2009年07月16日第137回定期演奏会〜曲目解説

◇マルティヌー 2つの弦楽合奏とピアノ、ティンパニのための二重協奏曲 H.271

 本日の指揮者ウラディーミル・ヴァーレックは昨年、長らく首席指揮者をつとめているプラハ放送交響楽団とのコンビでCD「マルティヌー:交響曲全集」[Supraphon]を発表して評判になったばかり。ヴァーレックの見事な職人芸が明瞭に引き出した緻密な響きは、彼らが誇る20世紀チェコ最大の作曲家ボフスラフ・マルティヌー(1890−1959)の魅力を再認識させる優れたものだ。
 まだ日本で広く知られている作曲家ではないけれど、今年はマルティヌーの没後50年にあたり、来年は生誕120年。大阪シンフォニカー交響楽団とも縁ふかい名匠ヴァーレックを迎える今晩、チェコの音楽家にとって特別な存在であるマルティヌーが取り上げられるのは、記念年ということを越えた深い意義をもつはずだ。というのは、膨大なマルティヌー作品の中でもとりわけ強烈なメッセージが響く2作が選ばれているから。
 ボフスラフ・マルティヌーはチェコのボヘミア地方(西)とモラヴィア地方(東)の境あたりにある片田舎、ポリチカという村で生まれた。靴職人と教会の鐘楼守を兼ねた父は演劇を愛し、母も大の歌好き。音楽の溢れる環境で育った少年マルティヌーも幼い頃から楽才を発揮し、16歳でプラハ音楽院ヴァイオリン科に入学した。しかし演劇や文学、作曲に夢中になった彼は授業に出なくなり、1910年には放校処分。これで自由とばかりに故郷に戻り、小学校の音楽教師をしながら作品を数々書きためたマルティヌーは、オーストリア=ハンガリー帝国の支配下から〈チェコスロヴァキア共和国〉が独立した翌年の1919年、愛国的なカンタータ《チェコ狂詩曲》の初演で作曲家として注目される。
 しかし道はまだ長い。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の第2ヴァイオリン奏者として働きながら研鑽を積むことにしたマルティヌーは、楽団の演奏旅行でパリを訪れたときフランス音楽に触れて衝撃を受ける。1923年には念願叶って奨学金を得て再びパリへ。リズムと色彩鮮やかな作曲家ルーセルに師事しただけでなく、ディアギレフ率いるバレエ・リュスやストラヴィンスキーなどが活躍するヨーロッパ芸術の最先端・パリの躍動に魅せられ、自身の作品に反映させてゆく。
 短い留学のつもりがそのまま居座り、お針子の妻に助けられつつ貧困に耐えながら旺盛な創作を続けるが、離れて暮らすと良さが見えてくるのが故郷というものだろうか。1930年代になるとチェコ民族音楽の魅力も積極的に作品へ生かすようになり、リズムと詩情が生き生きと実を結んだ独特の音世界を生んでいった。
 ところが、時代は彼を翻弄する。1938年、ヒトラーの強硬な要求によってチェコスロヴァキア共和国の領土は分割、さらに翌年にはナチス・ドイツの侵攻を受けて共和国が消滅するという事態に及んだ。もはや帰国もできなくなったマルティヌーは、フランスにも及んできた戦禍を逃れてアメリカへ亡命、戦後も共産政権下のチェコに戻ることなく生涯を終えることになるのだ。
 本日お聴きいただく《2つの弦楽合奏とピアノ、ティンパニのための二重協奏曲》は、まさにこの「故国消滅」がひしひしと迫っていた1938年に作曲された。鋭いリズムと和声、異様な緊張感のみなぎる力作はマルティヌーの(というよりチェコ人の)精神的危機を深く投影したものであり、ナチスによってチェコが併合された後の1940年2月に行われた世界初演(パウル・ザッハー指揮バーゼル室内管弦楽団)以降、第2次大戦下に生まれた傑作として盛んに演奏されることになった。
 ステージをご覧いただくと変わった編成に気づかれることと思うけれど、弦楽器は第1群、第2群にそれぞれ分けられ、時にかけあい、時にせめぎあい、あるいは声を合わせる。その厚い力動にピアノとティンパニが鮮烈な音響を拡げてゆくのだが、これはマルティヌーが愛したバロック音楽の「コンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)の伝統を現代へ再生させたもの。第1楽章[ポコ・アレグロ]、第2楽章[ラルゴ]、第3楽章[アレグロ]と急・緩・急の3楽章から成る音楽は、緻密に織りなされる対位法と見事な運動性が強烈な印象を残すだろう。時代背景はもちろん、作曲家が当時直面していた私的な女性関係での鬱屈も反映しているというが、第2楽章冒頭の悲劇的な主題が第3楽章の最後に回帰して全曲をしめくくるとき、そこに彫り込まれた感情表現はもはや個人的な領域を越えていると感じられるはずだ。

