第76回定期演奏会の聞き所:
ザンデルリンクさんからのメールです。
Dear Sirs
I just came back from Berlin. Anyhow
It is probably not necessary to talk about the wonderful and famous Piano-Concerto by Schumann, which is very well known and loved by japanese audiences.
Mahler's "Song of the Earth" is one of his few most important works.
To read the verses (the text of the songs ) is very important for the understanding of the work (I hope, the text is printed in the program-concert leaflet)..
Mahler used the famouse at that time german translation from Hans Bethge of classical poems of old chinese poetry.
The art of great beauty and wisdom. It is about the human being, about the life on our Earth, but also about the human death.
The music add to the verses another dimension of meaning, but also beauty.
Best regards
Thomas Sanderling
「拝啓
なにはともあれ、ベルリンから戻って参りました。
日本の聴衆のみなさまにもよく知られまた愛されている、このすばらしくも有名なシューマンのピアノ協奏曲については、おそらく私が改めて申し上げることも無いと思われます。
マーラーの「大地の歌」は、彼の主要な作品の一つであります。{元になった}詩を読んでおくことは(これはこの作品の歌詞でもあります)作品の理解においてとても重要なことです。(ですから私はこの歌詞が定期演奏会のプログラムにも掲載されることを望んでおります)
マーラーは当時有名であったハンス・ベートゲによる漢詩のドイツ語翻訳を用いています。
偉大なる美と英知による芸術。これはこの人間という存在、そしてこの地上で生ける日々{人生}のこと、そしてその終わりの時{死}をも指しています。
この音楽は{元となった}漢詩に、また違った次元から{光を当てた}価値、そして美を与えているのです。敬具」
ファゴット首席奏者のフージーさんの訳です。
第76回定期演奏会用楽曲解説
◆シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 作品54
シューマン(1810〜1856)のピアノ協奏曲はこの1曲だけしかない。若い頃ピアノ協奏曲の作曲を試みながら、結局完成しないで終わったのは、ピアノの技法よりも管弦楽の用法に苦心し、満足するに至らなかったためと言われる。しかしその10数年後に完成したこの協奏曲では、それらの事柄が見事に克服され、優れた作品に仕上げられている。彼はピアノと管弦楽のための作品として、まず1841年に「幻想曲イ短調」を作った。この頃より、それまでのピアノ独奏曲中心の傾向から脱して、管弦楽作品にもその才能を発揮し始め、交響曲などに優れた作品を書いてゆくようになる。そして管弦楽に対して自信をつけた彼は、従来から意図していたピアノ協奏曲の作曲にとりかかったのである。前述の「幻想曲」の成功から、それを元にした協奏曲にしようと決め、この「幻想曲」にカデンツァと終結部を書き加えて第1楽章とし、新しく「間奏曲」と題する第2楽章と、終楽章を作曲して1845年に完成した。
ロマン派の協奏曲にありがちなヴィルトゥオーゾ志向が表面に出ないのはシューマンの意図したところだが、ピアノの技法、管弦楽の用法がよく練られており、シューマン独自の幻想的で内燃的な、まさにドイツ・ロマン派音楽の世界を生み出している。曲は、アレグロ・アフェットゥオーソの第1楽章、アンダンテ・グラツィオーソの第2楽章、アレグロ・ヴィヴァーチェの第3楽章からなり、第2、第3楽章は切れ目なく演奏される。
◆マーラー:交響曲「大地の歌」
マーラー(1860〜1911)の「大地の歌」が作曲されたのは1907年から翌年にかけてであるが、その1907年、マーラーは10年間務めてきたウィーン宮廷歌劇場の監督を、周囲の人々との衝突で辞任し、指揮者としての大きな転換期にあった。それより前、夏には長女マリア・アンナを失い、またマーラー自身が心臓疾患の診断を受けるなど、それまで以上に死を強く意識したに違いない。常に死を通して人生を考えていたマーラーだが、そうした不幸な出来事を相次いで経験したことで、愛する大地への告別の歌を書こうと思ったのも無理からぬことだろう。そうした状況のもと1907年遅くに、マーラーにニューヨークのメトロポリタン歌劇場から有利な条件で招聘があり、彼はそれを受諾して12月にアメリカに渡る。このヨーロッパと訣別する直前から、マーラーはこの交響曲の構想を練っていたわけだが、翌1908年の夏、休暇でヨーロッパに帰っていた時、南オーストリアのアルトシュルダーバッハに借りていた夏の別荘でこれを書きあげた。
マーラーがこの交響曲を書いたのは『シナの笛』との出会いが直接の動機と言える。『シナの笛』は、19世紀後半のヨーロッパに流布していた李太白や孟浩然など唐の様々な詩人の漢詩の散文訳を、ハンス・ベートゲ(1876〜1946)が編纂し、自由にドイツ語訳した83編からなる詩集で、マーラーはこれを友人を通して知った。そこに謳われた“無為自然の思想”に、かねてから厭世思想を持っていたマーラーが深い共感を抱いたのもきわめて自然なことだったろう。彼はこの『シナの笛』から7編を選び出し、それに所々手を加えたり自作の詩句を挿入したりなど、かなり自由に扱って全6楽章からなるこの交響曲のテキストにした。「テノール、アルト(またはバリトン)の独唱とオーケストラのための交響曲」という副題を持つこの曲は、第8交響曲に次いで完成されたもので、本来ならば第9番という番号が付けられるべきものだった。しかし、ベートーヴェンやブルックナーが第9交響曲を書いて世を去っていることから、マーラーは縁起をかついで第9番という番号を与えず、単に「大地の歌」としたのである。その後、彼は自分の弱さを打破しようと次の交響曲を作曲し、それが「大地の歌」とは違って純粋な器楽交響曲であったため、第9番と付けざるを得なくなった。そしてさらに第10交響曲にも手を染めたのだが、それは未完に終わり、結局第9のジンクスは成立してしまったのである。
ところで、マーラーの作品は交響曲と歌曲にほとんど限られており、そのふたつの融合を目指したものも多いが、このふたつの分野の同化という意味で、この「大地の歌」はマーラー音楽の総決算であり、集大成である。ここにはマーラーが、その晩年に一層強めていったユダヤ的汎神論的傾向と、詩の持つ東洋的な無常感と諦観が見事に調和し、きわめてユニークな、しかしすばらしい傑作と呼べる世界がある。
第1楽章「大地の悲しみによせる酒の歌」〜アレグロ・ペザンテ(重々しく)、イ短調、3/4拍子。詩は李太白によるとされる。
第2楽章「秋にさびしきもの」〜“やや緩やかに、疲れたように”、ニ短調、3/2拍子。銭起の詩とされるが、張籍もしくは張継との説もある。
第3楽章「青春について」〜“なごやかに明るく”、変ホ長調、2/2拍子。李太白の詩による。
第4楽章「美について」〜コモド・ドルチッシモ、ト長調、3/4拍子。詩は李太白。
第5楽章「春に酔えるもの」〜アレグロ、イ長調、4/4拍子。李太白の詩による。
第6楽章「告別」〜“重々しく”、ハ短調、4/4拍子。孟浩然と王維の2編の詩による。(c)音楽評論家 福本 健 (無断転載を禁ずる)