2005年09月25日 第10回淡路島定期演奏会/2005年09月28日 第103回定期演奏会
◆シェフからのメッセージ

幼い頃、週末になると父の石庭研究の為にいろんな庭を拝観する機会が多かった。 目的の庭に着くと、“この庭は、作者がここに座って観るように造った”とか、“この庭は、自然の佇まいを庭の一部として設計された、借景庭園だ”とかを父が説明していたのを思い出す。
 演奏家が曲を解釈し、演奏設計をする為には、作曲家が“どのような意図を抱いてその曲を書いたか”は、演奏家にとって最も“知りたい”ところとなる。
 ロスアンジェルス・フィルハーモニックがベートーヴェンの交響曲第5番に取組んでいた時に、私の師匠のジュリーニ氏から、“この曲の冒頭動機は鳥の囀るリズムから暗示を受けたと云うのは知っているか”と言われ、私の頭は“鳥”と“運命”をど のようにつなげるかに困惑してしまったのを覚えている…私の知っているこの曲の冒 頭動機についての逸話は「運命がこのように扉を叩く」と作曲者が言った力強いものだったハズだが…しかし一方では、“運命”と云う題名を作曲家自身が命名していないことも知っていた。
 この謎が解けてくるように思われたのは、まず日本の聴衆によって昭和初期に名付けられた“運命”と云う副題名から来る先入観を脇に置く事。そして、交響曲第5番 と第6番の作曲された時期が同期(1807−08年)である事を知った時だ。つまり、交響曲第5番も第6番と同じ様にウィーンの郊外の情景を借りた“借景”から成り立つ曲 なのかもしれないと思い出した訳だ。勿論、第6番“田園”は純粋の借景、つまり “標題音楽”そのものだが、第5番ハ短調は“苦悩を乗り越えての勝利”と云う作曲 家の人生を通して貫いたモットーに、森と云う自然の雄大な情感から暗示を受けて書いた、人生哲学曲であろうと秘かに思っている。“絶対音楽”と云われる曲ですら、 実は作曲者の心の中では、何かを描写しているはずだ。演奏家がその“何か”を求めて試行錯誤しながら謎を解き明かそうとするのだが、そこにロマンがあり、芸術の深さがあり、人と人の触れ合いが、時・民族・国境を越えて存在するのだ。
 さて、この交響曲を、今晩の皆様はどの様な思いで聴いて下さるかを知りたいとこ ろですが…
大阪シンフォニカー交響楽団
ミュージックアドバイザー・首席指揮者
大山 平一郎

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