2006年06月11日《第41回名曲コンサートに寄せて》

 みなさんが「スコットランド」でまずイメージするものは何でしょうか? タータン・チェック、バグパイプ、ウイスキー…でも忘れてはならないのがスコットランド民謡です。私たち日本人にとってスコットランド民謡は、明治以来の文部省唱歌であった、蛍の光、故郷の空、アニーローリーなどによって深く刻まれた「哀愁」そのものです。

 スコットランド幻想曲の作曲者マックス・ブルッフ(1838-1920)はドイツ生まれ。1879年41歳のとき、リヴァプール管弦楽団の首席指揮者に就任、翌年にかけてこの曲を作曲しました。同年ハンブルクで、スペインのヴァイオリンの巨匠サラサーテにより初演、彼に献呈されました。ブルッフは各国の民族音楽に大変興味を抱き、スコットランド民謡に対しては「魔法円の中に引き込まれたようだ。母国ドイツの民謡曲以上に美しく独創的である。」と絶賛しています。ブルッフは「スコットランド音楽博物館」という楽譜集から、次のメロディーを選びました。
第1楽章:森をぬけて、若者よ、年老いたロブ・モリス
第2楽章:粉まみれの粉屋
第3楽章:ジョニーがいなくてがっかり
第4楽章:ウォレスとともに血を流したスコットランドの民よ

 スコットランドが哀愁を帯びた国、地方ならば、人間として哀愁を帯びていたのがチャイコフスキー(1840-1893)です。彼の名前を冠した音楽院や国際コンクールなどからわかるように、チャイコフスキーはロシアの英雄的な作曲家でした。しかしそれとは裏腹に、彼自信は多くの心の病を抱える人間でした。
 交響曲第4番は1877年に作曲されていますが、この年はチャイコフスキーにとって激動の年でした。この年から6千ルーブル(現在の貨幣価値で1千万円ほど)の年金を裕福なメック未亡人から受け、作曲に専念できるようになりました。この交響曲の最初のページに記されている「わが最も良き友へ」とは、メック未亡人のことです。メック未亡人からはこの後14年間も援助を受けて、頻繁に文通していながら、結局二人は一回も会うことはありませんでした。
 この年のもう一つの大きな出来事は、なんと一回も実際に会ったことのない女性と!結婚します。相手のアントニナ・イワノヴナから熱烈に迫られたのですが、実際結婚してみるとあまりの価値観の相違に、チャイコフスキーはノイローゼになり、わずか数ヶ月後にはモスクワ川で自殺未遂をします。
第1楽章:冒頭のホルンとファゴットの激しい旋律は、チャイコフスキーの手による運命の主題です。
第2楽章:生活に疲れ果てた男の悲哀をオーボエが奏でます。
第3楽章:酔っぱらいの百姓の脳裏に、ロシア舞曲や行進曲が浮かんでは消えていきます。
第4楽章:全合奏で強烈な主題が奏され、続いてロシア民謡が織り込まれ展開します。「人々の幸福を喜びなさい。そうすればあなたはなお生きていける。」

大阪シンフォニカー交響楽団ITプランナー 佐々木 修


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