2009年10月16日第139回定期演奏会〜曲目解説

 わが国では、音楽作品について言葉でその解釈の一端を明確に示してくれる演奏家は必ずしも多くはない。たとえ音楽や演奏について理念的に語ることはあっても、個々の作品そのものについて、その解釈などを具体的に語る人はあまりない。わが国にはヨーロッパと異なり、音楽は音楽をもって語らしめるべきであって言葉を使うなどというのは邪道であるという妙な思い込みがあるのだ。しかしこれは作品を言葉で語れるほどのイメージを持たないということに起因していることも少なくない。音楽を言葉で語るためにはまず作品に対する豊かなイメージがなければならない。それを的確に言葉で表す言語能力や豊富なボキャブラリー、それを支える教養や鋭い感性、知性が不可欠なのだ。
 大阪シンフォニカー交響楽団の音楽監督・首席指揮者である児玉宏は、きちっと言葉で音楽を語ることの出来る数少ない日本人音楽家の一人だと思う。今回も「シェフの言葉」として、R.シュトラウスの歌曲に対して実に的確、簡明な解釈を記している。シェフからのメッセージの最初にも述べているように、そこには「解釈に対する柔軟性を作品内部に秘めている」ヨーロッパ・クラシック音楽に対する深い共感と敬意が強く感じられるのだ。こうした裏づけがあってこそ、児玉のあの含蓄豊かな音楽世界が立ち現れてくるのだ。彼のメッセージを読んでいると、それに付け加えて解説など必要か、という思いに捉われないわけではないが、そうした児玉の考えを、その音楽とともにより一層深く味わうために、いくばくかの情報提供が出来ればと思う。
 今回児玉宏がプログラミングしたのは、大阪シンフォニカー交響楽団との最初の衝撃的な出会い以来すでに4作品を取り上げ、今回5曲目となるブルックナーの交響曲とR.シュトラウスの5曲のオーケストラ伴奏つき歌曲。ブルックナーは、今回は第6番という実演ではなかなか耳にすることの出来ない、しかし非常に興味深い作品。R.シュトラウスの方も、こうした場合にお決まりの「最後の4つの歌」ではなく、児玉宏が独自に選曲配列した5曲が並べられている。児玉宏は今回の5つの歌曲の中に一つのドラマを聴き、そのキーワードを「聖母マリア」と述べているが、今回の演奏でも、きっとそのドラマのイメージが眼前に豊かに展開されることになるだろう。

