2006年9月2日
第43回名曲コンサートによせて

ベドルジハ・スメタナ(1824年-1884年)は、チェコ近代音楽の父といわれ、交響詩「モルダウ」や、歌劇「売られた花嫁」序曲は世界中で演奏されています。しかし、そのスメタナの一番の悩みは意外なことに、チェコ語の習得でした。そしてこれこそが当時のチェコの置かれていた歴史的背景を物語っています。

 チェコは1437年から1918年まで、ハプスブルク家による統治を受け、ボヘミアと呼ばれるオーストリア・ハンガリー帝国の属国でした。1859年オーストリア帝国は第2次 イタリア統一戦争ナポレオン3世に敗北し、それがきっかけでチェコでも一気に民族運動に火が付きます。それまで禁止されていたチェコ語の新聞が発刊され、チェコ語による芸術の創造が求められました。スメタナもこの時期、37歳にしてはじめてチェコ語の読み書きを習います。1866年チェコ語による歌劇「売られた花嫁」が大成功し、スメタナはチェコ国民(仮)劇場の指揮者に就任します。そしてこのオーケストラでヴィオラを演奏していたのが、アントニン・ドヴォルザーク(1841年-1904年)でした。

 大国の支配というと、文化や思想の抑圧、圧政などのマイナスの面がクローズアップされますが、プラスの面も見逃せません。たとえばアントニン・ドヴォルザークヨハネス・ブラームスの尽力もあり、オーストリア政府から5年間も奨学金を受けました。また子供のころからドイツ語を習いますが、この先生は音楽の先生でもありました。スメタナにしろ、ドヴォルザークにしろ、ドイツ語とドイツ音楽の基礎があったからこそ、後に世界に通用するチェコの音楽を作曲したといえるでしょう。

ドヴォルザークは1892年から3年間、ニューヨーク・ナショナル音楽院の院長をつとめました。そのとき作曲したのが「新世界交響曲」です。第1楽章と第4楽章は、ニューヨーク摩天楼に代表される、新天地アメリカのエネルギッシュな印象を表しています。またドヴォルザークは滞米中、黒人やボヘミア移民などの少数民族のところへ好んで出入りしました。新世界で、むしろチェコ人としての自己の本質を再発見したともいえます。これは「家路」のメロディーで有名な第2楽章として結実しました。この交響曲全体はシャープが1つのホ短調で新天地を表していますが、第2楽章は例外的に、このホ短調から最も遠い調性である、フラットが5つも付く変二長調で作曲されています。これはアメリカから地球の裏側である、故郷ボヘミアを想う心を調性で表したものです。「新世界より」というタイトルはあたっているようです。

大阪シンフォニカー交響楽団ITプランナー 佐々木 修