◇マルティヌー リディツェ(《リディツェへの追悼》)H.296
 1942年5月、ドイツ占領下にあったチェコで人々に厳しい弾圧を加え、ユダヤ人の絶滅収容所への移送を指揮していたナチス高官がチェコ人兵士によって暗殺される事件が起きた。激昂したヒトラーは報復を命令、ドイツ軍は暗殺事件に関係ないリディツェ村を襲撃して村の存在を抹消することを決めた。
 1942年6月10日、集められたリディツェ村の人々はまず男性たちから順に銃殺され、女性と子供は強制収容所に送られて多くが死亡。人影の絶えた村は建物が徹底的に破壊され、更地にされた。ナチスはこの徹底した報復行為を広く宣伝し、その蛮行は世界に衝撃を与えた。
 リディツェの名は反ナチスの象徴ともなり、多くの芸術家たちによって怒りと追悼の作品が生まれていった。ナチスを逃れてアメリカに亡命していたマルティヌーは、まずロンドンのチェコスロヴァキア亡命政府から作品委嘱を受けて書き始めるものの、納得がいかずにしばらく置き(当初はこの曲を中間においた3楽章の作品を構想していたという)、後にアメリカ作曲家同盟からやはり委嘱を受けたのを期に、短いが3管編成を要する作品として書き上げた。
 苦しげな序奏にはじまる曲は、チェコの聖人である聖ヴェンセスラス(聖ヴァーツラフ)のコラールと弔鐘の響きとが深い哀しみを静かにほりさげ、あるいは強い感情をほとばしらせ、重い歩みを進める。後半でベートーヴェンの交響曲第5番に登場する《運命の動機》が力強く鳴り渡るのは、このテーマが戦時中にイギリスのBBCがヨーロッパで反ナチス抵抗運動に従事するレジスタンス勢力に向けて流していた放送の冒頭で流していた「V(ヴィクトリー=勝利 )」の象徴たるコールサインであるため。
 作品は1943年10月28日、チェコスロヴァキア共和国25周年を記念してアルトゥール・ロジンスキ指揮ニューヨーク・フィルハーモニックにより世界初演されて深い感銘を与えた。故国チェコではナチス・ドイツのチェコ併合7周年記念日の前夜にあたる1946年3月14日、ラファエル・クーベリック指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団によって初演された。そのクーベリックもまた、マルティヌー〈交響曲第4番〉の指揮を最後に共産政権下のチェコを逃れて亡命するのだが、マルティヌーは遂に祖国の土を再び踏むことなく、1959年8月28日、癌のためスイスで亡くなった。
 この曲が、チェコの音楽家にとってきわめて重い意味を持つ作品であることはお分かりいただけるだろう。愉しい曲も多く書いたマルティヌーの創作から、敢えて本日の2曲が選ばれたこと、その真摯をしっかりと受けとめたい。