◇R.シュトラウス(1864〜1949):オーケストラ伴奏付き歌曲集より
 R.シュトラウスはあるとき、机の前に転がっていたスプーンを指差して「私はこれだって音で描くことが出来る」と豪語したと伝えられている。彼の管弦楽法や音楽的描写力がつとに優れていたことは、例えば「ドン・ファン」「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」「死と変容」など数多く残された「交響詩」というジャンルが良く示している。ただ彼がこのジャンルに、「英雄の生涯」をもってわずか34歳という年齢で別れを告げたことはあまり認識されていない。その後はといえば、彼はオペラのジャンルにその全精力をつぎ込んだのである。そしてそれまで培われた音楽(管弦楽)表現力と、そこにより豊かで明確なイメージを付与する言葉の力が加わることにより、まさにR.シュトラウスという作曲家の世界が大輪のように花開いたことはいうまでもない。
 今日演奏される「オーケストラ伴奏付き歌曲」というジャンルは、R.シュトラウスもその初期から数多く残したドイツ・リートの世界と、彼が終生関心を持ち続けたオペラの劇的世界のエセンスを巧みに融合したような魅力的な世界で、どれもごく短い時間の中で、R.シュトラウスのイメージが鮮やかに展開される。今日演奏される5曲は、これから実際に耳にされればお分かりのように、馥郁とした香りと夢見心地のような暖かい雰囲気を持つ名品ばかりで、児玉宏の選曲眼の確かさと、それらから無限の意味を読み取る彼の解釈力に感心する。初めてお聴きの皆さんも、きっとR.シュトラウスの世界の素晴らしさを堪能されるに違いない。
「東の国から来た三人の聖なる王」作品56−6
 第一曲目は、1906年にハインリッヒ・ハイネの詩に付曲された作品。元はピアノ伴奏作品だが、同年にピアノ部分がオーケストラにも編曲されている。そのタイトルからも分かるように、誕生間もない救い主イエスと聖処女マリアを探して東の国から来た三人の聖なる王(三博士と訳されることもある)がさまよう姿と、ひとすじの星の輝きに導かれその場にたどり着き、喜びの賛歌を捧げる姿が、巧みに絵画的に描かれる。児玉はこの曲について、『短い前奏の中で幼子の運命を予言するだけでなく、比較的長い後奏を使って「宿命の悲劇」の後に訪れる輝かしい勝利をも示唆しています』と記している。
「子守歌」作品41−1
 1899年にリヒャルト・デーメルの詩に付曲。これも元はピアノ伴奏作品だが、1916年にピアノ部分がオーケストラに編曲されている。母が自分のいたいけな子どもに歌いかける、子どもをあやす歌だが、児玉が『眠りに就いた幼子を天から授かった花に譬えて「母親の喜び」を歌い挙げた作品』というように、そこには聖母マリアが、イエスを慈愛に満ちた眼差しで眺めている情景がオーバーラップする。単純なメロディーだが、その美しさはある意味で聖なるものとは対極にある官能性すら帯びているのが興味深い。
「私の眼」作品37−4
 1897〜1898年にリヒャルト・デーメルの詩に付曲。これも元はピアノ伴奏作品で、1933年にピアノ部分がオーケストラに編曲された。自分の全存在に光を当て、輝きで満たしてくれる、また自分の前に広がる世界をしっかり見すえてくれる存在としての相手を「眼」になぞらえて歌った歌で、児玉は『相手の存在で自分が生きる価値を見出した人の「感謝と驚嘆」の歌』と簡明に説明している。R.シュトラウスの和声的技術の粋を凝らした伴奏部分と爛熟した旋律部分の融合が見事な彼の傑作のひとつである。
「黄昏の中の夢」作品29−1
 1894〜1895年にオットー・ユリウス・ビーヤバウムの詩に付曲。これは作曲者の手によってはオーケストレーションがなされておらず、今回は指揮者としても有名なローベルト・ヘーガーの手になるものが使われる。たそがれの薄闇の中を、麗しい人への昂ぶる気持ちを抑えて歩む姿を歌ったもので、児玉はこれを『時間と共に消えようとする「一瞬の幸せ」を満喫しようとする』と説明している。R.シュトラウスの200曲以上に及ぶ歌曲の中でも、最も霊感に満ちたものの一つとの呼び声が高い名品。「たそがれ」というものが示す情感をこれほど見事に音で描いた作品も珍しい。
「あした」作品27−4
 1894年にジョン・ヘンリー・マッケイの詩に付曲。1897年にピアノ部分がオーケストラにも編曲されている。太陽が再び昇り、あの人に会い、二人で静かに岸辺に進み、黙って眼を見交わしあう。その時のひそやかな幸福感といったら。児玉はこれを『一夜明けて再び昇る太陽を願望しながら、「無言の至福に思いを馳せる」歌』と説明する。歌はまるで何かに祈りを捧げるように歌われ、その敬虔な美しさに心を奪われない人はいないだろう。彼の歌曲の中でも演奏機会の多い作品であることが納得できる名品である。

