2010年01月24日《第59回名曲コンサートに寄せて》
音楽を志す若者にとって、コンクールは大きな目標であり、その後の人生に大きく関わってくる重要な節目です。特にフランス人は昔からコンクールが好きです。なにしろ「コンクール」という言葉はフランス語なのですから。
今日お聞き頂く4人のフランスの大作曲家は、「ローマ大賞」という歴史的なコンクールの入賞者です。ローマ大賞は、もともと建築や絵画のコンクールとして、1663年ルイ14世により創設されました。音楽部門は1803年に追加されています。このコンクールの優勝者には、2年間のローマ留学に加えて、5年間ほどフランス政府の奨学金が与えられました。その分野における絶対的なキャリアが保証された、当時としては唯一無二のコンクールでした。
ジョルジュ・ビゼー(1838年-1875年)は19才のときに、このローマ大賞を受賞しています。ビゼーは歌劇『カルメン』で音楽史に金字塔を打ちたてましたが、それは36才で早世した、正にその年に作曲しています。今日お聞き頂く『交響曲第一番ハ長調』は、ビゼー弱冠17才のとき、つまりローマ大賞受賞の2年前の作品です。
ジャック・イベール(1890年-1962年)は、29才のときにローマ大賞を受賞しました。彼の出世作である交響組曲『寄港地』は、ローマ大賞受賞によるローマ留学中に作曲された作品です。イベールのフルート協奏曲は、「軽妙洒脱」という四字熟語をそのまま音楽にしたようなオシャレな曲です。
モーリス・ラヴェル(1875年-1937年)のローマ大賞は、他の3人とは違い、少々物議を醸しました。ラヴェルは1901年から1905年まで、5回にわたりコンクールを受けていますが、この中で1901年の第3位が最高の成績でした。ではこのころのラヴェルは、まだそれほど才能を認められていなかったかというと、まったくその逆で、このコンクールを受けているころには、既に今日お聞きいただく『亡き王女のためのパヴァーヌ』を作曲しています。ローマ大賞の受験資格は30才以下で、ラヴェルが最後のチャンスであった1905年に落選した際は、これほどの才能を認めないことは何事だと騒動になり、パリ音楽院の校長が辞職することになりました。
クロード・ドビュッシー(1862年-1918年)は、22才の時にローマ大賞を受賞しました。現在私たちが普通に耳にするドビュッシーの作品は、ほぼすべてローマ大賞以降の作品ですから、ローマ大賞の受賞により、経済的なサポートも得て、自身の作風に磨きをかけたと言えるでしょう。ちなみに、ローマ大賞の副賞であるローマ滞在は、ドビュッシーにとって苦痛だったようで、早々にパリに舞い戻ったそうです。確かにドビュッシーの作品は、イタリアの輝く太陽ではなく、ノートルダム寺院のステンドグラスから差込まれる色光のようです。
佐々木 修