2009年09月16日第138回定期演奏会〜曲目解説ヴォーン=ウィリアムズ
タリスの主題による幻想曲
レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ(1872-1958)は、父が弁護士、母は高級陶器のウェッジウッド家の当主の娘という名門に生まれた英国紳士でした。讃美歌集の編纂を手伝った際に、タリスの作曲した旋律を知り、それがこの作品のきっかけになったとされています。
トーマス・タリス(1505頃-1585)と言えば、その名前を冠する声楽アンサンブルがあるようにルネサンス後期のイギリスを代表する作曲家です。今では古楽ブームに乗って、カトリック典礼用の精緻な多声合唱が愛聴されています。ただし、ヴォーン=ウィリアムズが使ったのは、タリスが王室礼拝堂音楽家として仕えた4人目の為政者、エリザベス1世治世下の作品、女王が庇護した英国教会のために書かれた、9つの英語訳詩篇歌曲(カンタベリー大主教マシュー・パーカー訳の詩篇歌集、1567年)のひとつです。ヴォーン=ウィリアムズは、堂々たる後期ロマン派様式を誇るエルガーより15歳若く、パリのラヴェルやウィーンのシェーンベルクと同世代。ちょうどハンガリーでコダーイやバルトークがやったように、友人ホルストとともに、民衆が歌いついでいた民謡を熱心に蒐集しました。大英帝国の落日を予感していたのか、壮大な夢を見るより、身近な世界に耳を澄ます人だったようです。タリスの作品から、技巧的なラテン語多声音楽ではなく、母国語の簡潔なメロディーを選んだのは、いかにも「生活実感派」の選択と言えそうです。
ベルリンの壁が崩壊した1990年前後のヨーロッパで、グレゴリオ聖歌のCDが突如ヒットチャート入りしたことがありました。その頃注目されていたアルヴォ・ペルトの音楽は、教会旋法にもとづき、タリス幻想曲と雰囲気がよく似ています。時代が大きく変転する時、ヨーロッパの人々の耳には、どこからともなく古い聖歌が聞こえるものなのかもしれません。
1911年に初演されたこの幻想曲では、弦楽合奏が、独奏群、第1オーケストラ、第2オーケストラの3つのパートに分かれています。古い僧院を思わせる序奏につづいて、タリスの書いた旋律を2回演奏して、教会旋法によるオリジナル旋律の姿が印象づけられます。続いて、第1オーケストラが弾く歌の断片に、第2オーケストラがエコーのように応じる部分、独奏群の呪文のような動きに第1オーケストラが唱和する部分は、教会の儀式を思わせます。独奏群が古い旋法を保つ一方、合奏パートが自由に転調する近代書法なのは、過去と現在の時空を越えた対話を意図しているのでしょうか。合奏パートは、悩ましげな転調の末に、最後にもう一度、タリスの旋律を静かに、しかし後光の射す充実した響きで繰り返します。
モーツァルト
フルート協奏曲 第2番 ニ長調 K.314(285d)
この作品の成り立ちは複雑です。ウォルフガンク・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)の2つのフルート協奏曲の現行版が、1777年から翌年にかけて、マンハイムで知り合ったオランダ人医師ドジャンの依頼で書き上げられたのは間違いないようです。でも実際は、第1番を書いたところで時間切れとなり、第2番は既存の譜面を流用したらしいのです。フルート協奏曲第2番は、長らくハ長調のオーボエ協奏曲(故郷ザルツブルグの宮廷楽団のために書いたとの説が有力)を流用したと考えられてきました。しかし近年、このオーボエ協奏曲が、さらに遡るとフルート用協奏曲の流用だったとの説も出てきました。フルート用が先か、オーボエ用が先なのか? 真相ははっきりしませんが、いずれにしても、こんな風に別の楽器に手早く転用できたのは、この曲の発想が、特定の楽器と密着していなかったからだと思われます。
例えば、モーツァルトのフルート協奏曲第1番冒頭のすらりと伸びるフルートの高音は、抜群のプロポーションを誇るトップモデルのようです。クラリネット協奏曲の第2楽章は、翳りを帯びた二枚目の横顔を思わせます。どちらも、別の楽器で置き換えることが不可能な独奏楽器のベスト・ショットと言うべき音楽です。
ところが、このフルート協奏曲第2番は、独奏者が忙しく動き回って、観客に「これだ」と思わせるシャッターチャンスを与えません。立ち姿がサマになる看板スターというよりも、軽やかな話術と身のこなしでお客さんを楽しませる芸達者。映画「アマデウス」の永遠の少年モーツァルトを思わせる当意即妙・才気煥発が、この作品の魅力です。
第1楽章は、オーケストラによる第1提示部、独奏が加わる第2提示部、展開部、再現部という協奏曲ではお決まりの構成ですが、フルート独奏が次から次へと新しい音型を繰り出す様子は圧巻。話題を途切れさせない音の会話術を堪能させてくれる楽章です。第2楽章は、主調から属調へゆるやかに進む歌を、後半、主調で繰り返す二部形式。第3楽章は冒頭の可愛らしいメロディを軸とするロンドです。
エルガー
交響曲 第2番 変ホ長調 作品63
イギリスは、パーセルの活躍する17世紀から、ブリテンが登場する20世紀まで、長い「空白時代」が続いた音楽不作の国と言われることがあります。アイルランドなどの周辺地域に森の民ケルトの文化が残り、地方で平穏な生活を好むジェントルマンが国を支えるお国柄。質素な食事に象徴されるアングロ・サクソンの生活に、ラテン系の享楽的な音楽文化、オペラ劇場やサロンの社交は似合わないということでしょうか?
