2008年09月12日(金)第128回定期演奏会
■シェフからのメッセージ
モーツァルト : 協奏交響曲 変ホ長調 K.364(320d)「旅先での最愛の母との死別」という大きな心の痛手を抱えて故郷ザルツブルクに戻った23歳のモーツァルトにとって、1781年のウィーン移住までの2年間は<実りの多い時間>でした。
今晩お聴き頂く「協奏交響曲 変ホ長調 K.364(320d)」だけでなく、ミュンヘンで初演されたオペラ「イドメネオ(K.366)」や「2台のピアノのための協奏曲(K.365)」、交響曲(32番、33番、34番)や有名な「戴冠ミサ(K.317)」など、多数の作品がこの時期に書き下ろされました。
「芸術家としての自由と独立」の代償として「自らの生活基盤を失う」という決断を、2年後に自ら下す歴史的宿命を負ったモーツァルトにとって、<己の価値を自覚し始めた時期>に書かれたこの作品は、彼の自信と意欲が<幸福な時間>の中で紡ぎだした「心の響き」と言えるのではないでしょうか。ブルックナー : 交響曲第1番 ハ短調 1865-66[リンツ版]
1853年のペリー来航に端を発し、1865年長州征伐・1866年薩長同盟結成・1867年大政奉還と大きく動いた日本は、1868年5月3日の江戸無血開城によって<新しい時代・明治>を迎えました。その頃(1868年5月9日)、地球の裏側オーストリア・リンツでは、44歳になったブルックナーが、自らの指揮により自作の交響曲「第1番」を初演していました。
1860年11月の「母との死別」という悲しい出来事の一方で、1865年にミュンヘン歌劇場で行われた「トリスタン初演」に同席することが出来た経験は、ワーグナー個人と面識を得るという社会的な意味だけではなく、彼の音楽的発展にとっても、深く大きな刺激を与えることになりました。
「交響曲の作曲家」として西洋音楽の歴史に大きな名前を刻むことになる運命を背負ったブルックナーが、1865年から66年にかけて書き下ろしたこの作品は、批評家や有名な指揮者の提言に頭を下げることなく、「自分の心中の声に従って、素直に遠慮なく、書きたいように書いた作品」と言えるかもしれません。…というわけで、今晩のプログラムのキーワードは、「自己確立の証」です。
大阪シンフォニカー交響楽団 音楽監督・首席指揮者
児 玉 宏