◇ブルックナー(1824〜1896):交響曲第6番イ長調 
 児玉宏=大阪シンフォニカー交響楽団は、これまでその出会いで演奏された第3番を嚆矢として第7番、第5番、第1番の4曲を演奏してきた。初めての第3番のとき、いわゆる現代のフルオーケストラとしてはやや小振りな大阪シンフォニカー交響楽団から、これほど豊穣な音楽が流れ出すとは思いもかけなかっただけに、驚嘆の度合いも並みではなかったが、その後つづいて演奏されるブルックナーやその他のプログラムの質の高さを耳にしていると、今このコンビが大阪で占める存在感の大きさを感じないわけにはいかない。
 今やこのコンビの定番となったブルックナーの、今回は第6番。第2番と並んで恐らく最も演奏頻度の低い作品ではないだろうか。第5番、第7番という大作、名作に挟まれて完成度の高さなどで分の悪さは否めないが、決して作品の質が劣るわけではない。いやむしろ聴き込むほどに味の出てくるなかなか優れた作品であると私は思っている。
この作品には、ブルックナー自身の手になる改訂がなく、彼の交響曲につきものの版や稿の問題もさほど大きくない。作曲されたのは1879年9月から1881年の9月までのちょうど2年間。やや長い時間を要しているのは、この曲を作曲しているのと同時期に、第4番の3つ目のフィナーレの作曲が挟まれていたためである。そのため第6番には、例えばフレーズのあり方や調性の選択、音程の使い方などの細部について、第4番と少なからず関連があると認められる部分が散見される。「ロマンティッシェ」(ロマンティック)と名づけられた有名な第4番をご存知の方なら、両曲に何らかの親近性を感じられるに違いない。ぜひそのあたりも注目しながらお聴きいただければと思う。  全曲の完全初演は作曲者存命中には行なわれず、1899年2月にグスタフ・マーラーの指揮によってウィーンで行なわれたが、その際は様々な手を加えられての演奏であったようだ。1899年にウィーンのドプリンガーより初版が出版されているが、それはブルックナーの原稿とはかなり異なる部分も散見され、結局作曲者の稿に基づく原典版は、1935年にハースの校訂を経て刊行された。また1952年にはノーヴァク校訂の全集版が出版されている。現在はこれらをもとに演奏されることは言うまでもない。  第1楽章は、付点リズムと三連譜の組み合わせという一種のブルックナー・リズムによる彼ならではの開始。これまたこだわりの三主題を用いたソナタ形式で書かれた堂々たる音楽。第2楽章のアダージョもやはり三つの主題を持ったソナタ形式。ブルックナーの緩徐楽章としては形式的にはやや例外的だが、息の長い歌が何とも美しい。第3楽章は軽妙な味を持ったスケルツォ。第4楽章もまた三つの主題を用いたソナタ形式による壮大なフィナーレ。とにかく一つのことにとことん夢中になるブルックナーという人の性格が作法にも典型的に出た作品といえるだろう。

(C) 中村孝義(大阪音楽大学学長・音楽学)(無断転載を禁ずる)


R.シュトラウス:オーケストラ伴奏付き歌曲集─対訳

対訳:三ヶ尻 正(音楽学)

東の国から来た三人の聖なる王 作品56-6
Die heiligen drei Könige aus Morgenland op. 56-6
詩:Heinrich Heine/作・編曲:Richard Strauss
Die heil’gen drei Kön’ge aus Morgenland,
sie frugen in jedem Städtchen:
,,Wo geht der Weg nach Bethlehem,
ihr lieben Buben und Mädchen?“

Die Jungen und Alten, sie wuβten’s nicht,
die Kön’ge zogen weiter;
sie folgten einem goldnen Stern,
der leuchtete lieblich und heiter.

Der Stern blieb stehen über Josephs Haus,
da sind sie hineingegangen;
das Öchslein brüllte, das Kindrein schrie,
die heil’gen drei Könige sangen.


陽が昇る国から来た三人の聖なる王が
小さな町に寄るたびに訊ねました:
「かわいい少年よ、娘よ、
ベツレヘムへ行く道はどこか?」と。

老いも若きも答えを知りませんでした。
そこで王たちは先へと進みました。
王たちは夜空に優しく明るく光る
金色の星を追って行きました。

その星はヨセフの家の上に止まります。
王たちはその家の中へと入って行きます。
牛がうなり、おさな児が泣き声を上げ、
そして三人の聖なる王たちは歌を歌いました。


子守歌 作品41-1
Wiegenlied op.41-1
詩:Richard Dehmel/作・編曲:Richard Strauss

Träume, träume du, mein süβes Leben,
von dem Himmel, der die Blumen bringt.
Blüten schimmern da, die beben
von dem Lied, das deine Mutter singt.

