2006年07月17日《第42回名曲コンサートに寄せて》

 いつの時代でも、作曲家と楽器は密接な関係にあります。19世紀ロマン派の時代に入ると、いわゆるビルトゥオーソ(virtuoso=名人)の演奏家がもてはやされました。ピアニストでは「ピアノの詩人」とも呼ばれ、繊細な演奏で名を馳せたショパン、超絶技巧でセンセーショナルな活躍をしたリストが有名です。そして今日お聞き頂くセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)も、この二人に並ぶ歴史的ピアニストでした。

 ラフマニノフは身長192cm、そしてマルファン症候群という遺伝病に起因した巨大な手を持っていました。普通の大人ではピアノの鍵盤のドからオクターブ上のレ、つまり9度くらいが平均的な手の大きさです。しかしラフマニノフはドからオクターブ上のソまで、12度が届きました。また関節の柔軟さも特異であり、左手の小指ド、薬指ミ、中指ソ、人差し指ドと押さえた上で、なんと親指は小指の下のシを押さえることが出来たと伝えられています。その演奏はモノラルですが現在でも聞くことが出来ます。

 ラフマニノフが表舞台で華々しい活躍をした代表的な作曲家ならば、セザール・フランク(1822-1890)はその逆で、大変地味な作曲家でした。フランクは名オルガニストでした。オルガンの歴史的名手としては、もちろんJ.S.バッハが名高いのですが、ドイツ語圏では不思議なことに、バッハ以降、大成した作曲家でオルガニストというのはブルックナーくらいです。一方フランスでは代々オルガニストが作曲家として確固たる地位にあります。このフランク以外にも、サン=サーンス、グノー、あるいは近年ではメシアンなども名オルガニストでした。

 19世紀フランス音楽界の主役はオペラやバレエであり、器楽曲は軽視されました。これは多分に、フランス人のドイツに対するライバル心からと考えられます。その結果、この時代のフランスでは、ドイツ音楽の象徴である交響曲はほとんど作曲されませんでした。しかし、サン=サーンスの後を受けて国民音楽協会の主宰になったフランクは、形式美が重んぜられる音楽ジャンルでも、その象徴的な交響曲の重要性を認識して、今日お聞き頂く“ニ短調交響曲”を作曲しました。またこの交響曲を作曲させた原動力は、まだ無名だったフランク青年を「私は今、バッハを聴いた!」と誉め讃えてくれた大作曲家リストへの感謝の気持ち。そしてなにより、フランクに流れていたドイツ人の血です。フランクの父方、母方、共に祖父母はドイツ人でした。

大阪シンフォニカー交響楽団 ITプランナー 佐々木 修


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