2006年02月04日《第40回名曲コンサートに寄せて》
◆ 今日のコンサートはアメリカの作曲家ジョージ・ガーシュウィン(1898-1937)の特集です。
白黒映画でニューヨークの摩天楼が出てきたら、そこに流れる最も相応しい音楽はガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」です。ガーシュウィンはアメリカ人にとって、最も母国を意識させる作曲家なのです。
1890年、ガーシュウィンの父親はユダヤ人への迫害を逃れ、ロシアからアメリカに移住しました。ちなみに指揮者、作曲家として有名なレナード・バーンスタイン(1918-1990)の父親もまた、同じ理由で1908年にアメリカへ渡りました。ついでですがその3年後の1911年、あのタイタニック号の事故が起こります。そのタイタニック号が到着するはずのニューヨークでは、不良少年だった13歳のガーシュウィンがユダヤ人街で仲間たちと遊び回っていました。
ガーシュウィンは街中に流れていたラグタイム(黒人ピアニストによって奏された、シンコペーションを利かせた軽音楽)を聞いて育ち、14歳の時はじめてピアノに触れます。もちろんそれまで正式な音楽教育は受けていません。しかしガーシュウィンは、なんとその翌年には楽譜屋の専属ピアニストのオーデションに合格します。当時はまだレコードのない時代で、楽譜を売るために店先で一日中ピアノが演奏されていました。ガーシュウィンはプロのピアニストとしてぐんぐん力を付け、さらに人気が高まってきたジャズも取り入れ、白人ではナンバーワンのピアニストになりました。
そして26歳になったガーシュウィンに劇的なチャンスが訪れます。「ジャズ王」ポール・ホワイトマンが企画・指揮をした「アメリカ音楽とは何か?」というタイトルのコンサートで、「ラプソディ・イン・ブルー」が初演されました。この曲は元々ピアノとジャズ・バンドのために作曲されましたが、この日のコンサートのために、オーケストレーションの経験のないガーシュウィンに代わり、グローフェが大オーケストラに編曲をしました。ピアノ独奏はもちろんガーシュウィン自身。作曲家のストラヴィンスキー、ラフマニノフ、ヴァイオリニストのハイフェッツなど、そうそうたる聴衆を迎えて、センセーショナルな楽壇デビューとなりました。
さてもうひとつ興味深いことですが、ガーシュウィン自身のピアノ演奏が、当時としては最先端技術であった映画や自動演奏ピアノ用のロールとして残っています。ガーシュウィンの活躍は、20世紀初頭の科学技術の急速な進歩に乗り、それもその最先端であったニューヨークから世界に発信されました。ガーシュウィンはオーディオ・ビジュアルが生んだ最初の作曲家なのかもしれません。大阪シンフォニカー交響楽団ITプランナー佐々木 修