第81回定期演奏会・楽曲解説
民俗音楽の宝庫、ルーマニア
黒い瞳。色とりどりの民俗衣装。それに快活な踊りと音楽。黒海に臨むルーマニアのイメージは鮮烈で、どこか東洋的な香りがする。周辺諸国にスラブ系が多い中で、ここは珍しくラテン系である。かつてはロシア、ハンガリー、トルコなどの圧政に耐え、20世紀に入ってからもナチス・ドイツやソ連の支配下に置かれたが、それに屈することなく不羈の精神で自由と独立を獲得した。国土はわが国の3分の2の広さで、約2300万の人々がゆったりと暮らしている。今年は日本とルーマニアがはじめて外交の糸口をつかんで100年。美しい自然と人情の豊かなこの国の音楽に耳を傾けながら、友好のきずなをさらに深めたいものである。
シルヴェストゥリ: トランシルヴァニアとビホール地方の5つの民俗舞曲
コンスタンチン・シルヴェストゥリ(1913−1969)は首都ブカレスト生まれの指揮者で、後に英国に帰化して活動を続け、管弦楽や室内楽の作品も残している。ルーマニアの中部から西部に広がるトランシルヴァニアは、森の彼方という意味があり、山並みに囲まれた肥沃な盆地である。この西方にそびえるビホールの山地の周辺でも、純朴な住民たちが大地に根を下ろして営々と暮らしている。シルヴェストゥリはバルトークの採取した民謡を素材にして、遥かに離れた母国に思いをはせながら、この民俗舞曲をつくった。
バルトーク:ルーマニア民俗舞曲 Sz.68
ベーラ・バルトーク(1881−1945)はハンガリー出身の作曲家で、友人のコダーイとともにマジャール(ハンガリー)の民謡を研究し、西欧の技法を生かして近代音楽の発展に貢献した。ハンガリーやルーマニアなど各地の調査を通して、民謡のルーツとジプシー音楽は無縁のものであることを明らかにした。バルトークはトランシルヴァニアに取材して、ルーマニア民俗舞曲を1915年にピアノ曲として発表、17年には管弦楽用にも編曲した。
第1曲ジョク・ク・バータ(棒踊り)棒を突くようなリズムが印象的。
第2曲ブラウル(飾り帯をつけて踊る)農民たちの快活な動き。
第3曲ペ・ロック(足踏み踊り)さびしさが漂う。
第4曲ブチュメアーナ(ブチュムの踊り)柔らかな曲。
第5曲ポルガ・ローマニャスカ(ルーマニア風ポルカ)ビホール地方のポルカ。
第6曲マルンツェル(急速な踊り)早いテンポで華やかに終曲へ。
尾高尚忠:フルート協奏曲 作品30b
欧州では第1次大戦後に12音音楽など革新的な技法が出現して、後期ロマン派とせめぎ合い、新たな潮流が渦巻いていた。このような時代のうねりの中で欧州を実地に体験しながらも、終始日本人としての感性を失わずに近代化を推進した作曲家の1人に尾高尚忠(1911−1951)がいる。ウィーンでワインガルトナーらに作曲や指揮法を学び、オーケトラの指揮もとった。帰国後も国内の主要オーケストラを指揮し、東京高等音楽学院(現国立音大)の教壇に立つなど活躍した。戦後の日本音楽界の復興に尽力したが、惜しくも39歳の若さで亡くなった。その業績を記念して「尾高賞」が設けられ、子息の忠明も現在指揮者として活躍している。
この協奏曲はフルート奏者森正(後に指揮者)の依頼で1948年に作曲された。オーケストラのメンバーを増やした大編成版もある。第1楽章アレグロ・コン・スピリート、イ長調、4分の3拍子、2部形式。旋律は冒頭から心地よく、主題は軽快である。第2楽章レント、ニ短調、4分の4拍子、シンメトリックな5部形式、フルートの伸びやかな上昇と下降が印象的。第3楽章モルト・ヴィヴァーチェ、イ長調、4分の4拍子、2部形式。コーダで再現される主題が力強い。
エネスコ:
組曲第1番ハ長調 Op.9
ルーマニア狂詩曲第2番 ニ長調 Op.11−2
ルーマニア狂詩曲第1番 イ長調 Op.11−1
ルーマニアを代表する作曲家ジョルジュ・エネスコ(1881−1955)はウィーンとパリに学んだ。彼が入学した当時のパリ音楽院は全盛期を迎えていた。作曲家として令名を馳せたマスネとフォーレが教鞭をとり、ラヴェルも在籍して活気を呼んでいた。エネスコは芸術の都にあって、まずヴァイオリニストとして頭角を表わし、次いで新進の作曲家として認められるようになった。演奏活動に忙しく、作曲の時間をひねり出すのに苦心したそうだ。教育者としての声価も高く、門下からメニューイン、グリュミオーらの名手を送り出した。
「私の追憶の中にはジプシー音楽がある」とエネスコは後に「回想記」で語っている。ルーマニア北部にあるモルダヴィアの地に生まれ、幼少の時からジプシーになじんできた。交響曲やソナタも書いたが、組曲や狂詩曲など自由な形式の作品で遺憾なく本領を発揮している。それも彼を育んだ豊かな大地と無縁ではないだろう。
組曲第1番は1903年に管弦楽用につくられ、サン・サーンスに献呈された。前奏には同時代の作曲家コダーイ好みの手法を取り入れて民俗色にあふれ、フィナーレにも活気のあるタランテラを用いている。エネスコ初期の作品で清新な気分がみなぎり、本人にとっても後々までお気に入りの曲であったという。
ルーマニア狂詩曲第1番は1901年、第2番はその翌年に作曲された。第1番でエネスコの人気は一気に高まったが、初演ははっきりせず、第2番とともに1908年演奏の記録が残されている。第1番ではジプシー的な旋律が情熱的で、イングリッシュ・ホルンの響きは東洋世界をほうふつとさせる。第2番はバラード風で、異国へのノスタルジーを感じさせる。
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