2005年01月12日 第97回定期演奏会曲目解説
常設のオーケストラに限らず、一つの組織にとって、どのようなシェフを戴くかということは、その方向性を決定する重大事である。その意味で、大阪シンフォニカー交響楽団が、昨年9月に指揮者陣の大胆な刷新を行ったのは、様々な意味で注目すべき出来事であった。ミュージックアドバイザー・首席指揮者に、海外でのヴィオラ奏者、指揮者としての充実した経験を持ち、国内では九州交響楽団の常任指揮者として大きな成果をあげた大山平一郎を、また首席客演指揮者にプラハ放送交響楽団の首席指揮者ウラディーミル・ヴァーレックを迎え、正指揮者の寺岡清高とともに3人体制にするという思い切った措置には、大阪シンフォニカー交響楽団の新たな飛躍への意欲や決意が明確に読み取れたからだ。 さて新体制後の第97回定期演奏会に招かれた指揮者は、デュッセルドルフ・ライン・ドイツ歌劇場の第一オペラ専属指揮者、バイエルン州立コーブルク歌劇場音楽総監督など、わが国の指揮者には珍しい26年にも及ぶドイツの歌劇場での経験を有する児玉宏。もちろんその間、南ヴェストファーレン・フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を務めたこともあり、コンサート指揮にも通じていることはいうまでもない。ドイツで培ったその実力が、メンデルスゾーンやブルックナーといった、まさにドイツ語をしゃべる音楽にどのように生かされるか、室内楽やソロにも盛んな活躍を見せる日本フィル ソロ・コンサートマスターの木野雅之のソロとともに注目の演奏会だ。
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調 作品64
1小節半の前奏をおいて始まる、あの少し愁いを帯びた美しい旋律は、一度耳にすれば忘れることができないほど印象的なもので、その上品なたたずまいやむせ返るようなロマンティシズムともあいまって、この協奏曲は初演以来今日にいたるまで微塵も衰えることの無い人気を保ちつづけてきた。ロマン派の他の作曲家たちの音楽に比べると、流麗だが切迫した緊張感に乏しいと思われがちなためか、わが国ではいささか不人気をかこってきたメンデルスゾーンだが、この作品だけは、数あるヴァイオリン協奏曲の中でも最高の評価と人気を誇る名曲として傑作の名をほしいままにしてきた。 この曲はメンデルスゾーンが常任指揮者を務めていたライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターであったフェルディナント・ダーヴィトの演奏を念頭に1883年に着想された。当初必ずしも彼の思惑通りに筆は進まず、その完成には何と6年もの年月を要したが、ダーヴィトから演奏法上の丁寧な助言を得て、1844年にはロマン派の協奏曲の中でも屈指の素晴らしい作品として完成されることになった。当時の作品としては珍しく3つの楽章が休み無く続けて演奏されるが、各楽章は簡にして要を得た見事なまとまりを見せ、まさにロマン派きっての古典主義者として、その均整の取れた書法を称えられたメンデルスゾーンの面目が躍如とする傑作である。またヴァイオリン独奏部も、彼特有のメランコリーの漂う叙情的な旋律美にあふれ、技巧的な見せ場も十分で、現在も多くのヴァイオリニストに欠かせないレパートリーとなっている。
ブルックナー:交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」(1877年 第2稿)ノーヴァク版 1981年
人間は、自分が生み出したものになかなか満足を覚えることが無いが、ブルックナーほどそのことを顕著に示した作曲家もいないだろう。彼は弟子や近親者から批判や指摘を受けると、改訂に着手せずにはいられない人間だったのである。しかし彼は改訂後も、なぜか前の稿を破棄しなかったため、どの稿が果たしてブルックナーが本当に意図する作品であったのかを見極めることが、演奏家や研究者の課題として残されることになった。 今日演奏される交響曲第3番も例外ではなく、実に3つもの稿が残されている。この第3番には、ブルックナー自身によって「ワーグナ−」という副題が付されているように、ブルックナーが私淑していたワーグナーをバイロイトに訪ね、その際ワーグナーが献呈を受け入れた作品である。第1稿は1872年秋に着手され、1873年大晦日に完成している。この第1稿は、第1楽章や第2楽章にワーグナーの楽劇からのモティーフの引用と考えられる楽句が散見されることが大きな特徴である。ただこの第1稿は、作曲当時には演奏される機会さえ与えられなかった。そのためか第1稿完成後もブルックナーは、改良のために色々と手を加えている。そして1876年秋から本格的な改訂に取り組み、1877年4月末に完成したのが、今日演奏される第2稿と呼ばれるものである。ちなみに第3稿への改訂作業は、ずっと後の1888年3月から約1年をかけて行われた。この第3稿は、効果を狙おうとする意図が随所に見られたり、第2楽章、第4楽章などに大幅なカットが見られるため、「見るも無残な姿」になったと否定的に評価する人も少なくない。 そうした一方で、今日演奏される第2稿では、主題の関連が第1稿に比べて一層緊密となり、交響曲第4番、第5番の作曲経験を経て、自らの音楽的イメージを前面に押し出すことに自信を得たためか、ワーグナーからの引用も大幅に削除されることになった。親友ゲレリッヒの尽力のおかげで可能となったブルックナー自身の指揮による初演は、準備の不足もあり大失敗に終わったが、今世紀半ばにこの作品を校訂したエーザーが「交響曲第3番はこの稿で成熟した形となり、彼の意図が、妥当で充実した集中的な形式の中で具現されている」と言っているように、構成的にも緊密さを増し、音楽的にもブルックナーならではの個性が明確に刻印されており、現在も多くの支持者を得ているのである。 なお今日用いられるエディションは、第2稿初演の後に書き加えられたスケルツォへのコーダを含む、ノーヴァクの校訂による1981年の新全集版である。(無断転載を禁ずる)(C)音楽評論家 中村孝義