2008年8月30日《第53回名曲コンサートに寄せて》

 ジャック・オッフェンバック(1819-1880)はドイツ生まれのユダヤ人です。本名はヤーコブ・レヴィ・エーベルストといいます。パリ音楽院で勉強して、そのままパリで生活をするようになったころから、ジャック・オッフェンバックという名前を使い始めました。オッフェンバックはドイツ語読みではオッフェンバッハ、彼の父の生地の名前をそのまま拝借したのです。といっても、当時ではそれほど珍しい事ではありません。日本でも江戸時代ではごく普通にあった、なんとか村の太郎というパターンです。喜歌劇『パリの生活』は、ドイツで人気が高いオペレッタです。ドイツ人はパリの生活に憧れるのでしょう・・・かくいうこの私も憧れます。

 「ベルリンの生活」に溺れたのが、ジャン・シベリウス(1865-1957)です。シベリウスは24歳のとき、母国フィンランドの奨学金を得てベルリンに留学します。ベルリンではR.シュトラウスやハンス・フォン・ビューローなどの演奏に直接触れる等、すばらしい経験をします。ところがシベリウスは学生でありながら、とんでもない高級志向で、衣食住に散在して、1年で本国に呼び戻されます。翌年ウィーンに移り、ウィーンフィルのオーディションを受けますが、上がり性が原因で失敗します。でも人生とはわからないものです、ウィーンフィルに落ちたからこそ、作曲家として身を立てる事を決心し、それによりすばらしい作品が生まれたのですから。ちなみにシベリウスは後半生、ヘルシンキから列車で一時間半ほど離れたヤルヴェンパーの森の中で「田舎の生活」を楽しみました。 

 「ウィーンの生活」をしなければならなかったのはヨハネス・ブラームス(1833-1897)です。ブラームスは北ドイツのハンブルク生まれ、同じドイツ語圏とはいえ何事につけても厳格な北ドイツに比べて、ウィーンはもっとおおらかと言いましょうか、のんびりしているところがあります。ですからブラームスにとってウィーンは、決してあこがれの町ではなかったはずです。しかし、音楽の都、クラシック音楽の中心地であることは疑いもなく、ブラームスはこのウィーンで、図らずもその頂点に上り詰めます。しかし、ブラームスがこよなく愛したのが「田舎の生活」で、夏休みにはザルツブルク近郊のバド・イッシュルや、ドイツのバーデン・バーデンなどの保養地で過ごし、そこですばらしい曲が生まれました。

大阪シンフォニカー交響楽団ITプランナー 佐々木 修