2009年07月20日《第57回名曲コンサートに寄せて》

 さあ、夏休みです! 今日のコンサートは、そのタイトルもズバリ、序曲「真夏の夜の夢」でスタートします。でも残念ながらこの「真夏」とは、もう一ヶ月も前の「夏至」のことなのです。シェークスピアの戯曲「A Midsummer Night's Dream」が、最初に「真夏」と翻訳されて以来、これが定着しました。ヨーロッパでは夏至に「聖ヨハネ祭」がおこなわれますが、この除夜、森に妖精や魔女が集まり、お祭りや悪さをするという言い伝えがあります。人々は森や広場で火を焚き、その残り火を家に持ち帰り幸運を呼び込むという古くからの風習があります。また「夏至」は作曲家を刺激して、多くの作品が生まれています。たとえばロシアの作曲家ムソルグスキーの「禿げ山の一夜」、あるいはイギリスの作曲家ヘンリー・パーセルも、シェークスピアの「夏の夜の夢」に基づくオペラ「妖精の女王」を作曲しています。若い恋人達にとって、天神祭やPL花火がそうであるように、ヨーロッパの恋人達もまた、この夜は特別な夜であり、大人にとっては「火遊びに気をつけなさい!」と眉をひそめる夜なのです。
 ブラームスは音楽の都ウィーンのトップに君臨する大作曲家でした。そのブラームスにとって夏休みは、避暑地でじっくり作曲に集中出来る貴重な時間でした。1877年夏、ブラームスはオーストリアの南部、スロベニアやイタリアの国境にほど近い、ヴェルター湖畔にあるペルチャッハに滞在して、交響曲第2番を作曲しました。ヴェルター湖は標高約500mに位置し、真夏でも最高気温が25度ほど、朝夕の気温は13度ほどまで下がります。確かに、この交響曲第2番を聞くと、日本のじめじめした夏とは違う、ヨーロッパの夏を感じます。
 その夏のウィーンに1人残って作曲をしていた、しなければならなかったのがモーツァルトです。ピアノ協奏曲第27番はモーツァルトの最後のピアノ協奏曲で、モーツァルト最後の年、1791年3月に初演されました。このころのモーツァルトは、以前は大盛況だった予約演奏会を開いても、お客は集まらず、生活は困窮して借金を重ねていました。健康状態も次第に悪化していく中、妻のコンスタンツェはウィーン近郊の保養地バーデンに出かけ、モーツァルトだけがウィーンで、生活のため必死に作曲をしていました。そこで作曲されたのが、アヴェ・ヴェルム・コルプス、魔笛、クラリネット協奏曲、レクイエムといった人類の至宝ともいえる作品の数々です。「今日は天気が悪い、気分が乗らない…」などと理由を付けて授業にこないザルツブルクのモーツァルテウム音大の学生に対して、「あのモーツァルトが、あの最悪のとき、あれほどの作曲をしたのだから、ちょっとくらい気分が悪くても来なさい!」と、よく教授に言われたものです。

 佐々木 修