2009年10月24日《第58回名曲コンサートに寄せて》

 「ハ長調」の曲を手にして、喜ぶのはアマチュアで、悩むのはプロです。ピアノを習いたての方ならば、シャープやフラットがやたらと付いている曲は、譜読みが大変だし、なにしろ指がもつれて困る…という経験がお有りでしょう。ところがプロになると全く逆で、ハ長調の曲を演奏するときは、なんだかやり難いものなのです。例えは難しいのですが、ちょっと偉くなって人前でお話をしようしたところ、子供のころをよく知っている人が現れ、「なんだ、あの悪ガキがよくここまで出世したな!」といわれるような、ちょっと恥ずかしい気持ちなのです。
 モーツァルトは「交響曲第34番」を、1780年にザルツブルクで作曲しました。そして、当時のザルツブルクのオーケストラが、「せーの!」とフォルテで演奏したのが、この交響曲の冒頭です。そしてこの響きこそ、当時のオーケストラの『標準』なのです。この交響曲は、翌年1781年4月3日ウィーンに於ける、モーツァルトの実質的な初めての予約演奏会で初演されました。そして注目されることは、この演奏会から1ヵ月も経たない5月9日、モーツァルトは、かねてから衝突していたザルツブルクのコロレド大司教と大げんかをします。そしてこれがきっかけとなり、モーツァルトは自由音楽家として、ウィーンで最後の10年間を過ごすことになります。私の想像ですが、モーツァルトはこの交響曲に自信があったのです。そしてウィーンの観客の反応を見て、その自信は確信となりました。その結果、「もう、コロレドのところなんか居られない!」という強い行動に出た、出てしまったのです。
 モーツァルトの「ハ長調」が表の顏ならば、モーツァルトの一番内面を表現したのが「ト短調」です。メンデルスゾーンは「ピアノ協奏曲 第1番ト短調」を、1831年22歳のとき作曲しました。17歳で「真夏の夜の夢」を作曲したほどの早熟なメンデルスゾーンとはいえ、彼にとって初めてのピアノ協奏曲は大きな経験であったに違いありません。メンデルスゾーンはモーツァルトへの畏敬の念を抱き、あたかも導かれるように、モーツァルトの独白の調性である「ト短調」を選びました。
 シューベルトは、モーツァルトとメンデルスゾーンの丁度間にくる作曲家です。今日お聞きいただく「交響曲第3番ニ長調」は、1815年に作曲されています。「歌曲王」といわれるシューベルトですが、「未完成交響曲」や「ハ長調大交響曲」の作曲家として相応の評価を得てはいるものの、交響曲の分野では、それほど画期的な活躍はしていません。私はむしろ、モーツァルトやベートーヴェンが活躍した音楽の都ウィーンが、シューベルトを高く評価して、自分の楽譜の整理については全く無頓着であったシューベルトに代わって、彼の死後50年も経ってから、この交響曲を校訂して出版したことに驚きます。そして、この校訂をしたのがブラームスなのです。

 佐々木 修