2010年02月10日(金)第142回定期演奏会
■シェフからのメッセージ
寺岡 清高
ウィーンで年一回、確定申告の季節にお世話になっている税理士さんがいます。フィドラーさんとおっしゃる50代後半のとても品のある女性なのですが、だいぶ以前に彼女の事務所を訪ねたとき、BGMにそれまで聴いたことのない、でもとても魅力的な声楽曲をかけながらお仕事をしておられたので、一体何という曲かと尋ねました。「私の大好きな曲で、フランツ・シュミットの『7つの封印の書』というオラトリオなのよ。」と嬉しそうに教えて下さいました。ラジオで放送されていたのが気に入って、CDも買い求めたけれど、放送で聴いた演奏が一番良かったから、オーストリア放送協会(日本のNHKにあたります)の資料室にお願いして、放送に使われた録音を特別にコピーしてもらったのだとか。
それまでフランツ・シュミットの名前を聞いたことはありましたが、そのオラトリオが好きで、仕事中に聴きながら仕事をされている人がいるとは想像もしませんでした。さすが音楽の都ウィーンというか…。
私が初めてウィーンの国立音楽大学で指揮を習った先生が、エステルライヒャ先生というお名前通り(直訳するとオーストリア人)生粋のオーストリア人で、先生のウィーンのご自宅が当時私の住んでいたアパートから徒歩2分のところにあったご縁で、何度かお邪魔して個人レッスンをして頂きましたが、そのとき先生の机の上にいつもあったのが、やはりシュミットの交響曲第4番のスコアでした。「今度演奏するから勉強している。」とおっしゃっていたのに、そのあとしばらくして亡くなられました。先生の葬儀に参列しながら、シュミットのスコアはどうなったのか考えていたせいでしょうか、先生のことを思い出すときには必ずシュミットの4番も思い出してしまいます。
今回で最終回となる「ベートーヴェンと世紀末ウィーンの知られざる交響曲」シリーズですが、最後にこのシュミットの4番で締めくくります。「世紀末」と書いていますが、この曲が作曲されたのは実際には1932年から1933年です。しかし紛れもなく後期ロマン派の音楽です。その作風のせいで逆に当時の楽壇から保守的な作曲家であると見做され、音楽史から忘れられた作曲家になってしまいましたが、生前のシュミットは、若くしてやってきたウィーンで音楽家および教育者として成功を収めていました。最後はウィーンの音楽アカデミー(現国立音大)の院長を務めましたし、それ以前にはウィーンフィルおよび宮廷歌劇場のチェリストだったので、当時の歌劇場音楽監督だったマーラーの下でも演奏していたわけです。彼自身はマーラー嫌いを公言していたと言いますが、もし音楽史で習うように、マーラーのあとに続くのは12音などの無調音楽ではなかったと想定したら、シュミットの音楽は正にマーラーの音楽のあとに続くものだと思います。学校での作曲の先生はフックスですし、ほかにブラームスの影響やブルックナーの教えも受けているようですので、今回のシリーズに関係したさまざまな作曲家と色々な形で接点を持ち、かつ一番モダンな作風だといえます。マーラーとR.シュトラウスの中間にちょっとブラームスが入っているというか。…やっぱり想像つきませんよね。
では毎度で申し訳ありませんが、ぜひ演奏会にお越しいただいて、ご自身でお確かめ下さいませ。
大阪シンフォニカー交響楽団 正指揮者
寺岡 清高