2008年10月13日《第54回名曲コンサートに寄せて》

 メンデルスゾーン(1809年-1847年)の業績を語る時、忘れてはならないのが、19世紀のはじめには、すでに全く忘れ去られていた大作曲家、ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685年-1750年)の音楽に再び光を当てたことです。1829年、弱冠20歳のメンデルスゾーンはマタイ受難曲の復活初演を果たします。もちろんこれはすばらしい歴史的な業績ですが、私がもっと驚いたのは、メンデルスゾーンはこのマタイ受難曲の写筆スコアを、14歳のときのクリスマスプレゼントとして祖母からもらっているのです。メンデルスゾーンが希望したか否かは定かではありません。

 この復活初演の際のコーラスは、ベルリン・ジングアカデミーが担当しましたが、そのメンバーだったのがオットー・ニコライ(1810年-1849年)でした。(ちなみに、ニコライがマタイ受難曲を歌ったのは1831年のベルリン公演)ニコライはメンデルスゾーンとほぼ同じ時期に活躍しましたが、彼の作品で今日(こんにち)一般に演奏されるのは、本日その序曲をお聞き頂く、歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」だけです。しかしこのニコライもまた、現代にまでその影響を与える偉大な仕事をしました。それは世界に冠たるウィーン・フィルハーモニーを創立したことです。ウィーンフィルはウィーン国立歌劇場管弦楽団のメンバーが自主的に運営するオーケストラで、1842年3月28日オットー・ニコライの指揮により初めてのコンサートが行われました。

 ウィーンのライバルは、今も昔もベルリンです。これはオーケストラだけでなく、音楽界全体と言ってもいいでしょう。マックス・ブルッフ(1838年-1920年)はケルン生まれ。後半生をベルリンで過ごし、ベルリン音楽大学の作曲科の教授として活動します。後にはプロイセン芸術院副総裁という要職も歴任します。本日お聞き頂くヴァイオリン協奏曲第一番は彼の代表作で、特に第3楽章のダブルストップ奏法(同時に2本の弦を奏する)による明るく伸びやかなメロディーが印象的です。ちなみに、2006年6月の第41回名曲コンサートでは、同じくブルッフの「スコットランド幻想曲」が演奏されています。

 話題は再びメンデルスゾーンに戻り、1829年マタイ受難曲の復活初演を果たしたメンデルスゾーンは、そのすぐ後スコットランドに旅行をします。その地でインスピレーションを得て生まれたのが、交響曲第3番「スコットランド」です。ただし、完成にはメンデルスゾーンとしては異例に長期間を要し、旅行から12年後の1842年、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスにおいて作曲者自身の指揮により初演されています。

 音楽史や年号は、とかく無味乾燥なものとして敬遠されがちですが、現代に通ずる関係、あるいはライバル関係、旅行での出来事、出会いなどを知る事により、単一の曲目だけではない、その日のプログラムの彩、あるいは年間を通したプログラムの妙など、よりお楽しみ頂ける事と思います。 

大阪シンフォニカー交響楽団ITプランナー 佐々木 修