第82回定期演奏会・楽曲解説

◆チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 op.23
 ロマン主義の底流として、またロマン主義を特徴づけた重要なひとつの要素として、民族主義がある。その最も端的な顕れとしては、その作曲家の自国の民族音楽を芸術作品の中に取り入れるということであった。生前、同じ国の作曲家たちから“西欧かぶれ”との非難を受けたチャイコフスキーも、時を経た今日では、極めてロシア的な音楽を作曲した音楽家であるとされている。確かにチャイコフスキーは他の著名なロシアの作曲家、例えばグリンカやムソルグスキーのようなやり方で民族音楽を自分の作品に取り入れず、むしろ民族音楽と一定の距離を保っていたと言えるのだが、その音楽の根底に流れているものは、やはりロシアの風土を背景にしか考えられないセンティメンタリズムだろう。
 そのチャイコフスキー(1840〜1893)は全部で3曲のピアノ協奏曲を作曲しているが、今日一般にチャイコフスキーのピアノ協奏曲と言えば、余程の事情でもない限りこの第1番を指すように、他の2曲はほとんど演奏される機会がない。第2番はピアノとオーケストラの対比がやや不明瞭であること、また第3番は第1楽章のみが完成されただけで、他の楽章はスケッチしか残っていないことがその理由のひとつだろう。とにかくこの第1番は1874年に作曲されたのだが、オーケストレーションの巧妙さ、独奏ピアノの華やかな扱い、そして耳になじみやすい美しいロシア的な旋律など、群を抜いた魅力を持っているために、最もポピュラーなピアノ協奏曲のひとつとして、多くの人々に喜んで聴かれ、また多くのピアニストによって好んで演奏されている。
とは言え、この協奏曲が最初から素直に受け入れられた訳ではないという話は有名である。つまり大ピアニストのニコライ・ルビンシテインに捧げるはずだったこの曲を、ルビンシテインが酷評し改作を勧めたために、チャイコフスキーはこの献呈を取りやめたのである。結局、曲は指揮者でありピアニストでもあったハンス・フォン・ビュローに捧げられ、1875年のボストンにおける初演で大好評を博してチャイコフスキーの名を世界的なものにしたのである。のちにルビンシテインはチャイコフスキーと和解し、度々この曲を演奏したという。
 第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ・エ・モルト・マエストーソ、変ロ長調、3/4拍子〜アレグロ・コン・スピーリト、変ロ短調、4/4拍子、かなり自由な変則的ソナタ形式。
 第2楽章 アンダンティーノ・センプリーチェ、変ニ長調、6/8拍子、中間部がプレスティシモになる3部形式。
 第3楽章 アレグロ・コン・フォーコ、変ロ短調、ロンド形式。

◆ショスタコーヴィチ:交響曲 第10番 ホ短調 op.93
 ショスタコーヴィチ(1906〜1975)の交響曲第10番は、前作第9番以来8年ぶりの1953年に作曲された。第2次世界大戦が終結した1945年、政府と世間から戦勝記念の大規模な交響曲を期待されたショスタコーヴィチは、その期待とは裏腹に新古典的なシンフォニエッタとも言うべき軽量の第9番を発表した。そのいわば肩透かしが契機となって、演劇や映画などの形式主義を批判する《ジダーノフ批判》が音楽界にも及び、彼の第8番と第9番の交響曲が槍玉に挙げられた。その名指しの非難を受けて以来、ショスタコーヴィチはスターリン体制下では交響曲の創作に手をつけようとはしなかったのだが、1953年3月にそのスターリンが死去するやいなや、彼はその年の夏3ヶ月をかけて、新しい交響曲を一気に作曲した。それがこの第10番である。
 この交響曲第10番の作曲経緯について、彼はヴォルコフ編の『ショスタコーヴィチの証言』の中で「私はスターリンへの賛美を書くことはできなかった。とてもできなかった。だが、私は次の交響曲である第10番で音楽によってスターリンを描いた。私はそれをちょうどスターリンの死の直後に書いたので、この交響曲が何について書かれたのかを推測する人はまだ誰もいない。それはスターリンとスターリン時代について書いたのだ。大雑把に言うと、第2楽章のスケルツォは音楽によるスターリンの肖像である。もちろん、その中には他にもいろんなものが数々あるが、それが基盤になっているのだ」と述べている。しかしその一方で彼は自身の姓名のモノグラム(組み合わせ文字)を音型化し、そのモティーフを曲の要所要所に埋め込んで個人的な自己主張を盛り、作品に二重の意味を持たせているのである。そのモティーフは、彼の名前のドイツ語綴りD.Schostakovichの最初の4字DSCHを音名として読んだ“ニ、変ホ、ハ、ロ”という音型で、それを自己署名として使ったのである。ちなみにショスタコーヴィチには、このDSCHのモティーフを織り込んだ作品がいくつかあるが、最初にそれを公にしたのは、この交響曲第10番においてである。
 作曲年の12月17日にムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルの定期で初演されたこの曲は、ソ連国内では内容が暗すぎて社会主義リアリズムの要請に合致しないとか、最初の3つの楽章に比して終楽章が力弱すぎてバランスが悪いなどと批判されたが、翌年10月14日にミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィルの定期でアメリカ初演された時は好評で、1954〜55年のシーズン中にニューヨークで紹介されたオーケストラ作品の最優秀作として[ニューヨーク音楽評論家賞]を受賞した。
 第1楽章 モデラート、ホ短調、3/4拍子、ソナタ形式。
 第2楽章 アレグロ、変ロ短調、2/4拍子のスケルツォ的楽章。
 第3楽章 アレグレット、ハ短調、3/4拍子のインテルメッツォ的な性格の楽章で、DSCHのモティーフを中心に構成される。
 第4楽章 アンダンテ、6/8拍子〜アレグロ、ホ長調、2/4拍子、序奏の付いたロンド風の形式。

(無断転載を禁ずる)(C)福本 健

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