2009年3月20日第12回東京公演
■シェフからのメッセージ

1857年生まれのエルガーは、ピアノやヴァイオリン奏法を始め、和声法や対位法を含む作曲技術全般をほぼ完全に独学で習得したイギリスの作曲家ですが、無名な彼の作品を快く演奏し、その楽譜の出版に奔走し、作曲家としての知名度を国際的に確立させることに力を尽くした3人のドイツ人がいることは、あまり知られていません。

ブルックナーの和声法の教師でもあったゼヒターに音楽理論を習い、ワーグナーの下で「ニーベルングの指輪」の指揮をし、エルガーの作品初演を数多く手がけたヨーロッパ屈指の指揮者ハンス・リヒター。 楽譜の出版に力を尽くし、「エニグマ変奏曲」の IX に NIMROD として名前を残すことになったアウグスト・イェーガー。 そして1902年のラインランド音楽祭における「オラトリオ・ゲロンティウスの夢」の演奏で作曲家エルガーの名前を世界的に確立させたリヒャルト・シュトラウスです。

1864年生まれのリヒャルト・シュトラウスは、ご存知のように「ティル」や「ドン・ファン」など、交響詩の作曲家としてその活動を始め、「サロメ」や「バラの騎士」を初めとする数々の優れた歌劇を書き下したドイツの作曲家です。
第二次世界大戦の惨禍により完全崩壊したウィーン・ベルリン・ドレスデン・ミュンヘン各都市の歌劇場を目にしたとき、歌劇の作曲家として20世紀前半のヨーロッパ音楽界に君臨した彼は、一体何を思ったのでしょうか?
彼の最後の作品となった「4つの最後の歌」が“二羽の雲雀の鳴き声(ピッコロ2本)”で閉じられることは、“人間は塵から生まれ塵へ帰る”というカトリックの教えや、“すべて儚いものは喩えである”というゲーテの「ファウスト」とも響きあって、とても興深いものがあるように思います。
自然を“死後私たちが戻る場所”というかたちで捉えると、シュトラウスは“二羽の雲雀”の鳴き声を通して、既に60年前に“自然環境破壊への警鐘”を鳴らしていたのかもしれません。

1887年にスウェーデンのゴーテンブルクに生まれたアッテルベリは、エルガーと同じように、ほぼ独学で音楽を身につけた人です。 作曲家・指揮者・批評家としてだけではなく、リヒャルト・シュトラウスと同じように、作曲家の生活待遇改善に尽力した人でもあります。
その彼の名前を一躍世界的に広めることになった「交響曲第6番」は、アメリカのレコード会社コロンビアが、フランツ・シューベルト没後100年を記念して開催した作曲コンクールで第一位に選ばれた作品です。 賞金で高級自動車を買ったことが話題になり、Dollar交響曲と呼ばれるようになりました。

大阪シンフォニカー交響楽団 音楽監督・首席指揮者
児玉 宏

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