

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