Träume, träume, Knospe meiner Sorgen,
von dem Tage, da die Blume sproβ;
von dem hellen Blütenmorgen,
da dein Seelchen sich der Welt erschloβ.

Träume, träume, Blüte meiner Liebe,
von der stillen, von der heil’gen Nacht,
da die Blume seiner Liebe
diese Welt zum Himmel mir gemacht.


夢見なさい、私の甘いいのちよ、
天の夢を見なさい、花をもたらしてくれる天を。
天では花々がほのかに光っていて、
あなたの母が歌う歌に合わせて揺れています。

夢見なさい、私の大切なよ、
花の咲いた日を。
あなたの小さな魂が自分を世界に開いた、
あの花咲く明るかった朝を。

夢見なさい、私の愛する花よ、
静かな、神聖な夜を。
その夜、あの方の愛の花が、
この世を私にとっての天国にしてくれたのです。


私の眼 作品37-4
Mein Auge op.37-4
詩:Richard Dehmel/作・編曲:Richard Strauss

Du bist mein Auge! Du durchdringst mich ganz,
mein ganzes Wesen hast du mir erhellt,
mein ganzes Leben hast du erfüllt mit glanz,
mich strauchelnden auf sichern Pfad gestellt!

Mein Auge du! Wie war ich doch so blind
an Herz und Sinn, eh du dich mir gesellt,
und wie durchströmt mich jetzt so licht, so lind
verklärt der Abglanz dieser ganzen Welt!

Du bist mein Auge, du!


君は私の眼! 君は私を貫き通した。
君は私の存在すべてを明るく照らした。
君は私の人生すべてを輝きで満たし、私を
きつつも、確かな道に乗せてくれたのだ。

君は私の眼!君が私の前に現れるまで、どうして
心も胸もあれほど盲目でいられたのだろう?
そしていま、この世のすべてを映した光が
なんと明るく優しく私を貫き照らすことか!

君は私の眼、君は!


黄昏の中の夢 作品29-1
Traum durch die Dämmerung op.29-1
詩:Otto Julius Bierbaum/作曲:Richard Strauss/編曲:Robert Heger

Weite Wiesen in Dämmmergrau;
die Sonne verglomm, die Sterne ziehn,
nun geh' ich hin zu der schönsten Frau,
weit über Wiesen in Dämmmergrau,
tief in den Busch von Jasmin.

Durch Dämmmergrau in der Liebe Land;
ich gehe nicht schnell, ich eile nicht;
mich zieht ein weiches samtenes Band
durch Dämmmergrau in der Liebe Land,
in ein blaues, mildes Licht.


黄昏の中、広い草原で、
太陽は輝きを失い、星が現れる。
私はいま、いとも美しい女性のもとへ向かう。
黄昏の中、草原の遠く向こうへ。
ジャスミンの深い茂みの奥に。

愛の国の黄昏のなかで、
私は足を早めることもない、急ぐこともない。
やわらかなビロードの帯が私を導いてくれる。
愛の国の黄昏のなか、
青くやわらかな光のなかで。


あした 作品27-4
Morgen op.27-4
詩:John Henry Mackay/作・編曲:Richard Strauss

Und morgen wird die Sonne wieder scheinen
und auf dem Wege, den ich gehen werde,
wird uns, die Glücklichen, sie wieder einen
inmitten dieser sonnenatmenden Erde....

und zu dem Strand, dem weiten, wogenblauen,
werden wir still und langsam nieder steigen,
stumm werden wir uns in die Augen schauen,
und auf uns sinkt
des Glückes stummes Schweigen...


そしてあしたにはまた陽が輝くだろう。
そして太陽は私が行く道の途上、
太陽の息を存分に吸った大地の上で
私たち幸いなる者を再び
一つに結び合わせてくれるだろう。

そして青い波の寄せる広い渚に
私たちは静かにゆっくりと下りてゆく。
私たちは無言でお互いの眼を見つめ合う。
そして私たちの上には
幸運の静かな沈黙が降りてくるだろう。

【不許複製】

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