◇ドヴォルザーク 交響曲 第6番 ニ長調 作品60 B112
 マルティヌーが16歳でプラハ音楽院に入学したのは1906年のことだった。しかし、プラハ音楽院の院長まで務めたチェコの国民的大作曲家ドヴォルザークは2年前に亡くなっており、二人はすれ違うことすらなかった。‥‥19世紀のチェコ国民音楽を国際的な人気に押し上げた巨匠と、激動の時代に翻弄されて遂に故国へ戻れなかった20世紀チェコ音楽の巨匠。同じ大地が生んだ力強いふたつの個性をお聴きいただく本日の演奏会、後半は歌心に溢れた先輩の傑作をたっぷりお楽しみいただこう。
 チェコ国民楽派最大の作曲家、アントニン・ドヴォルザーク(1841−1904)は、ボヘミア地方の中心都市プラハを流れるヴァルタヴァ河(ドイツ語読みで「モルダウ河」)を北に向かって少したどった先、ネラホゼヴェスという小さな農村に生まれた彼は、父の経営する宿屋でヴァイオリンが奏でる民謡を聴いて育ち、やがてプラハのオルガン学校に入って音楽家として本格的に修練を積むことになった。
 貧乏に耐えながらオーケストラのヴィオラ奏者としても働き、こつこつと作曲作品を書きためていったドヴォルザークにチャンスが訪れたのは、ようやく32歳の時だった。愛国的な詩に作曲した合唱曲《ビーラー・ホラの後継者たち》が好評を博したのだ。結婚もし、大作も続々と手がけ、奨学金審査にも通ってひと息つくこともできた。さらにその審査員ブラームスが彼の才能に注目して大手出版社に紹介し‥‥と運命はひらけた。
 ところが、人生は真っ直ぐ流れてはいかない。1875年には幼い長女を亡くし、次女と長男も相次いで早世。その悲しみをこめた宗教曲《スターバト・マーテル》をはじめ傑作群が生まれ‥‥30歳代後半にさしかかったドヴォルザークの創作は精神的な打撃の中でも確実に熟してゆくのだった。
 それと共に、初期の作品では古典派やロマン派の実りを豊かに吸収していったドヴォルザークの作品にもチェコ民族音楽からの影響がより色濃くなってゆく。今も大人気の《スラヴ舞曲集》第1集が大ヒットを飛ばし、彼の名が一躍国外にも知られるようになったその頃に完成したのが、本日お聴きいただく〈交響曲第6番〉(1880年/39歳)だ。スケルツォ楽章にフリアント舞曲(ボヘミアの農民の踊り)をおいた史上初の交響曲でもあるが、それが違和感なく溶けるような色濃い野趣に溢れ、しかしその情熱は流麗を失わず明朗に響く。
 1881年3月25日、プラハの国民劇場管弦楽団(アドルフ・チェフ指揮)によって世界初演、ヨーロッパやアメリカなど各地で次々に演奏される人気作となった。
 第1楽章[アレグロ・ノン・タント] 冒頭、ホルンとヴィオラが弱音で刻みだすシンコペーションのリズムから期待もふくらむようだが、それに乗せて木管と弦楽器が呼び交わすように歌いはじめる第1主題はチェコの民謡だとか。堂々たる響きに広がってゆく歌、美しい主題が陰翳ふかくゆきかうソナタ形式には民族舞曲風のリズムも溢れて瑞々しい。全体にブラームスの〈交響曲第2番〉(1877年)からの影響が指摘されることもあって、なるほどオマージュのようにも感じられるけれど、こののびやかな響きと豊饒とはやはりドヴォルザークのもの。
 第2楽章[アダージョ] 3部形式の緩徐楽章。木管楽器がエコーのように歌い重ねてゆく序奏に続いて、柔らかく詩的な主題が第1ヴァイオリンに登場(第2ヴァイオリンやヴィオラのつくっている伴奏リズムや、さりげなく絡みあうクラリネットやオーボエなどにも耳をかたむけていただくと、素朴な響きにもつくられる美しい奥ゆきがたまらない)。この主題を軸に豊かな起伏が視野も広くつくられてゆく。
 第3楽章[スケルツォ(フリアント):プレスト] チェコ西部、ボヘミア地方の代表的な民俗舞曲であるフリアントを使ったスケルツォ楽章。急速な4分の3拍子でアクセント(強拍)の位置がしばしば移動するため、リズムが交錯するような独特の効果が魅力的な舞曲だ。がらりと雰囲気を変えて2拍子のトリオ(中間部)がのどかな風を愉しませてから、再び火のようなフリアントへ。
 第4楽章[フィナーレ:アレグロ・コン・スピリト] 弦楽器群が静かに歌い出す冒頭、やはりブラームス〈交響曲第2番〉の終楽章にそっくり、と思われるかたもおられようか。とはいえメロディの詩情はまぎれもなくドヴォルザーク。喜びを炸裂させるような生き生きと明るい総奏に続き、クラリネットから登場する(3連符を含んでリズムも軽やかな)第2主題も曲の色彩を増してゆく。2管編成の標準的オーケストラながら金管群にはテューバも含み、しなやかな歌から重厚壮大な響きまで描ききる音楽は、後半で速度を上げて昂揚しきった末に高らかな凱歌へ。

(C) 山野雄大(音楽ライター)(無断転載を禁ずる)

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