第80回定期演奏会・楽曲解説

◆ブラームス:悲劇的序曲 op.81
ブラームス(1833〜1897)がベートーヴェンを範としていたことは広く知られるが、この先輩作曲家の「エグモント」や「コリオラン」といった序曲を目指して作曲したとされるのが、この「悲劇的序曲」である。ブラームスの有名な2曲の序曲、つまりこの「悲劇的序曲」と「大学祝典序曲」は1880年に前後して完成されたが、「悲劇的序曲」は10年以上も前にスケッチが開始されており、熟考を重ねて書き上げられている。タイトルにも示されるように、明るく壮麗な「大学祝典序曲」とは対照的に悲劇的な感情が盛り込まれた音楽で、何か具体的な人間感情を描いているように思われるが、その内容は明らかにされていない。完成の年の12月にウィーンで、ハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルによって初演されたこの曲は、アレグロ・ノン・トロッポ、ニ短調、2/2拍子のソナタ形式によっている。
◆ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 op.26
マックス・ブルッフ(1838〜1920)は早くから作曲に非凡な才能を示し、旺盛な創作活動を展開して数多くの作品を書いたのだが、今日ではこのヴァイオリン協奏曲を代表として、「スコットランド幻想曲」および「コル・ニドライ」くらいが比較的ポピュラーなものとして親しまれているに過ぎない。ところが彼の創作の中心は、器楽曲よりむしろオラトリオや歌劇などの大がかりな声楽作品で、19世紀後半にはドイツで最も高く評価されたオラトリオ作曲家だったらしい。そしてその合唱作品は生前には盛んに演奏され、その名をヨーロッパ中に轟かせたという。その一方でブルッフは指揮者としても活躍し、また晩年には教育者としてもドイツの指導的立場にいた。その活躍ぶりはブルッフが受けた数々の文化勲章や名誉音楽博士号などから、また1907年からは芸術院副総裁を務めたことなどから明らかである。しかし彼がユダヤ系であるという理由からだが、1935年から45年にかけてナチスによって彼の作品が上演禁止とされたため、その余波として今日なお作品の多くが忘れ去られたままになっている。
 ブルッフはヴァイオリン協奏曲を全部で3曲残しているが、その中ではこの第1番が最もポビュラーである。1866年の作品で、この時彼はゴブレンツの楽長を務めていた。曲はメンデルスゾーンの影響を受けたと思われるドイツ・ロマン主義的傾向の強いもので、豊かな旋律美とロマンティックな情熱に溢れている。作曲された年の4月に、ケーニヒ・スロウの独奏、作曲者自身の指揮によってゴブレンツで初演されたが反響はあまり芳しくなく、その2年後にブレーメンで大家ヨーゼフ・ヨアヒムによって再演されて大成功を収めた。これに感謝してか、この曲はヨアヒムに献呈されている。
 第1楽章<イントロダクション> アレグロ・モデラート、ト短調、4/4拍子、自由なソナタ形式。切れ目なく次の楽章に入る。
 第2楽章 アダージョ、変ホ長調、3/8拍子、自由な形式の歌謡楽章。
 第3楽章<フィナーレ> アレグロ・エネルジーコ、ト短調、2/2拍子、ソナタ形式。
◆ブラームス:交響曲 第2番 ニ長調 op.73
前述のようにベートーヴェンを範とし、その偉大な9つの交響曲群に劣らない作品を書かねばという重圧を自らに課したブラームスが、20年以上に亘って断続的に筆を進め、やっと書き上げた第1交響曲を発表したのは、彼が40歳代に入ってからのことであった。それによって心の負担を解消したかのように、ブラームスはその翌年、すなわち1877年にかなり短期間(およそ4カ月間)で一気にこの第2交響曲を書き上げている。このことはあまりにも対照的な事実と言えようが、実際書き上げられた作品もまた、きわめて強烈な対照を見せている。
この第2交響曲は、ブラームスが避暑地として訪れていたペルチャッハで作曲されている。もっとも、完成されたのはバーデン=バーデン近郊のリヒテンタールにおいてであったが、この曲の類いまれな美しさがアルプスの山々に囲まれたウェルター湖畔の小村での生活を反映したものであることは、間違いないだろう。ブラームスはそ
の最晩年に自らの創作を回想して、自分がこれまでに書いた最も美しい音楽はこの第2交響曲であると言った、とも伝えられているが、それは充分に信ずるに足るものがあると思われる。
この曲には、第1交響曲に見られる思い詰めたような表情や、多少は無用とさえ思えるほどの意気込みのようなものはほとんど見られず、流麗なばかりの音楽の流れをみせているのである。のちの第3交響曲を「英雄」と呼んだハンス・リヒターは、この第2交響曲に「田園」という名を与えているが、これもまたふさわしいものと言え
るだろう。しかしこの曲は、単なる田園風物詩ではなく、あくまで堂々とした交響曲であり、聴き込むほどにこの曲の明るさやのどかさの中には、複雑な感情が秘められているようにも思われる。そしてその構成は、規模的には第1交響曲より小さくなってはいるものの、要所はしっかりと押さえられ、寸分の隙もなくまとめられていると言える。初演は1877年12月30日、ハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルにより行われ、第1交響曲よりも遙かに成功を収め、第3楽章がアンコールされたという。
 第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ、ニ長調、3/4拍子、ソナタ形式。
 第2楽章 アダージョ・ノン・トロッポ、ロ長調、4/4拍子、変形したソナタ形式。
 第3楽章 アレグレット・グラツィオーソ(クワジ・アンダンティーノ)、ト長調3/4拍子、ロンド形式。
 第4楽章 アレグロ・コン・スピーリト、ニ長調、2/2拍子、ソナタ形式。
(無断転載を禁ずる)(C)福本健

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