2007年07月16日《第47回名曲コンサートに寄せて》

 どこの世界でも、同業者の関係は、いささか複雑です。音楽の世界でも、特に同じ分野の場合、なかなか素直には同業者の実力を認めないものです。そのような中、古今東西のすべての作曲家が、伏して額づくのがルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年-1827年)です。ではその偉大さの神髄はどこにあるのでしょうか? 私の曲論かもしれませんが、ベートーヴェンの偉大さは、ベートーヴェンが偉人ではなかったということです。

 今日お聞き頂く他の二人の作曲家、ドヴォルザークとサン=サーンスは、それぞれのお国の偉人でした。アントニン・ドヴォルザーク(1841年-1904年)はスメタナと並んで、チェコ国民楽派の創始者であり、みなさんご存知の『新世界交響曲』は、アメリカのナショナル音楽院の院長として招聘されたときの作品です。国際的名声も高く、主な表彰歴だけでも、チェコ科学芸術アカデミー会員、ケンブリッジ大学名誉音楽博士号、ウィーン楽友協会名誉会員、オーストリア芸術科学名誉勲章、オーストリア貴族院終身議員など、正に勲章だらけの大作曲家です。

 カミーユ・サン=サーンス(1835年-1921年)もまた、フランスの偉人の一人です。フランスのオルガニストの最高峰である、マドレーヌ教会のオルガニストであり、フランス国民音楽協会の創始者です。またサン=サーンスは、音楽以外にも、詩人、天文学者、数学者、画家としても一流の才能をもった、当代フランス随一の知識人でした。

 それに比べて、ベートーヴェンの私生活は悲惨なものでした。彼は引越魔として有名で、生涯五十数回の引越をしたといいますから、ほぼ毎年引越をしたことになります。その原因のほとんどが、隣人との深刻なトラブルです。ベートーヴェンは生涯独身で、20代後半からは難聴で悩まされ、部屋の中は豚小屋同然、自殺未遂や、慢性的な腹痛や下痢、さらには梅毒から、最悪の健康状態でした。作曲をしていなかったら、ベートーヴェンはただの変人でした。

 そのベートーヴェンが作曲した、交響曲第5番『運命』ですが、『運命』というタイトルは、ベートーヴェンが付けたのではないことは知られています。つまり、ベートーヴェンは『運命』を表現したかった訳ではないのです。『愛の歌』でも『新世界』でもない、『うれしい』でも『悲しい』でもない、一人の男が精魂込めて書きなぐった『音の固まり』は、人類最高の遺産として、私たちを魅了しつづけます。神は案外、身近にいるのかもしれません。

大阪シンフォニカー交響楽団ITプランナー 佐々木 修