しかし、イギリスがこうした自国の風土に開き直るのは、ヴォーン=ウィリアムズやホルストが登場した20世紀になってからです。七つの海を制した大英帝国の首都ロンドンは、長らく金融を牛耳る一大消費都市でした。ちょうど20世紀のニューヨークが、アメリカの南部や中西部では考えられない摩天楼を誇ったように、ロンドンは、イギリスであってイギリスではない別世界の国際空間だったようなのです。
ロンドンの音楽生活に花を添えたのは、ヘンデルやハイドン、メンデルスゾーンやワーグナーなど外国の音楽家でした。それでも、おそらくロンドンの人々は不足を感じなかったはずです。ちょうどバブル期の東京がそうだったように、世界市場の拠点であることは、まさしく「国際化」の証しです。産業博覧会を繰り返し、大英博物館に古今東西の至宝を収蔵した19世紀のロンドンは、世界の中心にいる至福を謳歌していたと思われます。
エドワード・エルガー(1857-1934)がロンドンで例外的に認められたのは、愛国心のおかげというわけではなく、イギリス人「であるにもかかわらず」国際水準で書けたからなのでしょう。事実、彼を見出し、出世作エニグマ変奏曲や交響曲第1番を指揮したのは、オーストリア出身の巨匠ハンス・リヒターでした。
間もなくエルガーは国王エドワード7世の庇護を受けて、ロンドンで大きな仕事を任されるようになります。しかしロンドンでの名声を得たのちも、彼は故郷ウースターに住み続けました。エルガーは、ロンドンという近くて遠い国際都市と、終生、微妙な距離を保ち続けていたのです。
1911年に完成・初演された交響曲第2番は、ベートーヴェンの「英雄」交響曲やリヒァルト・シュトラウスの「英雄の生涯」と同じ変ホ長調で書かれています。弦楽器が自然に響くニ長調より半音高く、輝かしい響きがする調性です。自筆スコアの冒頭には、ロマン派詩人シェリーの詩の一節「お前はめったに来ない、喜びの精霊よ」が掲げられているらしいのですが、この言葉に作曲者がどんな意図を込めたのか? また総譜には、作曲中にエドワード7世が亡くなったことを受けて、「国王陛下の追悼に捧げる」との献辞があるそうですが、第2楽章の葬送音楽が書かれたのは、国王存命中であるらしく、だとしたら、別の誰かを追悼する音楽だったのではないか? この曲には、エルガー研究者たちが、シャーロック・ホームズ並みの推理を働かせたくなる謎やエピソードがあるのですが、ひとまず、ヒロイックな交響曲の伝統を踏また上で書かれた音楽なのは間違いないでしょう。
第1楽章(ソナタ形式)の第1主題は、エンジンをブンブン空ぶかしする三連打のアウフタクトで力を貯め、爆発的な勢いで、豪華壮麗な歓喜のヴィジョンを描きます。ただし、リヒァルト・シュトラウスの音楽に似た「やり過ぎ」感があるのも事実。8分の12拍子で、一小節にびっしり音を詰め込み、過剰な全能感を謳歌します。案の定、第2主題で一度ブレーキを踏むと、たちまち音楽は衰弱します。難渋しながら盛り返して、提示部を閉じますが、展開部はさらに滞って、停止寸前。ここからの巻き返しが後半の聞き所ですが、勝利の味はほろ苦い。若々しい直線的なストーリーを信じないオトナの音楽です。
第2楽章はハ短調で、最敬礼・不動の姿勢の金管吹奏、溢れる涙を堪える回想シーン、すすり泣くオーボエといった追悼の作法が続き、ベートーヴェンやワーグナーの葬送音楽を連想させます。仮に創作のきっかけが特定の個人への弔意であったとしても、出来上がった音楽は、英霊を讃える伝統儀式の枠組みにぴったり収まっていると言えそうです。
第3楽章スケルツォは、妖精が飛び交うように無邪気な踊りではじまります。でも、すぐに現実へ突き落とすような短調のエピソードが割り込み、天空と地上、天使と悪魔が交錯します。チャイコフスキーやマーラーなど後期ロマン派ではおなじみの、夢と現実の二元論です。夢の世界が8分の3拍子で軽やかなステップを踏むのに対して、割り込んでくるエピソードは複数の小節をひとつにまとめて、大きなカーヴを描く傾向があり、中間のクライマックスは実際に12/8拍子で記譜されています。息の長いメロディーは、天上界から見れば、地上に喘ぐ人間のうめき声に過ぎないのでしょうか。
第4楽章(ソナタ形式)は、一転して穏やかな音楽です。悟りを開いた賢者のように、微笑みを絶やすことなく教え諭す第1主題は、ブラームス風かもしれません。第2主題の落ち着いた歩みは、「威風堂々」などの英国風行進曲でおなじみのゆったりしたコラールを、3拍子に書き換えたようにも聞こえます。展開部のスリリングなフーガを乗り切って、長編成長小説のハッピーエンドを思わせる堂々たる大団円です。(C) 白石知雄(無断転載を禁ずる)